伝蔵荘ホームページ              【伝蔵荘日誌】

2012年3月10日: 子育て支援の不備 T.G.

 会社の同期の友人達と伝蔵荘へスノーシューイングに出かけた。夜、暖炉にあたりながら一杯やっているとき、カミさんからケイタイにメールが入った。嫁から電話があり、6歳の孫娘が急に38度の熱を出し、明日は幼稚園に出せないのでバアバに面倒を見てもらいたいと言ってきたという。息子のマンションまでは車で30分ぐらいの距離だが、電車を乗り継いでいくと1時間以上かかる。伝蔵荘に来るのに当方が車を持ってきてしまったので車は使えない。顔も洗わず化粧もせずに電車には乗れないから、嫁の出勤時間に間に合わせるには明朝5時起きだと愚痴を言う。

 嫁は大企業のキャリアウーマンで、フルタイムで働きながら3歳と6歳の子育てをしている。日本の保育園や幼稚園は熱のある子供を受け入れてくれない。子供が急に熱を出しても、よほどの重病でないない限り親は会社を休めない。幼児はしばしば風邪を引き、熱を出す。そのたびに仕事を休んでいたら、周りに嫌な顔をされるし、人事考課に響き、昇級や昇給にも差し支える。日本の大企業は表向き子育て支援や女性の社会進出に理解があるように振る舞っているが、実態はまったく違う。きわめて冷淡である。育児休暇は仕方なしに認めるが、二人も三人も子供を産んだり、その子供が熱を出すたびに休暇を取ったりすると、あからさまではないが嫌な顔をする。暗にやめてくれないかと言わんばかりの態度を取る。仕事が好きで頑張っている嫁は、仕方なしに我々老夫婦に助けを求めてくる。我々のような身体が動くジジババがいればいいが、そうでない共稼ぎ夫婦はどうやって子育てをするのだろう。

 日本語版ニューズウィークに、アメリカ在住のジャーナリスト冷泉彰彦氏が、「アメリカで「病児保育」が社会問題にならない理由とは? 」と言うコラムを書いている。それによると、日本では深刻になっている「病児保育」が、アメリカではほとんど問題になっていないという。法律(連邦法)で育児休暇や病児の看護休暇取得がかなり手厚く保護されていることもあるが、企業を含め社会全体にそれを後押しする雰囲気が醸成されていることが大きいという。育児休暇や看護休暇について、会社や職場の周囲が「しわ寄せが自分たちに来る」とイヤな顔をするカルチャーはない。他の同僚のバックアップが可能な場合は「子供が病気なので」という理由で誰しも堂々と退社する。それが当たり前という社会の共通認識がある。取引先から電話があっても、「子供が急病で帰りました」と言うと相手も納得して「お大事に」と電話を切るという。日本とは大違いである。そうは言っても、“勝負のかかった営業やプレゼン”が入った場合、休めないのは日本と同じだが、その場合は“勝負がかかっていない方の配偶者”、つまり夫が休暇を取るのが常識になっていると言う。それやこれやあって、アメリカでは「病児保育」は社会問題になっていないという。

 競争の激しい多民族国家のアメリカは、ドライで社会的連帯感が希薄な社会と思っていたが、大違いである。日本よりはるかに他者に対する思いやりがある。均質な単一民族の日本社会で、なぜアメリカのような「病児保育」に対する社会の連帯感、暗黙の了解が行き渡っていないのだろう。日本人はアメリカ人に比べて弱者に対するシンパシーや共感性が希薄なのだろうか。子育てに対する社会的連帯感、価値観が欠けているのだろうか。昔の日本はそうでなかったのに、今はそう言う心の狭い、冷たい社会になってしまったのだろうか。県知事や市長が東北の瓦礫引き受けをしようとすると、市民が寄ってたかって怒声を浴びせて反対する。それが震災復興の妨げになっているという。こういう社会の偏狭さは、「病児保育」の問題と共通している。苦労は人ごとではない、お互い様と思う心の広さ、寛容度に欠けている。瓦礫処理の話を聞くたびに、“絆”などというもっともらしい震災標語が白々しく聞こえる。日本はいつからこういう他者に冷たい社会になったのか。

 民主党政府は子供手当が少子化対策、子育て支援と勘違いしているが、いくら金をばらまいても、出生率向上や「病児保育」の解決にはならない。子供を産み育てることへの価値観、社会的連帯感が不可欠だ。それ無しに金だけばらまいても子供は増えない。専業主婦が当たり前だった我々の頃と違って、今は夫婦共働きが常識の時代である。法律で男女雇用均等をうたうならなおさらのこと。今時の企業は旦那一人の稼ぎで一家が暮らせるような給料を出さない。嫌でも共働きしなければならない。そうなれば「病児保育」はますます深刻な社会問題になる。それなのに保育園の待機児童は一向に減らず、病児保育に対する連帯感もない。政府は何も手を打とうとしない。これではとても働きながら子供を産み育てようという気力は湧かない。出生率低下の根本原因はこのあたりにあるのではないだろうか。そう言う日本社会の心の狭さが少子化を招いているのではないか。日本より女性の社会進出が進んでいるアメリカやフランスの出生率が、日本よりはるかに高いのは、「病児保育」に対する社会の共通理解が確立しているからではないだろうか。

  

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