【伝蔵荘日誌】

2011年12月2日: 「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」を見る GP生

 先日、東京国立博物館で開催中の「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」を見る機会があった。 かっての鉱山科の仲間で、浜松に居住するYo君が所用で上京した。彼を含め6人の仲間が上野周辺で一献交わすことになり、日が明るいうちに展覧会を見ようということになった。

 高校時代、「歎異抄」や倉田百三の「出家とその弟子」を読んだことがあり、親鸞に対しては漠然としたイメージは持っていた。 法然については浄土宗の創始者であることしか知らなかった。 会場を廻るにつれ、法然に対する興味が次第に強くなってきた。

 法然は殆んど著作をせず、唯一知られているのが、浄土宗の根本聖典になっている「選択本願念仏集」のみである。 教えの根本理念は「専修念仏」だ。「南無阿弥陀仏」を唱えることで、人は「往生が約束される」と言う浄土宗の教えを、今まで理解出来ないでいた。 それは、当時の世相と仏教界を理解出来なかった事によるようだ。 法然の時代は平安時代の末期で、武士が台頭し始め、世の中が乱れ始めていた。 源平何れが支配者になるか判らない、混沌とした時代で、飢饉による餓死者が京の街に放置されたり、捨て子の生肉をむさぼり喰う人もいた、末世に相応しい世の中だった様だ。

 仏教界でも叡山や南都の学僧により、学識は深められていたが、悟ることにより、自らを救う事を本願としてきた修養であるが故、庶民には無縁の存在だった。叡山の天台思想は独自の深遠さはあったにしても、民衆を救うという発想は無かった。 一般庶民は現世の苦しみから逃れるために、「浄土」に対する希求は強かったと思われる。 この時代、法然は叡山で13歳から何十年も勉学し、天台宗の教義を極めたが、民衆を救うべく「南無阿弥陀仏を唱えれば、浄土に往生できる」との極めてシンプルな教義にたどり着いた。 親鸞は此の教義を深化させ、布教を拡大させた。

 「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に帰依します」との意味だ。 「南無」とは、古代インドの言葉「ナーモ-----帰依する」を支那で「南無」と訳した。当時の仏教界にとっては、革命的発想で、このシンプルな教義に民衆が熱狂すればするほど、既存の仏教界は異端として圧力をかけている。結果、法然は四国に流刑になった。

 展示されている、重要文化財「阿弥陀如来像」は高さ1メートルほどの立像だが、その存在感と迫力には圧倒される。 法然の一周忌の為、弟子たちが建立したそうだ。 像内には念仏を唱えた約4万6千人の名簿がおさめられていた。 庶民に混ざって名のある武士や貴族の名前もあるという。 法然の教えが世の多くの人達に支持されいてた証拠でもある。

 法然が先鞭をつけた鎌倉仏教は栄西、道元、日蓮ら個性的な唱導者が台頭して、活況を呈している。 法然の浄土宗は親鸞の浄土真宗に引き継がれた。 浄土真宗が現在に至るまで世の注目を浴びて来たのは、著作のほとんどない法然に比べ、「教行信証」や「歎異抄」の著作で親鸞の思想にじかに触れることが出来ることが大きいと思われる。 「悪人正機説」も読む人の耳目を引き付ける。 もつとも、「悪人」とは「悪いことをした人」の意ではなく、「自力で悟る能力のない人」の解釈もあると言う。

 法然や親鸞の時代では一般大衆が「南無阿弥陀仏」と唱えることで、阿弥陀如来にあの世での救いを求めた事は大きな意義があったのだろう。 一般民衆にとって、仏教哲学などは無縁な存在だからだ。仏教の教義や教えがかくも難解になり、大衆から遊離した存在になったのは、釈尊の教えが伝搬する過程の中国で、漢訳される際に哲学化したためと言われている。 釈尊が民衆を導いた時代、民衆は無学であったはずで、釈尊が難解な仏教哲学を語る事はあり得ない筈だ。 釈尊は例え話をして、民衆を導いたという。

 例えば、「南無妙法蓮華経」なるお題目は、釈尊の次の例え話を哲学化したものだそうだ。 「皆の衆、その沼に咲いている蓮の花は見事に美しい。 けれど、花の根は暗く汚い泥の中に埋まっている。 人もまた、蓮の根の様に、つらく苦しい世の中で生きていかなければならない。 けれど、心の持ち方ひとつで、厳しく辛い世の中でも、蓮の花の様に生きることが出来るのだ。」と、釈尊は人の心の在り方を説いたと言われている。 「この蓮の話の様な妙なる教えに帰依します」が「南無妙法蓮華経」の意味だとすれば、唯、お題目を唱えるだけで、人は救われることはないだろう。

 現在の形骸化した仏教を見ると、般若心経は有難いお経だから、何回も唱えるとご利益があるとか、写経と称して何回も写し取る行為は、発声練習と習字練習にしか意義を見出せないのではないかと思う。 仏教学者の解説を読んでも、「空」や「色」の概念を本当に理解しているとは思えない。

 自分の家の檀家寺は由緒ある真言宗の古刹だ。 住職は宗派の中で高位の序列にあり、紫の袈裟を羽織っていて、プライドと気位の高い人だ。毎年お盆に我が家にお経をあげにくる。 読経時間は2分、お布施をひったくる様にして次の家にバイクを飛ばしている。先祖供養と葬式仏教の典型だ。 とは言え、先祖代々の檀家寺の住職なので粗略にはできない。 「悟りの教え」も「心の救い」も何処にもない。現在の「浄土真宗本願寺さん」については、勉強不足で、自分は何もわからない。真言宗以外でも事情は似たようなもなのだろう。

 既存の宗教が世襲化と形骸化の中で、民衆を救う力を失っているから、オウム真理教の様な化け物教団が生まれ、教育レベルの高い若者達を惑わしている。現世利益で信者を集める大規模教団や、釈尊に自身を重ねて、釈尊の言葉を勝手に解釈している教団等、似非仏教が後を絶たない。金のためには他人を騙すし、自分の利益の為なら平気で人も殺す。 愛人との関係を大事にしたいが故に、母親が我が子を手に掛ける。 現世は心を忘れ、物質や金銭の過多により、幸福の価値を判断する、いわば末世と言ってよい世相だ。

 時代は違っても、法然や親鸞が民衆の救いの為に「南無阿弥陀仏」を布教したのは、浄土に対する願望を持たせることで、荒んだ民の心を救う為であったのだろう。 人は物質に満たされても、心が満たされない限り、渇望感に常に苛まれる。 社会的成功を得た人が、歳を取り「名誉」を望む気持ちも、その現れであろう。 現世の世相を見る限り、「南無阿弥陀仏」に代る「救いの」教えが現れることを願っているが、無理な注文かもしれない。

 会場には法然と親鸞の肖像画や彫像が展示されていた。 重要文化財である彫像は極めて写実的であり、じっと眺めていると、法然や親鸞が語りかけて来るような錯覚を覚える。 鋭角的で鋭い眼光の親鸞像は、従来、自分が描いていた親鸞のイメージと大きく異なっていた。 展示物から受ける親鸞の精力的な布教活動は、さもありなんの感じだ。 これに対して、法然像は温和な人格者を思わせ、しかも、何物にも動じない泰然とした印象を見る人に与える。 仰ぎ見る人に、心の安らぎを覚えさせる佇まいをしていた。 硬直化した既存の仏教界に対し、革新的宗教革命を成した人とは思えなかった。展示物を見ていると、法然が既存仏教者に対する接し方を、弟子たちに厳しく律している姿勢から性急な改革者のイメージは無い。 展示場の法然は「事を成すには、大言壮語はいらない、地道に一歩一歩進むのが大事だ」と語っている様に感じられた。

 館内の展示を全て見るのに、2時間強を要したが、法然に対して新たな認識を得られたことは、大きな収穫であった。更に、博物館を出てからの、本来の目的である、旧友たちとの久しぶりの語らいは、アルコールの助けもあって理屈抜きに楽しいひと時であった。
  

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