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2011年12月12日: 西太平洋が危ない! T.G.

 伝蔵荘日誌の愛読者の一人、暇爺に薦められて、海上自衛隊の元自衛艦隊司令長官、五味睦佳海将の論文、「西太平洋が危ない」を読む。この種の文献は得てして軍事オタク的な記述に傾きがちなものだが、この論文は専門家の目で見た米中軍事力の相対比較が客観的に分かりやすく書かれていて、大変参考になった。五味海将は暇爺の高校時代の同級生だそうだ。 自衛艦隊司令長官と言えば かっての連合艦隊司令長官、東郷平八郎、山本五十六の係累に並ぶ海上自衛隊のトップエリートである。暇爺は実に偉い友人を持っているものだ。この論文は財団法人ディフェンスリサーチセンターのウェブサイトに載っている。

 論文の書き出しは、「西太平洋は火の海に」とやや刺激的である。アメリカの原子力空母が被弾炎上する様子を画いた米海軍協会誌の表紙が載せられている。1996年の台湾総統選挙の折、中国が台湾海峡にミサイルを撃ち込み威嚇した。 その際アメリカが空母2隻からなる戦闘群を現場に急行させたら、中国はなすすべもなく引き下がった。そのくらい当時の米海軍空母機動部隊は圧倒的強さを持っていた。米ソ冷戦が終わった後、アメリカの軍事力は天下無敵で、対抗できる勢力がなかったのだ。

 しかし最近になって様子が変わった。西太平洋においては、アメリカ空母のスーパーマン的威力が中国の対艦攻撃用弾道ミサイルDF21Dによって大きく制約される可能性が生じている。 そのことがこの論文の主題である。さしものアメリカの軍事力も、少なくとも中国近海の西太平洋にあってはその威力が失われつつある。このDF21Dの脅威については米国の軍事専門家の間でも盛んに議論されていて、「2015年に中国沿岸域で哨戒中の原子力空母ジョージワシントンが突然DF21Dを2発被弾し、20分後に沈没する」というシミュレーションも発表されている。

 続く第2節「中国軍事力の劇的増強」と第3節「米軍の対A2/AD戦力」では、現時点での中国と米軍の軍事能力をつぶさに比較検証している。この論文の骨子とも言える。中国は1987年以来毎年国防費の2桁アップを続け、2011年の公表値は7兆5千億円。日本の国防予算の倍近く、世界第二の軍事大国になっている。この値には装備の研究開発費が含まれておらず、実際の軍事予算はこの3倍近いと推察されているから、もはや巨大軍事国家と言ってよい。

 人民解放軍がもっとも力を入れているのはA2/AD(Anti-Access/Anti-Dinial)能力だという。中国は毛沢東以来、侵入してきた外敵を中国本土に誘い込み、ゲリラ戦などで敵を疲弊させ、壊滅する「人民戦争戦略」を採ってきた。かって日本帝国陸軍を翻弄した戦略でもある。しかしいくら人の命が安い中国でも、自国民の被害が甚大過ぎる。そのため1985年になって海軍力重視の「近海防御戦略」が策定されるようになった。これは中国沿岸から外洋に向けて軍事力を展開し、出来るだけ中国本土から離れたところで外敵を迎え撃つ戦略、すなわちA2/ADである。

 A2/ADの目標は、沖縄から台湾、フィリピンに至る「第1列島線」、千島から日本、マリアナ、カロリン諸島を結ぶ「第2列島線」までのコントロールを目標にし、さらにはその外側に米海軍に対抗しうる外洋海軍力を展開する点にあると言う。日本にとって重要なのは、A2/ADが目標にしている、「第1、第2列島線内に米軍と同盟軍の到達を遅らせる」、「列島線付近にある米軍基地を無力化する」、「米軍の戦力投射能力(空母、揚陸艦)を中国本土から遠ざける」と言う三つの戦略であろう。この節ではA2/AD戦略を可能にする中国軍の兵器と能力について詳述している。印象に残ったのは、「衛星攻撃とサイバー戦能力」、「米空母攻撃用中距離弾道ミサイル」と「潜水艦性能」の3点である。

 米軍の作戦遂行能力がインターネットと衛星通信に支えられていることは、湾岸戦などで周知である。それ故、アメリカの軍事衛星と軍事ネットを破壊攪乱すれば、米軍の作戦能力が著しく失われることは自明だ。米軍がイラクやアフガニスタンなど弱小国を相手に“非対称劇場型戦争”をしているときはまったく問題なかったが、相手が巨大軍事国家中国となるとそうはいかない。中国の宇宙空間における衛星破壊能力はすでに実証されているし、サイバー戦能力はあちこちのネット侵入事件で明らかだ。特に米軍のネットはインターネットとつながっているゆえ脆弱だが、中国軍のそれはインターネットと切り離された独立網であることはあまり知られていない。インターネットの宗主国アメリカが、自慢のインターネット技術で足下をすくわれているのは皮肉なことだ。

 もう一つの脅威は、中国が鋭意開発中の米空母攻撃用中距離弾道ミサイルDF21Dである。この論文を読むまで知らなかったが、米軍はロシアとの中距離核戦力禁止条約で、射程500〜5500キロの中距離弾道ミサイルを持てない。方や中国は持てる。中国はDF21D弾道ミサイルで、本土に居ながらにして西太平洋の米空母艦隊を無力化できるが、米軍が中国本土のミサイル基地を叩くためには、沿岸に接近した艦艇から発射される射程の短い巡航ミサイルか、有人爆撃機に頼るしかない。どちらも兵器、兵員の損耗率が高く、実施困難である。イラクアフガンで幾ばくかの戦死者を出しただけで厭戦気分が高まるアメリカにはとても出来ない芸当である。そのことも中国は計算に入れているだろう。

 もう一つの潜水艦性能向上を含めると、少なくとも西太平洋においては、原子力空母を中心とする第7艦隊と、日本の米軍基地の対中国戦闘能力は、大いに減じられていると言って過言でない。 完全な無力化とまでは行かないにしても、ミサイル攻撃などによって作戦能力が大幅に低下するだろう。このことは日米安保にただちに影響する。よしんば尖閣あたりで日中紛争が起きたとしても、米軍はただちに行動に移せない。移せば、米中の拮抗した軍事能力ゆえ紛争が継続拡大しかねない。今や経済力で中国に絡め取られているアメリカは、そんな危ない橋を渡ることは絶対に出来ない。最近オバマが豪州に海兵隊を移すなどと言い出しているが、太平洋における米軍の勢力圏を、第2列島線以遠に後退させる準備に違いない。第1列島線を守備範囲にする日米安保は、集団的自衛権うんぬん以前に軍事力の観点ですでに破綻しているのだ。普天間ごときで大騒ぎしているのがつくづく馬鹿らしくなる。

 中国の目的は、第1列島線内の領有権確保にあるだろう。南沙諸島はほぼ手中に入れた。残るは台湾、尖閣諸島である。その先に沖縄も視野に入れているに違いない。尖閣で日中紛争が起きても米軍は決して立たない、と言うか立てないことはすでに述べた。普天間問題で本土と沖縄にこれ以上の修復不可能な溝ができると、中国の沖縄領有もあながち荒唐無稽とは言えなくなる。そもそも沖縄は明治28年に琉球処分が確定するまで、日本ではなかったのだ。だから沖縄の人たちには、我々本土国民ような日本国に対する強い帰属意識はない。普天間問題をこじらせて平気でいられる民主党は、こういう歴史観を持たない連中の集まりだからだろう。事実、素人を標榜する一川防衛大臣は米軍の少女暴行事件も琉球処分も知らなかった。

 歴史を知らないと言えば、アメリカはそれ以上だ。オバマは中国の台頭に慌てだしているが、日本をいじめ、中国を甘やかせばこうなることは馬鹿でも分かる。中国に分不相応な金を握らせたら、よからぬことに使うのは分かり切ったことだ。70年前、日本を叩くために国民党の蒋介石に入れ込み、挙げ句にソ連に寝返られて痛い目にあったことをすっかり忘れている。無反省にその愚を繰り返している。アメリカは65年前の日本占領体験をもとに戦後のイラク復興を考えたそうだが、つくづく歴史の分からぬ国民である。

 著者は最終節「我が国の国防と日米同盟」で、日本の地政学的、歴史的観点から、今後の日本が採るべき道を説いている。至極まっとうな内容であるが、厳しい現実に国民が目を向けようとせず、脳天気に暮らしていることに対する国防専門家の願望、歯ぎしりのように感じた。混迷した普天間問題、日米安保と日本の安全保障に思いを致すにはうってつけの論文であろう。

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