【伝蔵荘日誌】

2012年5月8日: 高齢者の山岳遭難に想う GP生

 先日のゴールデンウィークでは山岳遭難の報道が相次ぎ、北アルプスで8人が死亡した。 遭難者のすべてが60歳以上。最高齢が78歳の高齢者だ。 全員が低体温症による死亡と聞く。若い頃「好きな山で死ねたら本望だ」などと、意気がった時もあったが、年齢に関係なく、山歩きは楽しむ行為であって、死すべき行為ではない。その為には、気象情報による山岳環境の予想や、それに対応した装備品の準備をするのが常道だ。

 今年の5月の連休は東京でも天候不順で、天気図を見ると、春特有の低気圧の移動が激しいように思われた。 この時期、2000m以下の低山では雨でも、3000メートル級の北アルプスでは吹雪になりうることは、山に登る人たちにとっては常識だ。 今回の遭難者の略歴を新聞報道で見る限り、中高年になって山を始めた初心者はいない。 皆、若い時から山歩をして来たベテラン達だ。 そんな彼等がなぜ遭難死したのかを考えたのは、70歳を過ぎても未だ野山を駆け巡っている、かっての山の仲間たちに想いを馳せたからだ。

 白馬山荘を目指し、小蓮華岳周辺の山稜で亡くなった6人の方々は、何れも山のベテランであり、日頃から体を鍛えていたと報道されている。唯、服装は夏山の軽装であったとある。 これだけのベテランのパーティが、予め天候不順が予測されていたのにもかかわらず、十分に備えていた節は見られないのは如何したことだろう。 自分たちが山歩きをしていた、昭和30年代は、現在の様な装備は無かったし、あったところで貧乏学生には手が届くはずはない。入手できる装備は米軍放出のシュラフ、ポンチョ、それに防水機能が不確かなウィンドヤッケ位であった。 亡きTo君の口癖は「ウィンドヤッケを着る時は、命の危険を感じた時だ」であった。 通常の山行で、彼のヤッケ姿を見たことがない。 何時もキスリングにビニールで包んでしまってあった。

 時たま顔を出す近隣の登山用具店の品揃えを見ても、防寒用ウエア―を始め軽量高機能の各種ウエア―の種類には驚かされる。 自分が山歩きを止めて久しいが、未だ現役の仲間たちは、これ等を着こなしているのだろう。 彼等は遥か昔に貧乏学生を卒業し、現在は悠々自適の身分だ。 当時、冬山でなくとも、寒さが予測される山行の場合には毛糸のセーターを肌着とした。 汗をかき肌が濡れても、雨に濡れても体温喪失を防止出来るからだ。 ズボンは吸湿性の高い木綿製は避けた。 其の他の衣類も工夫を重ねて目的山行に対応した。 見てくれよりも機能重視で、金を懸けずにが大切だった。

 唐沢岳で遭難死した71歳の男性は40年の登山経歴を有するベテランで、装備も十分であったという。 同行した女性が低体温症で動けなくなったために、山荘に救助に向かい、30分手前で力尽きたとあった。 吹雪交じりの強風が吹き荒れる、氷点下の3000m級稜線の厳しさは想像を絶する。先の8人をも含めての疑問が「何故、悪天候を予想されるこの時期に北アルプス登山をしたのだろうか」だ。 学生時代の合宿は予め計画準備されていたし、休日制約があるので、余程の事がない限り計画破棄した記憶はない。 遭難者の経歴を見ても、もっとフレキシブルに計画変更できる立場の人達の様に思えるのだが。

 昔は、今ほどの気象情報は少なく、NHKの気象情報を携帯ラジオで聞き、自ら天気図を起こし、経験による知見を加味して自分の居る山岳地帯の気象を予想した。 現在は地域天気予報は至れり尽くせりだ。 それでいて、栂池高原の山小屋を出立して白馬小屋に向ったのは何故だろうか。 当時の現地の状況から、大丈夫と判断できた何かがあったのかもしれない。 山のベテラン故に、この程度なら何とかなるとの思いがあったのかもしれない。 この辺の心情は外部からは伺い知れない。

 今回の遭難死の特徴は「高齢者の低体温死」だ。 寒さや雨により体温を奪われ、判断力低下、意識喪失、不整脈、昏睡から死に至る。 体温を奪われても、自身の発熱により補えれば、低体温症を起こすことはない。 稜線で濡れた状態では歩行を止めることは死に直結する。 対処する手段は二つだ。一つは高カロリーで吸収力の高い食べ物を口にしながら、至近の山小屋を目指し歩き続けることだ。 身体からの発熱を止めないために。 静止休息は死を招く。もう一つの手段は稜線の風の弱い窪地を見つけ、ツエルトを張り、濡れた衣類を交換して、お互い体を寄せ合い体温の放熱を防ぐことだ。 この場合でも、高カロリー食は必須だ。 ツエルトがなければ助かる手段は、歩き続ける事しかない。 彼らはそうして、力尽きた。

 もし、この6人が20代のパーティであったとしたら、結果は如何なったであろうか。 かって、ここまで過酷な状況ではなかったが、似たような環境を歩き続けて切り抜けた経験がある。 当時の貧弱な装備での体温喪失はあったが、チョコレートを食べながら歩き続けた。 胴震いが来るような経験はしていない。

 20代と60代との違いは、エネルギー産生能力だ。 桁違いに違う。エネルギーは各細胞内の発熱器官ミトコンドリアにより、ブドウ糖や脂肪を原料として酸素の存在下、ATPサイクルにより産生される。 この時、ミトコンドリア内にCoQ10が少なければ、ATPサイクルはそれなりにしか機能しない。CoQ10は食物からも摂取できるが、必要量の殆んどは肝臓で作られる。肝臓病を患うと、気力、体力の喪失感が著しいのは、CoQ10の減少によるところが大きい。 一般的に、60代ではこれの産生量が60%以下となり、70代ではさらに低下する。 それに、高齢者特有の心肺機能の低下が加わる。 酸素の希薄な3000メートル級の高地での活動は、心肺機能や代謝機能の衰えた高齢者にとっては過酷な環境と言える。 ましてやね吹雪下の北アルプス稜線だ。高齢者にとって致命的となりうる。 だからこそ、慎重行動が求められるのだが。20代のパーティーであれば、恐らく助かったであろうと推測するが、果たしてどうであろうか。 唐沢岳での6人のパーティの内5人は生還している。 生還者の年齢構成は不明だ。

 遭難したパーティーの人達も、かつては同様な悪環境を何度も潜り抜けてきた経験を持っていたと思う。 だから、それほどの心配もせず、栂池高原の山小屋を発ったのだろう。 けれど、身体は昔のそれではなかった。遭難した方の中で現役の医者が多い。 本来であれば、高齢者の人体機能の低下に造詣が深い人達のはずだ。 どこかに、過信があったのだろうか。

 自分の山の仲間は現在も定期的、且つ不定期に山行を繰り返している。 彼らの話を聞いて感じるのは、年齢以上に元気すぎる友人の危うさだ。 一病息災ではないが、自分の体力の衰えを自覚している友人は山歩きに慎重のようだ。 元気な友は、未だ下山途中で駆け降りている。 老人はトレーニングで幾ら足腰を鍛えても限度がある。 常日頃のトレーニングなしに、山道を駆ければ転倒の危険は常に存在する。 ハアハアと肩で息するような行為は、全身が活性酸素に侵されていると思わなければいけない。 少しオーバーだが。元気はつらつ、気持ちは大事だが、身体がついていかないのが通常だ。

 加齢による身体機能の低下は、程度の差はあっても誰でも避けられない事だ。 老後の生き方は人それぞれだが、趣味生活は身体機能の身の丈に合ったやり方が必要に思う。 自分にとって、かっての学生時代に苦楽を共にした仲間の存在は貴重だ。 毎年の伝蔵荘例会で元気に顔を合わすことが出来る為にも、年寄りの冷や水的な山歩きの自粛を願うものである。
 

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