【伝蔵荘日誌】

2012年7月8日: 本当の「富」、日本はまだまだ豊か T.G.

 JPPress(Japan Business Press)というweb雑誌で、「世界各国の本当の「富」:日本はまだまだ豊か」と言う興味深い記事を見つけた。 JPPressは国内外の識者やジャーナリストの論説を偏らずに掲載しているので、毎日目を通している。 この記事は6月26日付けで(英)エコノミスト誌に掲載された論説の日本語訳である。

 記事を要約すると次のようだ。

 国家の経済力を表す代表的な指標はGDP(国内総生産)である。 しかしGDPは財とサービスのフロー(所得)を評価するものであって、資産のストック、すなわち富を評価するものではない。 経済をGDPだけで評価するのは、バランスシートを見ずに四半期利益だけで会社を判断するようなものだ。 今まで国家の富を測る尺度はなかったが、この6月に国連が世界主要20ヶ国のバランスシートを公表した。 バランスシートには3種類の資産が含まれる。 生産された資本、すなわち物的資本(Physical)(機械、建物、インフラ等)、人的資本(Human)(人口の教育と技能)、そして自然資本(Natural)(土地、森、化石燃料、鉱物等)である。



 この指標で各国が持てる富を推し量ると、ダントツ1位は米国で、2008年の総資本額は118兆ドルに達し、GDPの10倍である。 日本は2位で、米国の半分以下の55兆ドルだが、国民一人あたりに換算すると米国を上回り世界一である。 GDPで日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になった中国は、総資本で見ると日本の3分の1に過ぎなく、一人あたりの額はリストの欄外に落ちてしまう。 つまりここ20年の長きにわたる不況と経済低迷にも関わらず、日本国民は世界一の金持ちなのだという。 何とも嬉しい話ではないか。 こういういい話は久しく聞いたことがない。

 このレポートは次のようにも言う。 日本は1990年から2008年にかけて自然資本を消耗しなかったわずか3ヶ国の中の1つである。 ロシア以外のすべての国は自然資本を減少させたが、それ以上に他の資本を増やした。 調査対象の20ヶカ国のうち14ヶ国で富の増加が人口の伸びを上回り、2008年の1人当たりの富は1990年よりも多くなっている。 つまり世界は豊かになっていると言うことだ。 ドイツは人的資本を50%以上増やし、中国は「生産された」資本を実に540%も拡大させた。 サウジアラビアはこの期間に原油ストックを370億ドル分消耗したが、その金で義務教育修了者と大学卒業者を増やしたため、人的資本はほぼ1兆ドル増えた。 つまり、最も重要な富は人的資源で、たとえ資源がなくてもGDP的経済力が低下しても、教育や社会制度の充実で人的資本を増大させれば、国家はいくらでも金持ちになれると言うわけだ。

 このレポートはケンブリッジ大学のパーサ・ダスグプタ教授の監修によるものだそうだが、いろいろな見方、異論はあるだろう。 今の不況のさなか、褒められた当事者の日本人から、「そんな実感はない、何かの間違いでは?」と反発が出そうだ。 表の棒グラフを見ると、バランスシートの富の大部分を占めるのは人的資本である。 日本や米国や英国の場合、ほぼ70%以上を占める。 自然資本の割合の大きいカナダやオーストラリアでも50%近い。 どういう計算に基づいているか不明だが、この人的資本の評価次第でこの順位は大きく変わりそうだ。 いささか過大評価であったにしても、日本がもっぱら人的資本の尺度で世界一豊かと評価されたのは大いに勇気づけられていい。

 これと真反対なのは、最近スイスのIMD(経営開発国際研究所)が発表した国際競争力ランキングである。 それによると日本の国際競争力は27位で、米国(2位)はもとより、香港(1位)スイス(3位)シンガポール(4位)に大きく引き離され、韓国(22位)中国(23位)をも下回っている。 不況で苦しむ日本人を大いに落胆させる内容だ。 この二つのレポートの、いったいどちらが真実を表しているのだろう。 いくら見方や尺度が違うとはいえ、結果に落差がありすぎる。

 やれ円高だ、不況だ格差だといろいろ言われながら、今の日本、実感としてかなり豊かなことは確かだ。 愚痴を言いながらも、誰も食うに困らない。 そこそこに贅沢をし、美味しいものを食べ、そこそこの衣服を着ている。 住むにも困らない。 みすぼらしいなりをした子供なんてまず見かけない。 乞食はいないし、餓死や栄養失調なんて死語だ。 我々の頃は当たり前だったが、今の若い人は意味も分からないだろう。 教育も医療も行き届いている。 若者まで働かずに生活保護を受けられる。 その結果平均寿命は世界一だ。 国中にインフラが張り巡らされていて、街中を歩いていてもまず危険はない。 こういう豊かな国は世界に希である。 こういう安定した社会は人的資本がよほど豊かでないと成り立たない。 その意味では国連レポートの言うとおりなのだろう。

   その反面、あまりに豊かで国中に緊張感がなくなっている。 若者の向上心や労働意欲が薄れ、企業の革新力や政治家、官僚の資質が低下している。 余裕がありすぎて、中国や韓国、香港、シンガポールより劣ると言われても唯我独尊、自尊心が傷つかない。 ソニーやパナソニックがサムスンにこてんぱんに打ち負かされても、経営者は闘争心が湧かない。 昭和の頃のような、国中が歯を食いしばって働いた活力が消え失せている。 それがIMDレポートの言いたいことなのだろう。 要するに豊かさ元である人的資本が劣化し始めているのだ。 豊かさと競争心は二律背反で、両立しないのだろうか。 豊かになると頑張らなくなるのだろうか。 そうだとしたら、日本はこの先どうなるのだろうか。 いつまで豊かであり続けられるのだろうか。
   

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