【伝蔵荘日誌】

2012年7月15日: 尖閣諸島と国民の意識 GP生

 野田総理が尖閣諸島国有化を唐突に言い出した。 今年の4月に、石原慎太郎都知事がアメリカで尖閣諸島購入計画を発表して以来、国は「色々な方策を検討している」との、官房長官談話でお茶を濁してきた。 都購入の表明以来、多額の寄付金が国民から寄せられた。 当初は、東京都の金で都民に直接関係のない尖閣諸島を購入するのは、おかしいとの意見があったが、国民運動に近い、購入賛同の前に大きな声にはならなかった。 民主党内のゴタゴタ解決に、指導力を発揮も出来ず、支持率凋落傾向の野田政権が、世論に迎合したパフォーマンスにしか思えない。

 一地方自治体である東京都の購入と外交権を有する国有化では中国に与える影響は異なるだろう。 早速、漁業監視船二隻が我国への領海侵犯行動を起こした。 相手が弱いとみれば、傍若無人の実力行使を平然と行い、力は正義と信じる相手に力で対抗する覚悟があっての国有化宣言なのだろうか。 東京都は購入後はいずれ国有化と、最初から宣言しているにもかかわらず、今の時期に横合いからしゃしゃり出てくるセンスの無さはどうだろう。

 先日テレビを見ていたら、尖閣諸島購入特集を行っていた。 専門家を招き各種質問に答える構成であった。 この時、常連女性コメンテーターの質問が脳裏に焼き付いた。 「尖閣諸島は日本の領土とおっしゃるが、何処からか出された証明書みたいな物があるのですか」と聞いたのだ。 専門家は「証明書はありません。 無人島は何処の国であれ、最初に自国の領土と世界に宣言し、異論が出なければその国の領土になります」と説明していた。

 歴史的には、日本政府は明治18年に尖閣諸島の実態調査を行い、「この島が清国に所属する証拠がない」と判断し、10年後の明治28年に日本の領土であることを閣議決定している。 清国を含め、いずれの国からも異論は一切なかった。 以来、尖閣諸島は日本領土として確定した。 明治29年に古賀辰四郎氏が4島を無償貸与を受け、太平洋戦争前まで鰹節工場を経営していた。最盛期には200人以上が居住したと言う。 誰が見ても尖閣は日本の領土以外の何物でもない。 それにもかかわらず、領土の証明書なる発想には驚いた。 世界中を見回してもそんな権限を有する国際機関はある訳がない。 この様な日本のインテリによく見受ける確信犯的無知は、戦後民主主義教育の一つの成果なのであろう。

 国家や国土に関する国民の無関心は、アングロサクソン民族が日本を恐れるあまり、民族の誇りと自立心を抜き取るのに成功した証かもしれない。 戦前の軍国日本の反動から、「国家」なる言葉に感情的反発を覚えた国民が多かった時代もあった。 地球市民なる幻想はともかく、国家意識を持たずとも日本は経済的に発展し、国民は豊かになっていった。 冷戦と日米安保条約のお蔭であるにしても、国民は一国平和の果実を享受した。 そして、いつの間にか国民の国家意識は希薄となり、いざの時はアメリカ頼みの依存心が、真の自立心を奪い取っていったのかもしれない。 必ずしもアメリカが頼りになる存在ではないのに。 アングロサクソンが日本の牙を抜く目的は達せられたように思われる。

 自立心喪失の根源は日本国憲法前文にある。 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある如く、我が国の安全保障を、何処に居るか判らぬ「平和を愛する諸国民」に委ねてしまったのだ。 従って、不要となった戦力は放棄した。 この理想だけで、国際社会の中、国家運営が出来ないのが現実だ。 それにしても日本語としてはひどい悪文である。 知性も品性の欠けらもない。 進駐軍が作った英文の直訳だから無理もないが

 日本は現実に即さない基本法を変更することなく、憲法解釈で無理を繕ってきた。 それでも、戦前戦後を生き抜いてきて人達が社会の中心にいた時代は国家としての尊厳は曲がりなりにも保たれてきた。 自分の小中学時代の教師達を思い出しても、皆、一本筋が通った存在だった。 孫達の担任教師からは、「これでよく先生が務まる」との頼りない印象しか受けない。 政治家を含め日本人が劣化している証拠であるのだろう。

 尖閣の領有権にしても、「尖閣諸島は日本古来の領土」であると、お題目を唱えるだけでは他国に対して説得力を持たない。 彼らも「我が国固有の領土」と唱えているからだ。 政府首脳は何故、手際よく歴史的事実を語らないのか。 清国の遭難漁民を尖閣諸島の住人が助けた時の、清国からの礼状まで残っているではないか。 当時、清国は尖閣諸島を日本の領土として認めていた。

 尖閣周辺の海域で地下資源埋蔵の可能性が論じられてから、中国、台湾が何の根拠もなく、俄かに領有権を主張してきた。 この時期、昭和天皇は識者に「尖閣諸島に蘇鉄は自生しているか」と質問された。 識者が自生しているしている旨答えると、天皇陛下は静かに肯かれたという。 蘇鉄は沖縄群島にしか自生していない。 いかにも昭和天皇の生物学者らしい自己主張ではないか。

 尖閣諸島が民有地となった歴史的経緯はあるにしても、国内的には所有権移転手続きに過ぎない。 都有地となっても、国有地であっても、世界に対して歴史的事実を踏まえ、もっと情報を発信しなければならない。 一国の総理大臣が「我が国固有の領土」のみを繰り返すことは、世界に対して思考停止していることと同じではないか。 危うい限りだ。

 戦後民主主義教育に毒されたと言えども、東京都の購入計画に賛同した国民の意識を想うと、まだ捨てた物ではないとの思いがある。 尖閣諸島実効支配の為に体を張り、命がけで頑張っている海上保安庁の現場の諸氏の活躍が、かろうじて日本国の体面を保っている。 一海上保安官の勇気により、中国漁船の巡視船体当たりの実態が世界に発信された。 時の政府は面目を失い、日本国民は心の底に埋もれていた愛国心に火をともされた。 中国の盗人張りのやり方に腹を据えかねていた国民も多かったであろう。 東京都知事の決断が、心ある国民の心を揺さぶった。 でなければ、かくも短期間で13億円を超える寄金が集まる訳がない。

 尖閣所諸島が日本固有の領土でありながら、日本漁船は島の漁場での漁はできず、政府は国民をも島への接近も上陸も禁止している。 日本人の島に対する行動により、中国を刺激し面倒な外交問題を生じさせたくないだけの理由で。 この及び腰が他国に付け込む隙を与えた。 日本的謙譲の美徳が世界に通じるはずがない。

 政府が尖閣に各種規制を行える法的根拠は、島の所有者たる民間人と賃貸借契約を結び、地代を支払っていることによる。 東京都が島を購入し、沖縄県や石垣市の為に施設を造ったとしたら、政府は介入や規制を行える根拠を失ってしまう。 だから、現状維持のことなかれ主義を押し通すために、国有化を言い出したのだろう。 自衛隊を駐留させる覚悟など有る訳などないのに。 英紙の取材に対し、「都の尖閣諸島購入が実行されれば日中関係が極めて重大な危機に陥る」と発言した丹羽中国大使は何処の国の大使か。 こんな大使をそのまま放置して国有化宣言などおこがましい限りだ。

 石原都知事は「これまでの経緯もある、黙ってみていてくれ」と政府提案を一蹴した。 手順を踏んで素早く購入手続きを進めれば良い。 国民世論の動向に敏感な都議会の反対は僅かなものだろう。 購入のみならず、島の実効支配のための行動を、東京都が起こせば、中国は当然反発し何がしかの行動に出るだろう。 その時こそ、日本政府の出番だ。毅然と対処することだ。 果たして出来るか。

 「国を守ることとは如何なることか」を知らしめる、千載一遇の機会を東京都が提供した。  識者が指摘するように、尖閣諸島の問題は日本にとって領土問題ではなく安全保障のも問題であり、他国の侵略の恐れに対する自衛の問題なのだ。 先のテレビ出演者の「領土の証明書」なる他力本願の感覚は、彼女独りだけのものではないはずだ。 家庭や家族は自らが守らない限り誰も守ってはくれない。 この自明の理は誰でも知っている。 同様に、国土を守り国民を守ることは国民一人一人の自覚と覚悟にかかっている。 この覚悟が政治家や政府を後押し、彼らの責任を覚醒させることになるのだ。 東京都の尖閣諸島購入が閉塞感溢れる日本の転換点になる事を願っている。
 

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