【伝蔵荘日誌】

2012年9月21日: 或る占い師との会話 GP生

    スポーツジムで知り合い、親しくなったプール仲間にWaさんがいる。 自分とは時間がずれているので、プールで一緒に歩く機会は少ないが、脱衣所や浴室で顔を合わせた時に、他愛無い会話をすることは多い。 Waさんは50代半ばで、引き締まった体躯の持ち主だ。ポニーテールの髪形と和服を改造したような、独特の衣装が印象的なハンサムボーイでもある。 隣町の繁華街で占い所を開いている。畳2枚の狭さだが、良く当たると言うので大層繁盛している。

 プールでは自分もWaさんも、共に水中歩行を楽しんでいる。水中歩行はプールの中をただ歩くだけだし、身体を激しく動かす水泳と異なり、かなり退屈な運動であることに間違いない。 水中歩行に意味を見出し、歩くことにモチベーションを持てる者の特権ともいえる運動だ。 オバサン達2,3人がグループを作り、おしゃべりを楽しみながら歩いている。歩行よりおしゃべりが目的だから、極端なスローペースで通行の障害になる。 WAさんと一緒になった時、おばさん達をかわしながら、会話に興じる事はしばしばだ。

 Waさんのお客の9割は女性で、相談事は男女間の問題が多いそうだ。 男性が少ないのは、問題解決に際し、自力での決断力に富んでいるからで、女性は最終的には自分で決めるにしても、誰か第三者に意見を求めたい欲求が強いとの事だ。Waさんは「占いは統計学」が持論で、特別な霊感は持っていないと言っている。霊感はともかくとして、彼が人に対し深い洞察力と優しさを持っている事は、話していて良く分かる。 マイルドではあるが、男性的な引き締まった風貌とソフトタッチな声と相まって、彼の卦は女性達の心に心地よく響くのかもしれない。

 過去世の話が話題になった事がある。 過去世・あの世の事は、信じない人にとっては絵空事だ。Waさんも最初は過去世の事はとぼけていた。 或る時、Waさんが椅子に座って休んでいる姿が、プールの中から見えた。逆光の薄明かり中、無精ひげの顔を見上げた時、甲冑に身を固めた武者が座っているような錯覚を覚えた。歩きながら話した時に、「過去世は武将ではないか」と聞いてみた。 暫く、自分の顔を見た後、「霊能者から、高山右近だと言われたことがある」と答えた。 彼の人間性から感じるイメージは過去世を聞いて納得した。

 「人には相性がある。相性の悪い人に対してはいくら努力しても親しくなれない。男女間でも同じことが言える。これは占いではどう見るのか?」と聞いたことがある。 この質問に、Waさんは次のように答えた。「人は何種類もの波長を出している。合う波長の数が多ければ多いほど、相性が良いことになる。一つも合わなければ最悪。男女間で全ての波長が合う関係が、所謂、赤い糸で結ばれた仲だ」、これは説得力のある回答だ。 水中歩行中に、このような話をしている自分とWaさんとは、かなりの波長が合っているのかもしれない。

 男女のカップルが占いに訪れる事も多いと言う。相性を聞かれれば、占いで殆んど分かるそうだ。 「相性が悪い卦が出た時、お客さんにどの様に話すのか」と聞くと。 「相性が悪いとはあからさまには言えないので、間接的に示唆するに止める」とのこと。占いの結果は全てではないし、今後二人に、今までにない波長の合致があるかもしれないと考えるからだそうだ。誰でも人の心は自分で気づかない奥行きを有している。 Waさんの人間理解の現れを感じる。

 占い師と言えば、中島とも子の洗脳問題が、一頃テレビで騒がれたことがある。テレビの表面的な情報だけでは、この占い師の本質は見えてこない。時間をかけて調べるような問題でないので聞き流していた。Waさんに「中島とも子の件は仕事に影響がありましたか?」と聞くと、暫くの間、相談者が激減したと言う。 昔、有名な相撲取りが、整体師の洗脳を受けたと騒がれたことがある。 占い師、整体師、鍼灸師、マッサージ師等々、スキルを有すれば誰でも開業できる。だが、実態は玉石混合だ。サプリメントの世界と似ている。 本物の篩い分けは、最後に自力によるしかない事も一緒だ。

 占い師は人の心の内面を各種方法で探り、何がしかの方向性や暗示を与えることで相談者の依頼に応えている。 相談者は悩みを抱えているから、対価を支払っても占いに頼ることになる。 占いの「卦」が頓珍漢で話にならないものなら、金銭と時間の浪費で済むが、心に響くような「卦」を開示されたら、占い師に対する信頼が生じる。それが重なれば、占い師に判断を依存する様になるかもしれない。 占い師が特定な意図を以て相談者に接するようになれば、洗脳は可能だろう。

 Waさんと話していて、その危険性を十分認識していることが感じられた。手相にしろ、姓名判断にしろ、Waさんの言う様に、積み重さねて来た統計学的知見が、一般論としてあることは確かだ。 ただし、相談者に対する卦は、占い師の人としての総合力、謂わば、人間力に依ることになるのだろう。悩める者に対する本当の優しさや、深い人生経験に裏打ちされた洞察力が求められる所以でもある。

 Waさんと話していて、占いの要諦は「心の治癒力を高める手伝いをすることではないだろうか」と聞いたことがある。 暫く考えていた彼は「そうかもしれない」と答えた。 病気を治すのは、医者でも薬でもない。病が治癒するのは、自らに備わった自然治癒力のお蔭だ。医師や薬は治癒の手伝いをする脇役に過ぎない。 心の悩みの解決にも同じことが言えるのだろう。従って、悩みの解決は自力によるしかない。占いはその為のお手伝いなのだ。

 自分自身で悩みの袋小路に陥ったとき、相談した肉親、知人、カウンセラー等の回答は、通常、理詰めの助言が多い筈だ。 正論では悩みを解決できない所が、人の厄介なところだ。 道理的にいくら正しいとしても、悩める人の心に響かなければ、反発しか感じないからだ。 女性は理詰めの話に苦手な人が多いようだ。 だから、理を超越した「占い」の存在価値があるのだろう。人の心とは厄介なものだ。

 Waさんは相談者に対して統計学的に判断できる事柄を説明をし、相談者の人間性を熟慮した上で、アドバイスしている様だ。 Waさんは、相談者の悩みへの本当の解決は、相談者本人しか出来ない事を熟知している様に思える。 人を相手とする仕事で、この辺の匙加減は難しい所だろう。 話を聞いていて、相談者の「心の治癒力を引出し、高める事」が彼の占いの根本にあることが分かる。彼はまだ50代半ばだ。このまま、真摯に修練を重ねた60代、70代の占い師Waさんと話してみたい思いがする。 考えてみれば、それまで自分が水中歩行を続けられるか否かの方が大問題だ。

 Waさんと話していて、占いとは人間学の集大成みたいなものではないかと感じた。 だから、占い師の力量は単にスキルのみでなく、人としての総合力が試されることになのだろう。 真摯で前向きなWaさんと話していると、自分が本当に困り、判断に迷った時、隣町の小さなお店を訪ねてみたい誘惑に駆られる。これもまた、Waさんの魅力のなせる業かもしれない。
 

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