【伝蔵荘日誌】

2012年6月2日: マニュアルと思考硬直  GP生

 現在の社会はあらゆる分野にマニュアルが存在している。 ファミレスやファストフード店では、調理経験のない素人でも、短期講習でお客に提供できるフードレベルまで達することが出来る。本格的料理人でなくとも、誰が調理しても、定められた味が出せるのはマニュアルのお蔭だ。「早く、安く、大量に」はマニュアルの存在なしには不可能だ。

 最近、7年間通い慣れたスポーツジムで、マニュアル故に大変不愉快な経験をした。 いつも通り午前中にジムに行き、プールで水中歩行を始めた時、「自宅に電話してほしいとの伝言が入りました」とスタッフから言われた。電話をすると、「業者に依頼していた仕事の緊急変更で、直ぐに家も戻って来てほしい。」との事だった。 その時、家人から「プールに居るので、自宅に電話するよう連絡を取ってほしいと、受付の女性に依頼したら、ジムに居るか否かは個人情報なので、応えられないと言われた。事情を話し、連絡か取れないと困ると言った所、会員の住所は、電話番号は、生年月日はと立て続けに問われ、それに答えると、連絡はするが、連絡が取れるか取れないかは分かりませんよ」と突き放すように言われたと聞かされた。

 帰りがけにジムの受付で、対応した女性に「何故、真っ当な対応が出来ないのか」に始まり、不審に感じた点を幾つか問い質した。 所がこの女性、「マニュアルで、外部からの電話内容を会員に取り次いではいけないことになっている」との返事で、何を話しても「マニュアル」一点張りで話にならない。

 責任者の支配人が出勤していないので、午後に支配人に電話をした。支配人は「他のジムで会員が不在と返答をした結果、会員とトラブルになったので、以降、ジム全店で電話での在不在確認には対応していない」と言う。 我が家では、家人の体調不良や仕事の関係で、一年に3〜4回は電話せざるを得ない事。家族の緊急入院、極端な場合、危篤連絡でも拒否するのか。 もし連絡されないことで生じた損害、精神的苦痛に対して補償する用意があるのか。 今回は頼み込んで、連絡してもらったが、緊急連絡に際して、「住所は、生年月日は」的な確認をされたら不快感しか残らないだろう。 高齢者の多い午前中のジムでは、家庭からの問い合わせはいつでも考えられる。 サービスを生業とする業種での対応とは思えない。100に一つのトラブルを恐れ、99のサービスを放棄することは、「人」を扱っているスポーツジムとしての責任放棄ではないのか。 マニュアルの目的は会員サービス向上のためではなく、ジム及び担当者の責任回避の為にあるのではないか。 等々、疑問点を質した。

 支配人は「言われることはもっともだ。検討時間を貰いたい」とのことであった。 翌日電話した所、今後問い合わせに際して、「在、不在の確認対応は出来ないが、館内放送等を利用して要望事項に対応する。 今回の事務的、且つ突き放した対応に対しては、今後教育により是正していく。 不愉快な思いをされたことは申し訳ない」との回答であった。

 マニュアルは状況に即しての行動や方法を示した説明書で、社会や組織における個人の行動を明文化し、全体で一貫した対応を取らせることを目的にしている。 組織が巨大化したり、業務内容が複雑化すれば、所定の役割を効率的に行なう為にも、マニュアルは必要不可欠だ。 想定状況に応じた考え方を示すガイドラインは、予想外の事態に柔軟に対応できるメリットが有るが、「考え方、理念」の抽象的概念を、関係者に理解させ、応用させるとなると、かなり難しい。 その点、マニュアルはかなり細部までの行動を決められるので、誰でもが対応可能の反面、想定外の事態に対しては、適切な対応が困難になる。 細部まで規定されているので、柔軟性が乏しくなるからだ。

 今回自分が経験したことは、担当の女性がマニュアルに忠実であろうとした結果、硬直した対応しか出来なかったことに尽きる。 マニュアル依存による思考停止だ。このジムでマニュアル作成に至ったのは、会員がジムに居るか居ないかの外部からの問い合わせに対し「不在」と答えたことから始まった。 この会員はジムに行くと称してアリバイを作り、別の場所に出かけていた。 ジム側はアリバイが崩れたこの会員から「何故、教えた」と厳重に抗議され、以降、ジムに会員がいるか居ないかの問い合わせに対して、「ノーコメント」にするとのマニュアルが出来た。

 ならば、家人の「自宅に電話するように連絡を」の依頼に対して、「館内放送で対応します」と答えればよいことだ。 在、不在に答える必要は無い。 担当の女性はマニュアルに縛られ、思考が硬直した故に、柔軟な対応を発想出来なかった。

 どの様に精緻なマニュアルを作成しようと、現実に起こる問題は何時も想定外が普通だ。 昨年の大震災や原発事故に際しては、既存のマニュアルは殆ど用をなさなかった。 当時の内閣では緊急時マニュアルの存在さえ知らなかったのだから、何をか言わんやだ。 緊急の問題に直面した時、マニュアルに従っていては身動きが取れず、事態をさらに悪化させることが多い。 鉱山勤務時代には掟破りの拙速を以て、突発事態に対処した記憶が多々ある。 状況に即した柔軟な発想と決断、実行は、この世に生きていく上で誰にでも求められる能力だと思う。 我が国で多種多様なマニュアルが幅を利かし、多くの人達がそれに従って生活出来るのは、社会が安定している証に違いない。

 「マニュアル人間」なる言葉がある。 思考が硬直して、マニュアル以上の発想が出来ない人間の事だ。 先のジム担当女性がその典型だし、患者の特性を考えず、マニュアル通りの処方しか出来ない一部の医者がそうだ。 マニュアルは如何あれ、現実はマニュアルの先にある。 マニュアルを現実に即応させるため、上司や責任者の指示を待たず、マニュアルから逸脱した行為は、組織人として許されぬことだろう。 マニュアルに従いつつ、現実の問題に対応するには、柔軟な発想により解決するしかない。 場合によっては、ほんの少しの独断を、個人の責任ですることも必要かもしれない。 現在の世の中は、個人が責任を負うことを忌避する傾向は極めて強い。 上から下まで責任逃れに汲々としている感がある。 先ごろ生じた、一連の警察不祥事を見てもそうだ。 マニュアルは責任回避の道具のようにも思える。

 昔、関東のある県の公害担当部所が、芋でんぷん廃水処理対策を体系的に作る目的で、水処理会社に協力を求めて来たことがあった。 現地実験を含め、詳細な報告書を県に提出した。 他の水処理会社も同様な行動を執った筈だ。 県担当はこれ等をまとめ、分厚い製本とした。 いわば、「芋でんぷん廃水処理のマニュアル」だ。 これを関係各所に配った。 それで終わりだ。 汚水浄化のためのアクションはその後一切無し。 その後も、高濃度汚水の垂れ流しは続いた。現実問題の解決には多くの労苦が伴う。責任を伴う実行を避け、「仕事はしていますよ」とのパフォーマンスのためのマニュアル作成だ。 汗をかいたのは水処理業者のみ。 役所マニュアルの典型である。

 問題が起こると、マニュアルの有無がいつも問題になる。 しかし、事態の解決はマニュアルを作った後にある。 マニュアルを作るのも人間、マニュアルを実行するのも人間だ。 知識は実行して始めて智慧になる。実行し、または演習することで、実際の備えとなる。 当初の不備は修正され、より実用に耐えうる内容に進化出来る。 マニュアルを実行する人間の資質と人間力が、マニュアルに命を与えるのは、いつの世でも同じだ。 不断の努力が必要とされるのは論を待たない。 書棚の中に鎮座する分厚いマニュアルは飾り物。 マニュアルを作った安心感は、信仰に過ぎない。

 有事には10のマニュアルより、経験豊富で腹の据わった一人の指導者の存在が、現実的対応を可能にする。 昨年の大災害で幾つもの実例がある。その対極例は見飽きたし、聞き飽きた。 国家を背負って立つ日本国のリーダー達が、国家非常時に際し、マニュアルを超えた現実的かつ柔軟な対応が可能か否かが問題だ。 補佐官達の懸命な努力にもかかわらず、ピントはずれの回答に終始する防衛大臣の存在は、防衛マニュアル以前の問題だし、彼への手助けは人的資源の浪費でもある。 想定外の出来事に対して、現政権に迅速な対応を望むのは、無い物ねだりになる。 今そこにある問題すら回答を出せないのだから。 周囲の国々の存在を思えば、我が国の平和はかりそめに過ぎない。 無為のまま、立ち往生している現政権の、一日も早い退場を願うのが普通の感覚だろう。 我が国に対して、仇なす政治家を退場させるマニュアルは総選挙しかない。

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