【伝蔵荘日誌】

2012年3月19日: 誕生日暮色 GP生

 先日、七十余歳の誕生日を迎えた。 子供の頃は終戦後の混乱期でもあり、三度の食事も食べられるかどうかの時代で、誕生日祝いをしてもらった記憶は定かではない。 誕生日をケーキで祝う習慣は、いつ頃から始まったのだろう。老齢期を迎えての誕生日祝いは、何んとも複雑な思いだ。 孫達からは「おめでとう」と言はれた。「この歳まで生きてきて、無病息災で日常が過ごせること」は確かに目出度いのかもしれない。

 最近、息子の部屋の引越しを行い、息子と一緒に箪笥を階段経由で運んだ。 引越先のエレベーターの中で肩で息をしているのを、息子に見られた。 次の荷物を運ぶ時、息子は力持ちの連れ合いと一緒に運び始めた。 息子曰く、「親父のペースに合わせると、トロクて呼吸が合わない。俺のペースに合わせる無理はしない方がよい。」と。60代に入ってから、瞬発力の低下は自覚していたが、持続力はまだ自信を持っていた。 引っ越しでは、持続力の絶対量も衰えた事を痛感した。 この程度なら持ち上げられると、イメージしながら段ボールに荷物を詰め込むが、いざ持ち上げる段になると、こんな筈ではと思うくらい、力のレベルが低下していた。昔取った杵柄などと力んでいると、体への揺り返しが恐ろしいことになる。素直に息子の言に従うことにした。

 加齢による能力の低下は体力だけではない。 感性も鈍ってくる。人との関係での感性の低下は、自覚はしていないが、感性の鋭い妻の言が正しければ間違いなく、衰えていることになる。 自分としては認めたくはないことだ。知力についてはまだ大丈夫と思っているが、記憶力の低下は間違いない。分子栄養学の勉強会で、新しい知識や考え方は理解でき、頭にも入るのだが、何回も考え、読み直さないと頭に残らない 。古いことは良く覚えていても、新しいことが駄目な、年寄りの通性の通りだ。

 誕生ケーキの上に、年齢を現わす数字型のローソクが二本立てあった。「この数字は嫌だね」と言うと、孫は「逆に立てれば、若くなるよ」という。冗談でも、そう言う発想が簡単に出来なくなっていた。孫達の発想は柔軟で、楽しむためには自由自在にイメージ出来るようだ。 知識の吸収も羨ましいほど早い。 彼等とは真逆に、加齢による老化が現在進行形なのは確実だ。

 40歳代に入った時、身体はもう若くはないと強く意識をした。 それ以降は、毎年誕生日を迎えても、心身の大きな変化を自覚することはなかった。    けれど、古希を過ぎてからは、様相が異なるようだ。 今までの惰性で日常を過ごすことに、違和感を覚えるようになった。 日常的な業務管理が大変だと、負担に感じることは無いが、今ひとつ情熱を感じられない時もある。ただ、問題が発生し、何らかの解決手段を考えなければならない事態の際は、体の中から意欲が盛り上がって来るのを感じる。一時的にはともかく、問題発生が連続で長期間生じた場合には、解決のためのエネルギーがどこまで継続できるかは、自信がない。そろそろ、年齢に応じた生き方を模索しなければならない歳になったのかもしれない。

 建物内外の定期的清掃をHaさんにお願いしている。 極め付きの好人物で、仕事は懇切丁寧、どんな仕事でも、手抜きは一切しない。 若い時に奥さんと離婚し、ただ一人の娘さんも何処に居るか分からないという、同年配の訳あり男性だ。現在、近くのアパートで暮らし、年金収入はなく、あちこちの建物の清掃や頼まれる雑用で生計を立てている。 安いアパートとはいえ、賃料や光熱費を支払えば、かなり厳しい生活を強いられている。周囲の人たちが心配して、生活保護の申請をしたらと頻りに薦めた。 申請が通れば、現在の収入に対して、三割ほど増になり、医療費の低減、公衆浴場やバス代が無料化になるという。しかし、彼は「自分はまだ働ける。お上に迷惑をかけたくない。」と一年近く拒んできた。 彼の生活感は見上げたものだ。

 ジムのプール仲間にHYさんがいる。 現在87歳。 プールでの最高年齢を誇っている。 このHYさん毎日、25mプールをクロールで20往復する。 その後、15分水中歩行でクールダウンし、40度のスチームサウナで冷えた体を温めている。 元日銀マン。色々な会社の社長を務めたと聞いている。そんな経歴を感じさせない、温和な人柄で誰にでも好かれている。先日の新聞に80歳を過ぎると体力、意欲、感性ともに低下する旨の記事があった。 HYさんと話をしても、話題の広さ、頭の反応速度、回転の素早さは87歳のそれではない。 80歳を過ぎたら、個人差の世界はさらに著しいものになるのだろう。

 HaさんやHYさんの様に経歴は異なれども、自分の生活スタイルを持ち、それを日常的に実行している人たちを見ると、自分にとっても良い刺激になる。最近のニュースを聞いても震災の避難所での老人の孤独死の数の多さに驚かされる。 子供や孫たちを津波で失い、老齢の身一人で生きる辛さ、切なさを想像すると、人それぞれの運命の厳しさに、慄然とする思いだ。

 最近でも、70歳以上の著名人の死去のニュースが相次いでいる。 一つの時代が終わりつつあるのは事実としても、同世代の人々の死去は身につまされる。若い時からの生き方が、老後の生活の幸不幸を決定するのは事実だが、地震津波等、突然の自然災害への遭遇の仕方も運命づけられたものなのだろうか。 同年齢の誕生日を迎える者の一人として、無関心では居られない。

 誕生会の時に小四の孫が手提げ袋に入った品物を「プレゼント」だと言って手渡してくれた。 紙袋の底から水が滴っていた。 何だろうと、内を見たら、綺麗に包装したガラス瓶に色々な花が盛りつけてあった。 落着きを通り過ぎて、地味も地味な雰囲気の花達であった。「お母さんと相談して選んだの」と聞いたら、すべて彼の選択だと言う。 彼なりに、祖父の年齢を考え、一生懸命選んでくれたのだろう。 花そのものより、孫の心根を思うと、何とも言えない喜びと幸せ感を覚えた。

 古い建物の屋上に一昨年作った野球練習用のネットが、昨年の台風のため破損してしまった。 五階建ての屋上までの材料運搬が大変なので、修理を怠っていた。 誕生会の時に、孫に練習場は必要かと聞くと、野球命の彼は、直してほしいとの返事であった。骨組みの材木運搬とペンキ塗りを手伝ってくれるかと聞いたところ、喜んで手伝うとの返事だった。 今月の暖かい日を選んで、二人で修理をする約束をした。 何かと忙しい息子は当てにならない。 修理方法を考えながら、孫との作業を楽しみにしている。

 今年の誕生日は元気に迎えることが出来た。 来年以降、どうなるかは保証の限りではない。 年々、黄昏時が深まるのは、致し方がないことだ。この伝蔵荘日誌の投稿も老化防止のためと、割り切ることにしている。日常生活ではまだまだ自分でないと出来ないことは多い。 孫達に励まされながら、今後の生活に、少しでも意欲を持って臨みたいものだ。亡き三石巌先生の名言に「生きている限り、学習者たれ」がある。 いずれ身体の自由が利かなくなる時が訪れるだろう。 そんな時でも、学習者であり続けられるかは自信がない。
  

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