【伝蔵荘日誌】

2012年3月6日: 人との信頼関係雑感 GP生

    最近、昨年来からの悩み事が一応の解決を見て、大団円とはいかないまでも、小康状態を保っている。 お蔭をもって、気持ちの整理もつき、正月以来途絶えていた伝蔵荘日誌への投稿も再開できるようになった。 この間の事を考えてみると、解決に至った要因は、関係した色々な人達との信頼関係の成就に在った様に思える。 思いつくまま、人との信頼関係を考えてみた。

 人は独りでは生きていけない事は、誰でも知っていることではあるが、人と人との関わり自体が悩みの種のなることが多いのも事実だ。更に、誰とでも人間同士が信頼関係を形成し、保ち続けることは至難の業だ。けれど、人が生きていく上で、信頼できる人間関係が多いほど、豊かな人生を送れることになるのも間違いない。高齢になり、社会との繋がりが途絶えがちになる年寄りにとっては、人との信頼の有無は死活的意味を持って来る。

 賃貸住宅を運営していて一番大切なのは、居住者との信頼関係の構築と維持だ。信頼関係は一方だけの努力では成り立たない。双務的努力が大事なことは当然だ。テナントさんにとっての努力とは「家賃を期日までに納める事と居住規則の順守」に尽きる。 大家の努力目標は「家賃に見合った、快適な住環境の提供」だ。とは言え、日常生活で生じる様々な問題から、苦情や改善要望が絶えることがない。これ等の対処を誤れば、大家に対する不信感から転居となり、下手をすれば空室が続出し、自らの首を絞めることになる。

 新しい人が入居すると、必ずと言ってよいほど入居対象の部屋にクレームや要望を突きつけられる。 2,3件はざらで、多い時は5,6件の要望となる。これまで、入居者は何軒もの賃貸体験から、入居してからでは大家が対応してくれない現実を経験しているのだろう。 だから入居前の要望となる。 先住者退室後に、リホーム等必要な手を入れているが、貸す立場と住む立場では視線が異なる様だ。

 いちゃもんに近い要望もあるが、入居者の要望を100%即実施することが大事だ。 自分の手に余るときは、その場で業者に電話で依頼するする。 入り組んだ内容の時は、入居者と業者の担当との直接電話に切り替える。 入居者は要望の詳細をを伝え、双方の都合を相談した上、工事日程まで決めてもらう。 大家は黙って了解すればよい。 新しい入居者との信頼関係の確立は初対面時の要望処理が勝負だ。 何かあった時はいつでも対応してくれると信頼してもらえれば、その後はクレームがほとんど出てこない。「災い転じて、福を成す」には、現状での最善の策を早急に実行することだ。スピードが命だ。 それが信頼回復に繋がる。 雨降って地固まるに持ち込めなければ全てが無に繋がる

 現政権の大臣連中は「震災復旧・復興に全力投球する」が、口癖のようだ。 実際の進捗を見れば信ずるに値しない。 事の成否が直接的に自らに及ばないから、当座しのぎの言動になるのだろう。 目の色が変わるような責任を、彼らに持たせなければならない。 が、田中某の如く、責任を全うできる知識、経験が無い輩は論外だ。

 仕事上の信頼関係の構築は目的が明確であるがゆえに、対処はそれほど難しいことではない。 利害関係が明確でない人間関係上の信頼構築は一筋縄ではいかない事が多い。嫁と姑との関係は難しさの最たるものだ。 姑にいびられたかっての嫁が、姑の立場に立った時、自分の息子の嫁にどの様に対処するかは、姑の老後を左右する大事となる。自分がされた事を息子の嫁に為すことなく、嫁と新たな信頼関係を築いていくことはベストの行為であるにしても、姑にとってかなりの人間力を要求される。

 医者との信頼関係の構築は患者にとって死活的意味を持つ。最近、夜間に体調を崩した家人を救急車で、掛かりつけの病院に運んだことがある。 夜間の事とて、若い当直の医者しか居ないのではと危惧していた。   ところが、現れた医者は定期健診時に胃カメラ検査を毎回担当したベテラン医師であった。 医者の顔を見た患者の病は半分近く回復する想いすらする。案の定、二時間近い適切な点滴で帰宅できた。

 医者同士の信頼関係も患者にとって大きな意味を持つ。 現在のシステムでは医者の紹介状がないと、然るべき大病院への入院もままならない。 掛かりつけの医者が患者の為に、何処まで骨を折ってくれるか否かは、日頃の医者と患者の信頼関係にかかっている様に思える。 その医者が入院先の医者やスタッフにどれだけ説得力を発揮してくれるかは、緊急入院の際は極めて大事だ。最近も、医者との信頼関係のお蔭で、家人が救われた経験をした。

 自分の住むマンションの人々の生活を見ていると、かっての町内にあった様な人間関係は見られない。 昨年の大震災後に見られた、東北の人々の絆と団結が、都会のマンション住まいで生じるかは、甚だ不安に思える。 近隣の信頼関係は日常生活を通じて育まれるもので、緊急事態が生じたからと言って、自然発生するとは思えないからだ。大震災が発生した場合には、マンション居住者の団結は、大家が中心にならざるを得ないだろう。 その覚悟は平穏無事の日々においても、心に秘めている必要がある。 「いざ鎌倉」の事態発生の時には、大家とテナントさんとの日頃の信頼関係が本物か否かが試される事になろう。

 遠くに住む、かっての友人たちとの繋がりや信頼関係の維持には、お互い意思疎通の努力の継続が必要だ。 歳を取ってくると、新たな人間関係や信頼関係を構築することすら、煩わしさを覚えることがある。 意欲を持って新しい人生を模索する意欲は、加齢とともに減少傾向になる。 体力の低下も意欲低減を加速させる。 生きている限り、現実から逃避することが出来ないならば、年齢に関係なく、積極的に新たな人間関係と信頼関係を築く努力は不可欠だ。 縮んだ心からは何物も生まれないのだから。

 信頼構築の第一歩は会話だ 。年寄りのみならず、人にとって会話は心の栄養素と言える。 独り、テレビやPCのディスプレー相手に過ごしても、心は豊かになれるものではない。連れ合いとの会話は家庭生活の基本事項だが、長年の共同生活に慣れ過ぎて、歳を取ると会話が減少しがちだ。 連れ合いとの信頼の維持は関係が近すぎる故に、努力しないといつの間にか失われてしまう結果となる。 自分にとっては両親が他界してしまった今では、身近な信頼の維持の中で一番大事で、一番難しい関係かもしれない。

 この世で人が生きて行く限り、他者との関わりを避けることが出来ない。  積極的に人との関わりを深め、新たな信頼関係の構築に努めることが、残された人生をより豊かにすることに成ると信じている。生きている限り、人間関係の煩わしさは生じるし、それを避けたいとの思いも判らないではない。 だからと言って、山奥に唯一人籠る仙人生活では、決して心豊かな老後を約束される事は無いだろう。

 政治家に対する国民の信頼は地に落ちた感がある。 特に、現政権政党に属する政治家に対しては不信感しか持てないのが現状だ。 大臣クラスの発言を聞いても、「問題解決の為に、議論が必要だ」とノタマッテいる。 国会は議論の場であるから、議論は必要なことは自明の理。 敢て、口にすべきことではない。議論の結果、何かを決められたかと言えば、何も決められない。 何も出来ないことの言い訳に「議論が必要だ」とアリバイ作りをしている。 議論は評論家に任せて、必要な決断をするのが政治家だろう。 自らの発言に責任を取れない、責任を取ることを恐れる人間は政治家になってはいけない。主張の是非はさておき、橋下大阪市長に期待と人気が集まるのは、小田原評定ばかりで何も決められない、中央の政治家に対する失望の裏返しだと言える。

 「知識は実行して初めて知恵になる」と言う。 信頼関係の要諦は「言行一致」。言ったこと、約束したことの実行を継続することで、初めて信頼が生じる。  従って、難しい。 政治家が「言うだけ番長」などと綽名されれば、信頼以前の問題となる。家庭においては、一家の長が家族の信頼を失ったら家庭崩壊に繋がる。   国家においても同じことだ。 我が国の政治のトップに、どれ程の覚悟があるのだろうか。

 天皇陛下がご健在でおられることは、我が国の国民にとってどれ程幸せな事か計り知れない。 天皇陛下に対する国民の揺ぎ無い信頼は、国民が苦難に陥った時、どれ程の支えになって来たことか。 大東亜戦争敗北後の日本の復興は、故昭和天皇の存在無しには考えられない。 政治、経済とも少々たがが緩んでいる昨今の日本であるが、天皇陛下ご健在な限り、必ずや復活すると信じている。   

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