2011年12月9日: 少年野球観戦に想う GP生 ![]() 二年後、今回の対戦は5対9で敗れた。 最後までチャンスを作り、一点一点積み重ねたが、二回あったランナー二、三塁の好機を生かせなかった。孫がヒッチャーズマウントで、打たれながらも、最後まで気持ちが崩れることなく、踏ん張っている姿に、逞しさを感じた。 最終回の守備で、ツーアウト二、三塁のピンチに、相手打者をストレートで三振に仕留めていた。見いていても、相手チームの力が上なのは良く分かった。 このチームの胸を借りて諦めずに、粘りきった孫達チームのナインに拍手を送りたい。 ![]() 進塁ミスをしてアウトになった選手やイージーフライをエラーした選手に対して、監督、コーチのみならず、ベンチの選手も「ドンマイ、ドンマイ」と激励していた。 ミスをした選手自身が己の責任を一番自覚しているのが、傍から見ても良く分かる。 だが、チーム全員でミスした選手をホローしていた。 選手誰もが「何時、自分がミスをするかもしれない」との思いが感じられた。しかし、選手全体に対して、監督はかなり厳しい言葉で選手たちを叱りつけていた。 仲間同士の励ましと責任共有の姿勢は、大人になってからは容易に身につくものではない。 監督達は「誉めるときは個人を、叱るときは全員を」の姿勢で指導しているようだ。孫のチームは選手個々のスキルのみならず、二年前にコールド負けした当時とは全く異なるチームとして、逞しく成長していた。 ![]() 最近、近隣の子供たちを見ていると、交友関係はほぼクラスの仲間に限られている様だ。 ガキ大将が居て、年下もいる遊び仲間との交遊と違い、同質の仲間との遊びで得られるものは少ないだろう。少子化の中で近隣の子供の数はめっきり減ってきた。 友達と言えばクラス仲間しかいないのは、無理からぬことだ。 例え、クラス仲間でも遊び友達が居るのは、まだましな方で、親しい友達がいない子供も結構多いようだ。一人っ子や兄弟が少なければ、幼い時に家庭内での人間関係の基本が身に付く訳はない。 ![]() 新聞紙上やテレビのニュースを見ていると、厳しさに耐え兼ねて、自らの人生に背を向ける若者の話が、絶えることがない。少子化の中で、親から可愛がられることに慣れ育った子供たちは、得てして、叱られることに耐性がない。 一寸した、上司の叱責により、自分の全人格が否定されたと感じてしまう新入社員も多いと聞く。 親の手厚い庇護のもとで育って来た若者は、自己主張は一人前でも、いざ厳しい局面に曝されると、へなへなと崩れてしまいがちだ。 ![]() 若者のみならず、まともな大人とて、見るも無残な言動により、自ら己の立場を毀損している事例が多い。 「放射能を移してやる」とふざけた言動で罷免になった大臣、例え話に事欠いて「犯す前に云々」とオフレコで語った某局長、「安全保障は素人だ。これがホントのシビリアンコントロール」と自らの無能をさらけ出して恥じない大臣等々、暇がない。 彼らは、まごうことなき日本の指導者層に属する人間だ。 彼らが、どんな少年時代を送り、どのような青春を過ごしたかは知らぬが、愚かな言動を見るにつけ、如何なる育ち方をして来たのか聞いてみたいものだ。 指導的立場に立つ人間の能力は、もって生まれた資質のみならず、この世に生を受けて以来の人生経験、生きてきた過程で何を考え、何を身に着けたか、それに、人間に対する理解の深浅が分かれ目となる。特に、少年期から青年期に至る経験は、人格形成を成す上で重要な時期だ。少年期に身に着けた社会性は、一生の財産になることが多い。グランドで夢中でボールを追い、バットを振っている少年たちを見ていると、これからの、彼等の人生の充実と見事な大人への成長を願わずにはいられない。孫のチームは惜しくも敗北したが、日本の将来を間違いなく担うであろう野球少年達の姿を見て、爽やかな気持ちに満たされた一日であった。 |