【伝蔵荘日誌】

2012年3月1日: 我が家の犬々録 GP生

 現在、我が家では三匹の小型犬を飼っている。 8歳のミニチュア・ダックスフント、7歳のシーズー、そして6歳のシーズーだ。 性別は全て♀。 一匹でも♂を入れたら犬々関係が面倒なことになるので、全て同性とした。 生後二ヶ月前後で我が家に来てから、飼い主や先住者の犬に慣れ、新たな住環境の中で、居場所と犬同士の関係を安定化していく姿は、人間界にも通じる社会実験の感もある。 たかが犬と言えども、性格や行動、立ち振る舞いは全く異なる。

 最年長のダックスは臆病な小心者で、極度の甘えん坊でもある。 ダックスフントは元来ウサギ等の小動物を追い立て、小穴に逃げ込んだ動物を追いかけ、極端な短足を生かして穴に入り込む、勇猛果敢な猟犬のイメージを持っていた。これが全くの的外れで、怖いと感じた時にギャンギャン吠える。 嬉しい時、哀しい時、玄関のピンポン、食事前、おやつ時等なんでも吠える。一階下に住む息子たち家族が玄関に出入りする時も吠える。 ドアの開閉音が聞こえる様だ。 地震の微細な揺れやテレビ、携帯の地震警報にも敏感に反応する。煩わしいが、来客センサーの役割も果たしている。本来、猟犬であるがゆえに、ボスへの服従心は絶対的で、揺るぎがない。 悪いことをした時、「コラー、ダメ」と叱ると、その場でコロット仰向けになり、尾っぽを振りながら上目遣いに、ジーット自分の顔を許しが出るまで見つめている。自分が家に居る間、側を離れない。 機会があれば膝の上に乗ろうと構えている。ダックスの性格を良く分からずに、外見の騙されて飼ってしまったが、疲れているときには、甲高い吠え声にイラつき、後悔することもある。 けれど、理屈抜きのボスへの忠誠心は心の安らぎでもある。

 年長のシーズーはオットリした性格で、家の中では一歩も二歩も後ろに控えている感じだ。 「ごはんだよー」、「おやつだよー」と声をかけると、他の二匹は数秒で走って現れるが、年長シーズーはなかなか現れない。 暫くすると、ドアの近くに顔を出し、首をかしげてジーット見ている。 更に「来い」と声をかけるとトコトコと歩いてくる。彼女は水を飲むとき、満水に近くないと決して飲まない。 飲みたいときは、自分や妻の顔をジーット見上げている。 吠えもせず、騒ぎもせず、唯見上げているだけだ。真ん丸い大きな目は「水を飲みたいよー、一杯にして―」と訴えているのが良く分かる。彼女は玄関に来客がある時、真っ先に飛出して、お客さんの後ろでクルクルと円を描いて走り回る。 来客に限らず、嬉しいことがあると部屋の中でもクルクルと走り回る。膝の上に乗りたいときも、ダックスの様にギャアギャア騒がず、自分の眼を見つめながら、前足を椅子に立てかけたままジットしている。 この眼を見ていると、ついつい情にほだされてしまい、100%彼女の言いなりになってしまう。

 年下のシーズは我が家では新参者であるが、我が物顔の行動は他の二匹から何時もひんしゅくを買っている。 先を読む能力に優れ、飼い主の言動から自分のとるべき行動を瞬時に決めている感すらある。 一緒に貰ったおやつでも、自分は直ちに飲み込んでしまって、他の犬がおやつを食べている側で「伏せ」の姿勢で待機している。 隙あらば、他の犬のおやつをかすめ取ろうとしているのだ。下の階の孫に電話をかけ、「用事があるから、上に来て」などと話していると、電話が終わるか終らないうちに、彼女は玄関にまっしぐら。 そこで、お座りをして、孫の来るのを待っている。 孫が来たら来たで、部屋に置いてある、小さい人形を咥え部屋の中を走り回る。 自分や妻が外出から帰ってきても、人形を加えて走り回っている。 嬉しい時の何時もの仕草だ。

 部屋で犬を飼うときに最初に教えるのがトイレだ。 年下のシーズが生後二ヶ月の時にトイレの躾を行ったが、大小合わせて、今まで一度も間違えたことがない。 未だに、トイレで用足しがキチンと出来ずに、とんでもない場所での後始末を強いられる、おバカ・ダックスには出来ない芸当だ。 最近は若さ故のやんちゃが影を潜め、飼い主に甘える様になったのは進歩だが、膝や、昼寝をしている自分の胸に、突然我が物顔で飛び乗って来る。 何事にも控えめで、お淑やかな年長シーズーとは大違いだ。

 どんな犬でも皆、自分の事しか考えていない。 子供を産んだ母親犬以外、他犬のために自らが何かを成す姿は見たことがない。 何やら、最近の都会の住人達の姿を見ている様だ。長時間留守にした時、三匹が寄り添って寝ていることがある。 これとて、自分の淋しさを紛らわすためで、他犬の為に行っているのではない。

 そもそも、我が家で犬を飼い始めたのは、平成5年の秋だ。 息子に「最近出来た犬屋に可愛い犬がいるよ」と言われて、妻と出かけてみた。 一目惚れして、その場で買ってしまった。それが♀のゴールデンレトリーバーで、少し気難しさはあるものの、温和な性格だが、元気いっぱいの姿は魅力に溢れていた。初回の生理の時の手当てが大変だったので、後に卵巣・子宮の摘出の不妊手術を行った。

 朝夕、各一時間の彼女との散歩は10年以上続いた。 善福寺公園への散歩では多くの犬仲間と懇意になった。 飼い主同士はお互いの名前は知らずとも、犬の名前を知っていれば話は通じた。 相手の飼い主を呼ぶときは「○○ちゃんのお父さん」とか「○○ちゃんのお母さん」で事足りた。 未だ以て、氏名を知らない人の方が多い。 お互い飼い犬が死去した後も、街で出会った時の呼び方は変わらない。

 母の介護に明け暮れ、心身ともつかり果てた時、ゴールデンとの散歩は心身をリフレッシュする得難い時間であった。 善福寺公園近くに住む60年来の友人であるKo君のお宅には散歩の帰りによく立ち寄らせてもらった。 犬を玄関内に繋ぎ、奥様の入れてくれるお茶を飲みながら、Ko君と雑談に興じるひと時は、当時は至福の時間であった。 時間が長くなると、玄関のゴールデンは、自分の顔をジット見つめて「早く帰ろうよ」と目で促す。 何時もこれが帰り時だった。このゴールデンも平成18年に肝臓ガンでこの世を去った。 死ぬ前一ヶ月は寝たきりで、大小は垂れ流しだった。 一日二回の汚物処理と汚れた体の湯せんが日課となった。 臨終が迫ってきた数時間は彼女を抱いたまま過ごした。元気なときに33s有った身体は23sまで痩せ細っていた。

 ゴールデンを飼ってから数年して♂のシーズーが我が家の一員となった。賢さと立ち振る舞いの落ち着きは、我が家に来た犬たちの中で群を抜いていた。ゴールデンとの相性も抜群で二匹の中では間違いなく、シーズーがリーダー犬であった。 腎臓病を患い、僅か9年少しでこの世を去ったが、治療の為4カ月半の間、毎日祖父の代からの知り合いである獣医病院に通った。 処置はビタミン注射と目薬の点眼である。 2ヶ月ほど治療が進んだ頃、ビタミン注射を終えたシーズーが自ら顔を獣医さんの方に上げたのだ。 「目薬を注して下さい」と言わんばかりの仕草であった。 以降毎日、この動作を死ぬまで繰り返した。  獣医さんもこんな犬は見たことがないと驚いていた。ゴールデンもシーズーも元気なころは、伝蔵荘合宿に何回か参加している。犬好きの故Ik君にも可愛がってもらった。二匹とも多磨霊園近くの動物墓地に眠っている。

 人と犬との関わりは有史以前から始まっていると聞く。 犬を可愛がり過ぎて、犬の方がボスの役割を果たしている例は論外として、犬の素晴らしさは、飼い主を決して裏切らない事だ。 犬の寿命は大型犬で10年から12年、小型犬で 15年から17年ぐらいが限度だろう。 いずれにしても、飼い主よりも早くこの世を去ることになる。 この別れが、とてつもなく、辛く切ない。 それと、PPKならともかく、良質な餌の出現と獣医療の発達で、犬の世界も長寿となり、人間並みの生活習慣病に罹患する可能性が高くなった。 この時の心配や世話の大変さ、更に場合によっては経済的負担も馬鹿にならない。 犬を飼い、最期まで飼い切るにはそれなりの覚悟は必要のようだ。

 犬と飼い主の死後はどのような関係になるのであろうか。飼い主に忠実な犬の魂は間違いなく、死後のかってのボスの魂と共にあの世で過ごすことになる筈だ。 問題は飼い主がこの世で人として真っ当な人生を過ごしたのなら、原則通りになるのだろうが、然らざる場合が問題だ。飼い主が自ら命を絶ったり、我欲、我執にこだわったり、多くの人との軋轢の中でこの世に執着したり、死にたくない思いにかられながらこの世を去ったり、病気に苦しみながらこの世を恨んで死んでいったとしたら、犬の魂の待つ天上界には行くことはないだろう。犬との現世での関わりを考えながら、人の生き方を考える事は無意味ではないのかもしれない。   

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