【伝蔵荘日誌】

2012年4月28日: 法治主義のジレンマ T.G.

 クリント・イーストウッド主演の刑事物映画「ダーティー・ハリー」に次のようなシチュエーションが出てくる。

 サンフランシスコ市警の刑事、ハリー・キャラハンが少女誘拐犯と思われる男を取り調べる。 緊急の場合だったので捜査令状は持っていない。 男の話から少女の命が危うい状況と知り、やむを得ず犯人を殴りつけて少女の監禁場所を白状させる。 現場に急行したが少女はすでに惨殺されていた。 それなのに容疑者は法廷で無罪となり、釈放されてしまう。 少女の居場所は刑法で言うところの「犯人しか知り得ぬ真実の暴露」で、絶対的な証拠である。 にもかかわらず裁判所は、暴力に訴えた不法な取り調べで得られた証拠は採用できないという理由で、犯人であることが明々白々の男を無罪にした。 キャラハンの方を向いてふてぶてしい笑いを浮かべて法廷を去っていく犯人を見て、観客はあらためて法治主義のジレンマを思い知らされる。 法治とはかくもまだるっこしいものかと切歯扼腕する。

 昨日の小沢一郎無罪の判決理由を聞いて、これとまったく同じ構図だと感じた。 秘書の石川、大久保被告が政治資金報告書に虚偽の記載をし、これを小沢被告に報告したことは裁判所も認めている。 つまりそう言う事実(報告書)を小沢被告が知り得ていたことは、本人も裁判所も認めている。 しかしながら内容が虚偽と小沢が知っていたかどうかが問題になる。 ここが政治資金規正法のいい加減なところだが、本人が虚偽と知らずメクラ判を押したら罪には問われない。 そう言うザル法なのだ。 秘書たちが虚偽であることを小沢本人に告げ、その旨を小沢が了承したと言う共謀の証拠がない。 虚偽とは知らなかったと小沢が言えばお終いだ。 人の記憶が嘘だという証拠などあるわけないからだ。 いくら怪しくても、証拠がなければ法は罪に問えない。

 今回の検察審査会の再起訴に当たって、検察は石川被告を再度任意で取り調べた。 石川被告がその旨を(虚偽記載を)小沢被告に告げたニュアンスの調書を作り、検事役の指定弁護士に与えた。 指定弁護士側はそれを小沢被告の共謀の証拠に使った。 しかしながら誰の入れ知恵か、取り調べの際石川被告は録音機を懐に忍ばせていた。 そのやり取りの録音内容と調書文面がきっちり合っていないと言うだけの理由で、裁判所は証拠採用しなかった。 録音を聞いても確かに調書の記述とは違っているが、真逆なことを言っているわけではない。 調書が真っ赤な嘘と言うほどではない。 取り調べ内容を後刻記憶に従って文章化すれば、その程度の違いは出てくるだろうというレベルの差である。 にもかかわらず裁判所は、それ以外のすべてを事実認定しておきながら、すなわち秘書らが意図して虚偽記載をし、その報告書を小沢に見せ、小沢は了承したことを認めながら、問題の調書を証拠採用しなかった。 調書の作り方が不適切だと言う理由、ただその一点だけで小沢を無罪にした。 記者会見で検事役の指定弁護士側は、「裁判所は我々の主張をほぼ全面的に認めた。 それなのになぜ無罪にしたのか理解できない」とぼやいていたほどである。 多くの日本人もダーティハリーと同じような法治主義のジレンマを感じたに違いない。

 似たような事例は2年前の厚労省の「郵便割引制度悪用事件」にもあった。 実体のない障害者団体「凜の会」が、厚労省の課長名で発行された証明書を悪用し、その取り巻き企業に総額40億円にも及ぶ郵便料金を踏み倒させたという巨額詐欺事件である。 当時の厚労省の木村厚子課長を逮捕取り調べした検事が、証拠のフロッピーを改竄したと言う、ただそれだけの理由で裁判を打ち切り、被告を無罪釈放した。 その結果、厚労省課長の発行する証明書を使った巨額詐欺事件が、いちノンキャリ課長の個人犯罪に矮小化されてしまった。 課長の権限の元に行われた犯罪について、元課長に何らの関与がなかったなどというわけがない。 その証明書には課長本人のサイン、捺印が要る。 部下の係長が作った証明書を虚偽と知らずにサインしたというなら、虚偽とは知らなかったと言い逃れした小沢と同類である。

 法律には「やってもいいこと」は書かれていない。 「やってはいけないこと」しか書かれていない。 いくら不道徳で、悪辣で、人倫にもとることをやっても、法律に書かれていなければ罪にはならない。 そうなると分かりながら秘書に虚偽の報告書を作らせておいて、虚偽とは知らなかったととぼけるのは、悪辣で悪質で、政治家にあるまじき不道徳の極みである。 役所のトップが巨額の金が動く許認可権限を部下任せにし、日常的にメクラ版を押していたのは、怠惰を通り越して限りなく犯罪に近い。 それでも法律にやってはいけないと書かれていないので罪には問われない。 法治のジレンマというか、限界である。

 そもそも今回の事件の本筋は西松建設と小沢の間の巨額贈収賄である。 小沢は収賄を否定しているが、西松側は贈賄を認めている。 それを政治資金規正法などという天下のザル法で別件逮捕しようと言うのが筋違いなのだ。  いくら虚偽記載をしても、秘書任せというだけの理由で言い逃れできるような法律では、小沢のような性悪は捕まえられない。 民間の場合、脱税の決算書は経理課長に任せでは通らない。 政治家を取り締まるこの法律は、まな板の鯉の政治家が作った。 抜け穴はいくらも作ってある。 政治家小沢はそれを知り尽くしている。 石川被告に録音機を隠し持たせ、取り調べの録音内容と調書文面のズレをもって証拠不採用にするなどと言う芸当は、誰が考えた悪知恵なのか。 まさか小沢と裁判所とつるんでいるわけではあるまいが、ついそう思いたくなる。 厚労省元課長も同じである。 役人は法律を作ることが仕事だから、メクラ判が罰せられないことを知り尽くしている。 そう言う怪しげな許認可権限がまかり通る役所は、もはや法の適用から外れた治外法権と言ってよい。

 今回の場合、直ちに贈収賄の立件は無理としても、政治資金規正法でなく脱税で取り調べるべきだったであろう。 あの4億円の出所は誰が考えても怪しい限りで、まともな出納は行われていない。 銀行から借りただの、親の遺産だのと、小沢の言い分は支離滅裂で、いまだに理路整然とした説明が出来ていない。 叩けばいくらでもほこりが出る。 悪くて脱税、うまく行けば本丸の収賄にたどり着く。 殺人、賭博、麻薬などありとあらゆる犯罪を犯したアル・カポネも、別件逮捕の脱税で往生した。 それなのになぜか国税当局はいまだに沈黙を保っている。 まさか小沢の手が回っているのではあるまいが。

 小沢とその一派はこれで清廉潔白が証明されたなどとうそぶいているが、馬鹿も休み休み言え。 裁判所は無罪を言い渡した判決の中で次のように言っているのだ。 「共謀が成立すると言う指定弁護士側の主張には相応の根拠があるが、十分な立証がされたとは認められない。」と。 言い換えれば「どう考えても真っ黒だが、残念ながら証拠が見つからない」と言う意味だ。 こんな胡散臭い男が、大した政治見識があるわけでもないのに大きな顔をして政局を動かし、日本の政治を壟断している。 実に暗澹となる。 このままでは民主も自民も日本の政治はにっちもさっちも行かず、日本はますます低迷するだろう。 法治など無縁の、人治主義の中国が羨ましくなる。
 

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