【伝蔵荘日誌】

2012年8月26日: 企業と国家の盛衰 T.G.

 今朝の新聞に元勤めていた会社の記事が載っている。 退職して10年、もうそれほどの愛着も関心もないが、OBとしては一抹の寂しさを憶える内容である。 かっては業界のトップ企業、売り上げ高は5兆円を越え、日経の特定銘柄にも指定された超優良企業だった。 それが今では売上高は3兆円、最盛期の半分である。 一時は株価が3500円を超えていたが、今ではその35分の1、100円を切るという。 世間常識では、株価が100円を切るのは会社が潰れそうなレベルであることを意味する。 あれほど技術力が高く、業績の良かった会社が、たった10年でこれほど落ちぶれた原因はどこにあるのだろう。

 昔のことを振り返って、思いつくことが幾つかある。 一つは管理職試験、いわゆる課長試験のことである。 売上が急激に伸び始めた昭和50年代初めに人事部が始めた。 大卒社員の急増で、すべての大学出を課長に出来なくなったのだ。 その試験を生意気盛りの係長だった頃に受けさせられた。 結果は見事に不合格。 課長なんてなって当たり前と自信満々、舐めてかかった若造社員は茫然自失。 後で上司が人事部に当たったところ、企業経理、労働法など筆記試験は満点に近かったが、論文試験が目も当てられない点数だったという。 お前はいったい何を書いているんだ、何様のつもりだと、推薦してくれれた上司にこっぴどく叱られた。

 仕事に一家言持つようになった野心満々の若手社員は、経営改善提案のつもりだった。 若手の抜擢試験なのだから当然と、意気込んで書いた。 しかし読み方を変えれば一種の経営批判である。 いろいろ文章は取り繕っているが、早い話、俺にやらせてくれたらもっと上手くやると言う文意である。 ほとんど零点だったらしい。 採点には各部署から選ばれた部長クラスが当たったようだが、採点者がよほどカチンと来たのだろう。 小生意気な若造がなに言っているんだと。 こういうアホは課長にするなと。

 受験前に、当時権勢を誇った実力社長の分厚い社長書簡集が受験者全員に配られた。 俺はこうやって会社を大きくしたという老人の自慢話集である。 人事部の意図は、お前達はこれを熟読した上で会社の方針、つまり社長のご意向に沿ったことを書け。 そうしたら課長にしてやると言うことである。 言い換えれば、教祖様の教えに従い、ひたすらヨイショするのが課長の務めと言うことである。 そうすれば当社が望むいい管理職になれる。 そうしなければ、多少仕事が出来ても課長にはしないと言うことだ。 世間知らずの若造社員は、その有り難き大御心が読めなかった。

 可愛がってくれた上司の努力で、例外的に2年後にもう一度受験資格が与えられた。 論文原稿は事前に上司が目を通し、何度も書き直しをさせられた。 少しでも経営批判につながる文言、修飾語、言い回しは徹底的にダメ出しされた。 意識して書いたつもりでも、つい悪い癖が出るらしい。 端から見ると経営批判を連想させるらしい。 文章を書くのは難しい。 頭を空っぽにして、思っていることと真反対の作り話を書くのは至難の業である。 上司には、添削した文章を丸暗記して、一字一句違えずそのまま書き写せと厳命された。 そうしないと、お前の悪い癖でつい筆が滑ると。 書いた論文は、将軍様を崇める北朝鮮国民のような、自分でも気恥ずかしいような社長礼賛文になった。 そのお陰でなんとか課長になれた。

 この課長試験が与えた影響は大きい。 伸び盛りの若い社員に、出る杭は打たれると言う見せしめになった。 自分もいっぺんで懲りたが、同じように痛い目にあった社員も少なからずいただろう。 そう言うことにサラリーマンは敏感である。 以後若手、中堅社員の中で、表だっての提言や経営批判は影を潜めた。 世渡りが上手い、いわゆるゴマスリ上手が出世するようになった。 歴代社長がそうである。 仕事は出来ても角が立つ社員は、大方駆逐された。 課長試験で洗脳された社員の方からそれに迎合した。 自分の部下もそういう風に指導した。 それを何十年も続けたら、それが会社の体質になってしまった。 だからこの会社からスティーブジョブズもビルゲイツも生まれない。 新しい商品も事業も生まれない。 戦後日教組教育が日本の体質を決めたように、この管理職試験が会社の体質を決めた。 教育はつくづく恐ろしいものだ。

 1990年代以降のこの会社を振り返ると、新しい商品、新しい事業分野が生まれたことがない。 この20年、他社の後追いと過去の遺産で食いつないできた。 それが売り上げ半減、株価100円の根本原因である。

 新聞記事は言う。 「この10年あまり、業績悪化のたびに不採算事業や非中核事業を矢継ぎ早に切り離し、業績回復を目指してきた。 だが、その歩みは国内電機メーカーの凋落とも重なり、終わりの見えない縮小均衡を繰り返してきた。 その連鎖から抜け出すには、成長シナリオを描ける事業基盤を確立するほかない。」と。

 資産の切り売りで何とか余命を保っているが、新しい事業には何も手を着けていないと言うことだ。 あのご自慢の本社ビルも、今では他人の手に渡っている。 「売り家と唐様で書く三代目」を地で行っている。

 この我が社の状況は今の日本に酷似している。 経済も安全保障も、教育も社会保障も何もかも、ひたすら事を荒立てず、抜本対策を講じず、過去の遺産でその日暮らしをしている。 少しでも勇気があることを言う政治家は寄ってたかって潰される。 その縛りになっている根本原因は今の日本国憲法だろう。 我が社の社長書簡集と同じである。 憲法が国民の意識を固定化し、停滞させ、意欲を阻害し、すべての改革の障害になっている。 このご神託に少しでも触れると、物事は先に進まない。 安全保障はもちろんのこと、経済も教育も社会保障も何もかも。 神が与えた3分の1条項のために改正すら出来ない。

 憲法が保障する権利の前にすべてが金縛り、社会保障も経済対策も動かない。 国民は併記された義務には目を向けない。 ただひたすら要求だけする。 そのため社会保障や国家債務は増え続けるばかり、一向に減る気配はない。 志を失った財務官僚は、異常な円高デフレをほったらかしにして何も手を打たない。 消費税を取ることしか考えない。 だから経済が衰退する。 外交はひたすら温順、“大人の態度”を貫き、他国に日本の意志を示さない。 領土を他国の大統領に侵害されたのに、総理大臣は「遺憾に思う」と、バカの一つ覚え。 肝心の国家安全保障そのものがアメリカの言いなり。 誰も自力防衛に意を向けない。 我が社と同じで、伸び盛りの頃はそれでも良かったが、縮小均衡に陥った今はもう通用しない。 政治世界のスティーブジョブズ、ビルゲイツの、一刻も早い出現が待たれる。 そうしないと、我が社より前に日本国が潰れる。  

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