【伝蔵荘日誌】

2012年7月29日: 地井武男の死と70歳の坂 GP生

 多少旧聞に属することだが、先日昭和の大女優山田五十鈴が逝去された。 多臓器不全により95歳、最後の人生舞台の幕を下ろした。 13歳で芸能界デビューと言うから、82年に亘る役者人生は、ある意味羨ましい限りだ。 一臓器不全により不本意な死を、若くして迎えなければならない人が多い中で、全ての臓器を限界まで使い切り、役者としても大成した一生は見事なものだと感銘を覚えた。

 今年も多くの著名人が蓋棺録に名を連ねている。 これには「二谷英明81歳・肺炎、三崎千恵子90歳・老衰、邱永漢88歳・心不全、新藤兼人100歳・老衰、中原早苗76歳・心不全、芦野宏87歳・肺炎、北公次63歳・胃ガン、地井武男71歳・心不全、小野やすし66歳・ガン、中原早苗76歳・心不全、安岡力也65歳・心不全、尾崎紀世彦69歳・ガン、三笠宮寛仁親王66歳・ガン、伊藤エミ71歳・ガン」等、各界のそうそうたる面々だ。

 地井武男は自分の好きな俳優の一人だ。 テレビ番組の「ちい散歩」を見る機会が多かった。 散歩の目的地より、住人と彼とのさりげない会話に、彼の人柄が良く現れていて、心和む場面が数多く見られるからだ。 「突撃、隣の何とかゴハン」と評する、ガサツで品性の欠けらもない、ぶしつけに話すことが親しさだと勘違いしている、ナントカヨネスケなる落語家とは雲泥の差だ。 地井の人に対する奥ゆかしい優しさ、美しいものに対する、さり気無い感性は 日本人の持つ心を伝えてくれていた。 地井が最期に書く絵手紙も、彼の人柄がにじみ出ていて、何を描くか楽しみの一つだった。

 彼が体調不良の為、暫く番組から降坂するとのコメントを聞いた時、程なくして復帰してくると信じていた。 ましてや、そのまま不帰の人になろうとは考えもしなかった。 死因は心不全。 テレビ画面からは窺い知れない何かが、身体内で起こっていたのだろう。 70代、80代の円熟した人柄を見せてもらいたかった。 肩掛けバックをなびかせ、軒を接する民家の路地を 颯爽と歩く後姿が目に浮かぶ。 71歳の死は何としても早すぎる。

 先の80歳を超す著名人達は、多くの臓器を耐用限界まで使い切った結果、悔いのない死を迎えた様に思える。 老衰死はその最たるものだ。 外部から窺い知る限りでは、この世での人生目的を達しての一生なのだろう。 60歳後半から、70歳過ぎに亡くなられた方々の多くは、身体の一部の異常による、早すぎる死に思えてならない。

 自分の周囲を見ても、70歳を中心にその前後でこの世を去ったり、心臓や脳等身体の重要部の疾患により、養生を余儀なくされる人達が多い。70歳前後に人体にとって厳しい坂がある様に思える。 先の著名人で長寿を全うされた方々は、70歳の坂を意識せずに越えたのだろう。少なくとも、「医者だ、薬だ」とは縁遠い70代を過ごしたのではないかと思う。 そうでなければ、かくも健康に長寿を全うできる筈がないからだ。

 東京都知事石原新太郎氏80歳や、聖路加病院の日野原重明先生100歳はバリバリの現役だ。 元総理大臣細川護煕氏74歳は湯河原の自宅で悠々自適の趣味生活に没頭している。 見るからに心身とも健康そのものだ。 彼らは70歳の坂どころではない。 70歳の坂を前にあえぐ者との違いは何処にあるのだろう。

 人がこの世に生を受けた時、肉体は両親から授かることになる。両親のDNAの優劣は子供の肉体の優劣に反映される。 活力の高い20代の両親としからざる親とのDNAに違いは有るだろう。 人のDNAは加齢により間違いなく劣化する。 エネルギー産生の中心になるミトコンドリアDNAは母系だ。 だから、母親の活力が高く、長寿であれば、その子供はその特質を引き継ぐかもしれない。 エネルギーレベルの高い人は健康で元気な老後を迎える例は多いようだ。 昔、「結婚する時は相手の母親を見よ」と言われたことがある。 「結婚相手が年を取った時、母親の相似形になる」から確認が大事なだけでなく、「生命力の強弱」を確かめろと言う事なのかもしれない。

 殆んどの人にとって、20代でに致命的な病に侵されることは少ない筈だ。30代でも同じだろう。 40歳を過ぎると意識して努力しない限り、男女共に若い時の体型から少しずつ変化してくる。 体型のみならず、体内の各種代謝機能も30代以前のそれとは異なり、衰えて来るはずだ。 スポーツ選手にとって、30代から40代の初めに引退の時期が訪ている。 しかしこの時期、人は肉体の衰えを意識することは少ない。無理をすれば、若い時に近い身体能力を発揮できるからだ。 この時期に、食生活を含めた生活習慣が乱れていたとしたら、各臓器の細胞に異常の芽が、少しずつ蓄積され始めるかもしれない。

 40代から50代にかけては身体の衰えは、自然と自覚が出来るようになる。 もし、それまでの惰性で身体に負荷のかかる生活を続けたとしたら、臓器に芽生えた異常の芽は、更に成長するだろう。 男にとっては、まさに働き盛りだ。自分もそうであったが、過負荷の生活を避けることは不可避だ。

 先に記した、70歳前後を境にして他界した著名人たちの中年期の生活の実態は分からない。 飲酒、喫煙、睡眠、栄養、運動等のバランスを著しく欠いた生活を続けていたとしたら、70歳の坂を越える事が、誰にとっても困難な事は想像に難くない。 両親から受け継いだDNAが極めて優れた物であれば、不摂生をものともせず、70歳の坂を越えられるかもしれないが、それでも限度がある。70歳の坂を前にして、如何なる状態にあるかは、成人後の生き方が問われる個人差の世界だ。

 著名人が現役であれば、その置かれた立場から精神的ストレスは一般人の比ではないと推察できる。 身体を十分慈しむ生活をしたとしても、ストレスは人の一番弱い細胞を直撃する。 どんな人間でも、肉体的弱点の無い人はいない。 ましてや、60歳を過ぎれば、それまでの生活で身体細胞に負担をかけ続けて来ている。 弱点の耐性や回復力は若い時のそれではない。 ストレスに耐えきず、重要臓器が屈すれば、命取りとなろう。
 いつの時代に、どこの国で、誰を両親としてこの世に誕生するかは宿命だが、成長した肉体をどのように生かすかは、自らの運命の問題となる。 人はこの世に誕生する際に、現世での目的を決めてくると言われている。 どの様な目的を持とうと、この世で生きるには、魂の乗り船たる肉体は不可欠だ。両親から貰った肉体を正常に機能させる責任は持ち主にある。 肉体に異常が生ずれば、約束された人生目的が達成できないからだ。

 この世は因果応報、作用反作用の法則が働いている世界だ。 暴飲暴食を重ねたり、偏食に陥れば、肉体の異常や故障の形で反作用が現れる。 過度の喫煙を重ね、活性酸素の害に曝され続ければ60代以降、重大疾患は避けられない。 自らのエゴを押し通す生活を続ければ、人間関係の崩壊と言う応報を受ける。 如何なる人も合理的判断、理性的思考で生きているわけではない。 感性の赴くまま自らをコントロールできない事は幾らでもある。 いずれにしても、70歳の坂を厳しいと感じるか否かは、それに至る以前の生き方にある事ことに間違いない。

 自分も若い時には、健康の有難味や丈夫な体を両親から貰った感謝の気持ちに乏しかった。 健康で身体が丈夫てあることを当たり前として、随分と無茶をやってきた。 それが若さと言うことなのだろうが、今考えると、当時の己の無知に あきれるばかりだ。 歳を重ね、家族に対する責任や、両親の病や死を経験することで、肉体が健康であることの意味や、人がこの世で生きる意味などを考えるようになったのかもしれない。 高橋信次師の著書や三石巌先生の著書等との出会いも、自分の生き方を変えた大きな要因になっているようだ。二十年近く前の著書との出会いを振り返ってみると、偶然ではなく、何かに導かれていたようにも思える。

 自分の知人に87歳の女性がいる。 10年近く前から寝たきりの生活で、3年前から認知症が進み、現在では問いかけに一切反応しない。 医者から、胃ろうを勧められた家族は、これを断った。 先般、家族から「恐らく永いことありません。その時はまた連絡します」と電話があった。 恐らく、彼女は何の苦しみもなく、あの世に旅立って行くだろう。 彼女は裕福な家庭に生まれたが、結婚以来、夫に苦労し、晩年は、長男の遊興で生じた借金の返済の為に、生活保護費の半分近くを費やす生活であった。 認知症の発症により、彼女は現世での苦しみから解放された。彼女には、70歳の坂は無かった。 結婚以来の人生が、厳しい坂の連続であったのだろう。 彼女が誕生前にあの世で約束した、現世での目的は何だったのだろうか。

 地井武男の死から随分脱線したが、高齢社会に入りつつある我が国の老人にとっても、70歳の坂を上りつつある自分にとっても、先の著名人たちの人生結果は他人事ではない思いだ 。山田五十鈴の様な終焉を迎えるには、まだまだ未熟な自分にとって、努力が必要なようだ。
 

目次に戻る