2012年10月28日: 高齢者にとって宗教心とは GP生 ![]() お彼岸の墓参りは、お寺さんが準備した塔婆を受け取り、墓地に立てる所から始まる。 孫、子と一緒に墓参した時は、孫達に墓誌に刻まれたご先祖様の事を知る限り話す様にしている。 人の繋がりの大切さを肌で感じてもらい、自分一人がこの世に偶然存在しているのではなく、先祖からの繋がりの中で、この世に誕生したことを、幼い心に刻み込んでおきたいからだ。 この寺では、お盆前に「お施餓鬼」の案内を発送している。 お施餓鬼とは釈尊時代の故事に由来する行事だ。 釈尊の十大弟子の一人「阿難」が釈尊の指導の下に、阿羅尼を唱えながら、阿難を苦しめた餓鬼に食べ物を布施し、餓鬼と自らが救われた話だ。 餓鬼とは、飢えと渇きに苦しむ、物欲の象徴だ。 釈尊は物欲に支配された醜い心を、洗い清らかにする手段として布施の修行を指導した謂れ が、「お施餓鬼」の行事として伝えられてきた。 「お施餓鬼」時は住職が各檀家が寄進した金銭を以て作った塔婆を祭壇に並べ経文をあげ、檀家の心に巣食った餓鬼を洗い清める事になる。同時に清められた塔婆はお盆前の墓参時に各墓に立てられる。 何時しか、お施餓鬼の本来の心は忘れ去られ、一本三千円也の塔婆代は寺の貴重な収入となっている。 これで、餓鬼に取り憑かれた人達が、少しでも救われれば目出度しなのだが。 ![]() 自分の父を見てきて、神仏に熱心になったのは会社を退職してからの様に思える。それまでは仏壇や神棚、稲荷社の管理は母任せであった。 職人気質で几帳面な父は自らが管理を始めると、それは熱心に隅々まで拭き清め、仏花、榊、水茶の取り換えは行き届いていた。何事にもアバウトな自分とは大違いだ。墓石の清掃もお寺任せにせずに、いつも自分で行っていた。 そんな父から宗教心の話は聞いたことがない。一本気な父は細かい心情を語るのは苦手であった。父は墓地や仏壇、神棚に神仏が宿ると信じていたから、これ等を大事にし慈しんできたことは推察がつく。 父が死ぬ半年前に、父の依頼で墓地を改修した。祖父が昔建てた少しみすぼらしい墓石が気になっていたという。 住職に依頼し、墓石の開眼供養を墓地で行った時、父は入院中の病院から車椅子で出席をした。この時の嬉しそうな父の姿は忘れられない。良い親孝行をしたと今でも思っている。 父の遺骨は新しい墓石の下で眠っている。 父はタバコを中年時代に止めた。酒は三々九度の盃で顔が真っ赤になるほどの下戸だ。所謂遊びには一切興味のない。超がつく真面目人間だった。 父は先祖から伝わった、墓石・仏壇位牌・神棚・稲荷社等を大事にすることに生甲斐を見つけたのかもしれない。 父の内面は分からないが、高齢になった父の宗教心の現れだったのだろう。 そんな父からすれば、息子のいい加減さに腹を立てていると思う。時々、人を介してあの世から叱責が届く。 ![]() 人は生きる苦しみから逃れたり、救いを求めるために宗教にすがることは多い。法然を祖とする「何阿弥陀仏を唱え、阿弥陀様に救いを求めれば、極楽浄土に成仏出来る」とのシンプルな他力本願の教義は、当時の末法の世で苦しむ庶民の心を捉えた。庶民にとって生きる事が苦しみの時代だったのだろう。現世での究極の苦しみは「死」だ。人は「死」に直面した時、「生」とは?、「死」とは?と考える事になるのだろう。 まして、高齢者にとって「死」は遥かかなたの事ではなく、今ここにある現実だ。一般的に宗教に縁の薄い日本人にとって、「死」に直面した時、心に芽生えるのが宗教心であるのかもしれない。 最近読んだ本に黒木登志夫著「健康・老化・寿命」がある。この中に、63歳でガンで死去した元検事総長の伊藤栄樹氏が、死の床で書いた一節が転記されている。 伊藤氏は言う「僕は、人は、死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じようなものになってしまうのだと思うよ。死の向こうに死者の世界とか霊界と言ったようなものはないと思う。死んでしまったら、当人は、全くゴミみたいなものと化して、意識の様なものは残らないだろうよ」と。 もし人が死して、ゴミみたいなものとなり、一切が残らず「無に化す」とすれば、「死」は恐怖以外の何物でない。どの様な宗教を持っても、このように考え信じている人の心を救うことはできないだろう。「死んだら無」と思えばこの世で生きている時に、自分さえ良ければとの生き方をする人は多い筈だ。それらの事例は日々新聞紙上を賑わしている。伊藤栄樹氏は検事総長として立派に職責を果たされた。 しかし、現世で世のため人の為に、真っ当に生きた人ですら、死後の世界を否定し、何の期待も持たず、ゴミみたいな物になると信じてこの世を去った。 ![]() 中高6年間に合唱した心力歌の一節に「境によりて心うつり 物の為に心揺らぐ得るに喜び失ふに泣き 勝ちて驕り敗れて怨む 喜びも煩いを生み 泣くもまた煩いを生む」がある 。釈尊の教えの子供向きに換骨奪胎した釈尊の教えだ。餓鬼の生き方を戒めた教えでもあることは、今にして理解できる。 本来、釈尊の教えは拝むもの、敬うもの、すがるものではなく、人として現世を真っ当に生きるための教えであったと思う。釈尊の教えは「経」として残され現代に伝えられている。 けれど、時移り、所替り、本来の教えが哲学的で難解になったり、葬式仏教と揶揄されるように、形骸化され、釈尊の教えの本質が判らなくなってしまった。般若心教などは、写経と称して字面を写し取ることが、宗教心の現れたとした、誤ったことも行われている。内容は釈尊の教えのエッセンスなのに。我々高齢者が残された時間を心豊かに過ごすためには、何れ訪れる、自身の「死」と正面から向かい合うと同時に、釈尊の本来の教えを学ぶ事が大切であると思っている。 「色心不二」の言葉にある様に、人は肉体と心が一体となって存在している。脳に心が存在している訳ではない。脳は心の翻訳器官であると考えた方が、より現実的だ。 心は肉体に被さる様に存在している筈だ。事故で膝から下を切断された人が、「時々、無い筈の下肢がうづく感じがする」と何かで読んだことがある。肉体は存在しなくても、心は見えない下肢に残っているから生じる現象なのだろう。 何れ、肉体はこの世での耐用限界を超えて死を迎える事になり、魂は肉体から離れ、あの世で、己の魂のレベルにあった場所に落ち着くことになろう。これが、人の死の本質とすれば、肉体の死のみを恐れる事は本末転倒だと思う。恐れなければならないのは、現世での行い全てが記録された己の魂に評価が下されることだ。 自分の心には誰しも嘘はつけない。 あの世の入り口で下された評価に従い、魂は定められたポジションに向うしかないだろう。例え、そこがが餓鬼界であってもだ。この世で生活した時間より、遥かに長い時間を、あの世のいずこで過ごすことになる事を思えば、自らが生きてきた軌跡をたどり、誤りを反省し、間違いを正すことは、高齢期の今だから可能なことかもしれない。 肉体の衰えと死は、人にとり避ける事の出来ない宿命だ。 心・魂は永遠に生きる存在であることを想えば、残された時間をどの様に生きるかを考える材料は幾らでもある。 高齢者にとって、宗教心とは心・魂の存在を信じ、あの世に持って行ける唯一のものである魂を慈しみ、育てる為の自助努力を継続する心だと思う。 例え、悩みは尽きずとも、漫然として時の流れに身を置く愚は避けたいものだ。 何れ訪れるであろう死の床の中で、後悔の念に咽ぶことだけはしたくない思いだ。 |