【伝蔵荘日誌】

2012年10月2日: 日本列島の宿命と日本人 GP生

  風林火山に「速きこと風の如く----動かざること山の如し」と詠われたように、山は泰然として微動すらしない存在として比喩されてきた。 その山が集中豪雨に起因する深層崩壊によって動きに動いた。深層崩壊は山肌が深さ100m以上の深みから一気に崩壊する現象だ。 先日、テレビで放映された深層崩壊特集を息を呑んで見つめた。

 この現象は東日本には余り見られない。静岡県南部から紀伊半島、四国南部を経て九州南部に集中している。これには昨今、何かと話題の多い南海トラフが関係していると言う。南海トラフはフィリッピン海プレートがユーラシアプレート東端部の日本列島に潜り込む海溝だ。 フィリッピン海プレート上には100年間で数ミリの塵が堆積し続けている。例え、100年で1mm厚と僅かでも、大洋を横断するのに2億年かかるとすれば2000mの厚さとなる。これ等の堆積物は軽いため、プレートが沈み込む時に日本列島の縁に残され、重なり合い層状に盛り上がり陸地を形成する。中央構造線より南の陸地はこのようにして形成された。

 この地形は泥岩状の軟弱な岩石が層状に堆積しており、乾いた岩石をハンマーで叩けばボロボロに崩れる。岩石としての強度は全くない。しかも、層状に重なるために含水力が極めて高い。何日にも亘る豪雨が地下深く浸透し、水の浮力により岩盤深部から根こそぎ崩壊するのだと言う。これ等、深層崩壊発生分布は中央構造線南部から海岸線に至る地域と見事に重なる。

 今年は東シナ海の海水温が上昇した結果、水蒸気が大量に発生し雨量が増加した。更に、北海道東部太平洋の水温が上昇し、高気圧の発生を招いた。この影響で偏西風が北に偏より、南西部が豪雨に曝され、東日本は渇水によりダムが干上がる事となった。日本列島の地理的宿命と地球温暖化のコラボレーションと言える。 地球温暖化が避けられない以上、今後、集中豪雨は日本列島にとって避けられない現象となろう。

 日本の宿命は、東日本が北米プレート、西日本がユーラシアプレート上にあり、これ等に潜り込み続ける東の太平洋プレート、南のフィリッピン海プレートの交差点に列島が存在することだ。糸魚川―静岡構造線はユーラシアプレートと北米プレートの境界線にあるフォッサマグナと呼ばれる地溝の西側境界線だ。東側境界は関東から新潟にかけて存在するとされるが、明確ではないようだ。 この間は地溝になっている筈だが、現在は火山噴出物で埋まり、外見からは地溝に見えなくなっている。富士山や浅間山はこの地溝に鎮座している。 日本列島中央部は真っ二つに折れている事に間違いはない。

 昔、小松左京は「ユーラシアプレートの押し込みが強くなり、太平洋プレートとフィリッピン海プレートでは支えきれず、列島が日本海溝や南海トラフに崩れ落ちる」との発想により「日本沈没」を著作した。 日本沈没はともかく、日本列島が動的平衡を保っているように見えても、長期的にはプレートストレスに曝され続けているのは現実だ。 その証拠に、かつてフィリッピン海プレート上の島嶼であった伊豆半島は、現在も本土に押し込まれ続けている。

 先日、新宿の地下に活断層があるとの報道がなされた。大飯原発直下に活断層があるとか、柏崎原発も活断層で危険であるとか、此のところ活断層の情報は多い。 関東平野直下は三つのプレートが重なり合うトリプルポイントだ。それでなくとも各プレートの沈み込むストレスにより地下に各種亀裂が生じることは、素人でも想像できる。 亀裂は断層と呼ばれ、プレートの動きによっては、何れの断層も時を経て動くことは考えられる。 人類の知見はまだまだ未熟だ。それが何時動くかは、神のみぞ知るの領域だ。

 現在、長崎県の対馬は地震に無縁に見える。かつて在籍した鉱山で採掘した鉱石は、マグマ中の鉱液が地下の破砕帯中で冷却・結晶化した物だ。 鉱山中最大の鉱脈は夾雑物を全く含まず、鉛亜鉛鉱のみの脈幅が30m、深さ70mを超えていた。鉱液上昇は人類が未だ存在しない時代の出来事だが、鉱脈生成時、大地が激しく揺れ動いたことは想像に難くない。かつては日本国内各所に大小の金属鉱山が多く存在していた。列島は傷だらけだ。 平野部では堆積物により直視で出来ないだけに過ぎない。

 原発は冷却水を大量に必要とするから海岸近くに存在する。 絶対安全性を考えれば日本列島いずこでも、原発大丈夫の場所があるわけがない。 原発のみならず、日本列島で絶対安全な居住地もない。相対的に安全性が高い場所があるに過ぎない。 所謂市民が、政府や企業に設備・装置の絶対安全を訴え求めても叶わぬ夢だ。 原発に限らず、工業施設の安全性確保のために、企業は謙虚に不断の努力を重ねるしか策はない。 東電はこれを怠った。 権力欲に狂った無能な政権は、さらなる被害の拡大に貢献した。

 自然災害の宝庫たる日本列島は、その地理的要因と複雑な地形により、豊かな自然の恵みをもたらしてくれる。 日本人は古来から、自然の脅威にさらされながらも、自然の恩恵により生活してきた。 富士山や立山等を霊山として崇め、山頂に社を立てた。どの村でも鎮守の森に社を祀ってきた。 自然は畏敬な存在として敬い、且つ恐れてきたからだ。 自然の中に八百万の神々を見出し、敬える民は日本人を置いて他にはいない。 四季折々の自然を楽しめるこの環境は、厳しさに対する補償なのかもしれない。

 現在まで続く日本人の美徳の多くは、日本列島の置かれた宿命に根差している様に思える。 宿命は変えることは出来なくとも、運命は変えることが出来る。造形美と繊細さに満ちた製品を生み出せる日本人の感性は、日本列島の置かれた環境から培われたものとしか考えられない。 万世一系の天皇が神話時代から現在にまで至るのは、世界史の奇跡ともいえる。 これも、厳しいが恵まれた自然豊かな日本列島で生きる人々の知恵の結晶と言えるだろう。

 自然現象だけでなく、日本と大陸国家や半島国家との地政学的関係も宿命であろう。 古来、日本人は彼等と交流はしても、必要以上に深入りはしなかった。日本人は彼我の民族性の違いを良く知っていたからだろう。 この教訓は現在にも通じることだ。 善意や謙譲を弱さと解し、嵩にかかって独善的利己主張をわめき立てる民族とは、所詮理解し合うことは難しい。 付け入る隙を与えてはならない。政治力、防衛力、経済力を含む国力を高めて、お付き合いするしかない。明治の日本人がそうであったように、国の運命は自らの意思と努力で変えるしかないのだ。

 学生時代のワンゲルでは、山に畏敬の念を持って接してきた。だから、出来る限りの準備をして山に向かったものだ。 日本の山々は一部を除き、優しく穏やかな佇まいをしている。登る者に挑戦とか征服とかの、荒ぶる心情を抱かすことはない。 テント場の夜、満天の星々を見上げ、暗闇に連なる山並を月明りの下で眺める時、人の存在の小ささを知らされる。 自然の中に吸い込まれている自分を感じる時もある。これが自然と一体になる事なのだろう。

 トレイルランなるスポーツがあることを知ったのは、腰の治療で通った整骨院の治療師によってだ。30代の彼はこれに熱中している。何のことか判らないので聞いてみると、山の中を走るのだと言う。 東京だと、高尾山、陣場山、奥多摩の山々が対象で、夜間に10時間近く走ることも有るそうだ。服装は体に密着したランニングウェアー、装備はナップザックに入る程度。クロスカントリーの山岳版の様だ。靴はそれ専用の物を履く。 更に険しい山岳バージョンもあるそうだ。 山をランニングの対象にするとは、勉強不足で知らなかった。 話を聞いていて、違和感を覚えたのは、山に対する自分の感覚が昔のワンゲル時代に固定化されている為かもしれない。 それにしても、山や自然に対する畏敬の想いは、現代の都会人には無縁なのだろうか。

 東京の様な大都会に居住すると、自然の脅威は地震以外実感出来ないのは確かだ。 東京湾北部地震や南海トラフ地震での被害想定を喧伝されても、現実感が希薄なのかもしれない。都会生活では自然の脅威と接する機会が少ない故に、住人が自然に対する謙虚さを磨滅させている様にも思える。

 津波の恐怖と対処法を教育された小中学生達が3.11で多くの大人の命を救った実例は、釜石の奇跡として語られている。この教訓は謙虚に考える必要がある。「想定に従うな。最善を尽くせ。各自勝手に逃げろ。」は釜石の子供たちが徹底して教わった津波対策の三原則だそうだ。 「幾ら科学が進歩しても、自然は常に想定外の脅威を露わにする。過去の事例に惑わされれば判断を誤る。事に及んでからではなく、常日頃から最善の努力で備えよ。家族を置いても、夫々が勝手に逃げ、生き残れれば再会はできる。」との意味だそうだ。 危機管理の原則が含まれている。 安全ボケした都会人と違い、常に自然の脅威に曝されている人々は謙虚だ。

 永らく日本人は知恵を働かせながら、過酷で優しい日本列島の自然と集団で共生してきたのだろう。 その結果、日本人は勤勉で誠実、謙虚で他者を思い遣る心を併せ持つ、世界に類を見ない民族性を身に付けて来たように思える。 その実例を阪神淡路地震や3.11大震災時に世界に示した。 災害時に生じる略奪行為が世界標準なのだから日本人の美徳は際立っている。

 日本列島の過酷な運命を、自らの努力で克服出来ると信じる日本人が、まだまだ多く存在し社会を支えている。この力を国力として発揮するには、政治の力が不可欠だが、こちらはお寒い限りだ。 近々予想される総選挙で、まともな政権の誕生を期待するしかない。 政治の貧困は現代日本の宿命と諦める訳にはいかない。

 一億を超える人口が密集する文明国で、地震、津波、台風、火山、洪水、地滑り等々の、避ける事の出来ない自然の脅威に、常に曝されている国は、世界中何処を探しても日本以外に存在しない。 この過酷な自然の中で日本は文明国として発展してきたし、この宿命があるが故に、紆余曲折があろうとも、世界に冠たる民族として進化していくことは間違いない。
 

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