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2011年9月24 日: アメリカから見た福島原発事故 T.G.

 NHK教育テレビで「アメリカから見た福島原発事故」というドキュメンタリー番組を見る センセーショナルな描き方ではないが、福島原発事故について第三者であるアメリカ側関係者の見方や証言を淡々と引き出していて説得力がある。惜しむらくはこの作品が3.11以降に作られたものであることだ。それ以前に作られていたら、今の福島の風景は違ったものになっていたかもしれない。NHKもこういう良質な番組ばかりを放映してくれたら、高い視聴料にも腹が立たないのだが。

 番組は、福島原発に使われているGE製マークT型原発の馴れ初め、外観、特徴について映像を交えながら解説し、関係したアメリカ原子力技術者達へのインタビューをまじえて構成している。

 マークT型は今までに数十台製造され、内10台が日本に設置されている。1967年に建設が始まった福島の1号機には、アメリカでもまだ商用運転が始まる前の、初期のマークTが使われている。以来40余年、設計寿命はとっくに過ぎている原発を、東電はあれこれ継ぎ当てして無理やり運転を続けてきた。マークTについてGEは東電とフルターンキー契約をしているので、引き渡し以降の取り扱い責任が東電側にあることは言うまでもない。

 マークT型の特徴は、商用原発としてのコストダウンを図るため、格納容器が原子炉のサイズに合わせたコンパクトな構造になっていることだ。不足する冷却能力を補うため、下部にドーナツ型の圧力抑制プールを取り付けた特異な形状である。必然キャパシティが小さく、構造が複雑で脆弱になり、配管の溶接部や接合部に大きな負荷が加わわれば、亀裂や破断が生じ易くなる欠点がある。実際福島ではその通りの結果になった。地震もしくは炉内の圧力上昇で圧力抑制プールのどこかに亀裂が入り、冷却水が漏れだし、メルトダウンに至ったのだ。

 マークT型の脆弱性と危険性が、従来どう認識されていたかが問題である。番組冒頭で、GE社でマークTの設計に当たったデール・ブライデンボウ氏が証言する。氏はマークTの脆弱性に気付き、1976年に同僚の設計者と共同で、運転を取り止めるべきと社内で進言したが、受け入れられず退職したと言う。しかしながら彼の訴えに関心を持った連邦議会が取り上げ、特別委員会の公聴会で賛否入り乱れての激しい議論が交わされた。この委員会に、後に原発安全性のバイブルになったMITノーマン・ラスムッセン教授の有名なラスムッセン報告書が出される。レポートの結論は“原発事故の確率は50億分の1、“隕石に当たるのと同じ天文学的低さ”と断を下している。 福島はその“50億分の1の不幸”と言うわけだ。このラムスッセンレポートの信奉者は日本にもたくさんいて、事故が起きた今も東電や原子力村の御用学者達がこれを免罪符に使っているのは笑止と言う他はない。

 その後もアメリカではマークT型の危険性についての議論が度々行われた。その結果、1972年にNRC(米原子力規制委員会)が「我々はこの格納容器の使用を決して許可すべきではなかった」と言明し、スリーマイル後の1985年には「当委員会としては、およそ90%の確率でこの格納容器に深刻な事故が起きると想定している」と言う見方を公表している。1979年に起きたスリーマイル島の事故は、原発大国アメリカに衝撃を与えた。さしものラスムッセン報告も疑問に晒され、事態を重く見たNRCは、原発の安全性と対策の見直しを始めている。

 格納容器は万が一原子炉が破損した場合、漏れ出す放射性物質を閉じこめることが唯一にして最大の役割である。スリーマイル原発はマークTと違う型の原子炉で、大きな格納容器を使っている。格納容器が大きければ、冷却も容易だし、事故が起きたとき発生する水素の処理がしやすい。それでも事故が起きた。容器サイズが断然小さいマークT型はより危険度が高い。福島の1、3号機では、発生した水素ガスが格納容器内に充満し、その圧力で格納容器の蓋が押し上げられ、建て屋内に漏れだした。その結果水素爆発を起こした。

 番組の中で元サンディア国立研究所のケネス・バジョロ博士は、「1980年代にマークIを廃止すべきか、真剣に検討した。今も検討すべき課題だ。 特に地震の危険性が高い場所では真剣に考えるべきだ。」と証言している。アメリカではこのマークT型は東海岸だけで、地震の多い西海岸には1基も建設されていないという。そんな危うい原子炉を、地震多発国の日本が無反省に40年間も使い続けていたのは驚きだ。1970〜80年代にアメリカ国内で認識されていたマークT型の危険性、地震多発地域での不適合性が、なぜ日本には伝わらなかったのだろう。おそらく伝わっていたのだろうが、東電を初めとする電力業界と原子力村の御用学者達が問題を甘く見て、業界寄りの立場から意図的に情報封鎖したのだろう。そうとしか思えない。

 1987年頃からアメリカではマークTの安全対策が検討され、1994年にベント取り付けの指針が出される。ベントとは万が一原子炉に事故が起きた際、発生する水素ガスを逃がして水素爆発を防ぐための排気弁である。高濃度の放射性物質も一緒に放出されるから、原子炉破壊のような最悪事態を回避する目的以外、使うべきでない究極の非常手段である。つまりマークT型はそんな危うい弥縫策を必要とするほどの、いわば“出来損ない原発”なのだ。アメリカの指針に倣って、東電が渋々ベント機能を取り付けたのは14年も経った後の2008年である。原発事故は隕石に当たる確率より低いという固定観念に呪縛された東電は、本気で取り付け工事をしていない。稼働テストもろくに行わず、放射性物質を濾過するフィルターすら付けなかった。その証拠に、地震翌日の3月12日に実施されたベントは、開放弁がうまく作動せず、そのうえ菅首相の邪魔が重なったりして、不成功に終わった。その結果、破局に至った。

 さらにアメリカの関係者が一様に驚くのは、福島原発の非常用ジーゼル発電機の設置場所である。福島の場合、命綱である非常用発電機が海に近いタービン建て屋と同じ場所に置かれていたので、津波で動かなくなった。福島事故の最終的原因はこれに尽きる。最初のトラブルは地震で送電線の鉄塔が倒れ、電源喪失したことだが、とどめを刺したのは、このときのために用意した非常用発電機が動かなかったことだ。

 福島1号機の設計図面を見せられたケネス・バジョロ博士は、「信じられない過ちだ。 非常用発電機と空気を取り込む配管も同じ高さにしたのは考えられない過ちだ。」と慨嘆する。本来このような非常用設備は、異なる場所、異なる高さに設置しなければならない。そう言う多様性こそが様々な脅威から原発の安全を守る最後の防御だと博士は言う。その上で、「福島の事故はマークIの格納容器だったので事態が悪化した。しかし発電機の設置場所のことの方が、より大きな誤りだった。」と付け加えている。

 番組ではアメリカテネシー州のブラウンズフェリー原子力発電所が紹介される。ここには福島と同じマークT型の原発が3基設置されており、それに対し非常用発電機が計8台置かれている。発電機はそれぞれ異なる4ヶ所に設置され、更に防水扉が備えられていて、万が一の洪水にも対応出来るようになっている。これが当たり前のことなのだとバジョロ博士は言う。 その当たり前のことが福島では出来ていなかった。

 福島の場合、当初非常用電源の設置場所は原子炉建て屋と同じ階に置かれる設計になっていた。それをわざわざより低く、海に近いタービン建て屋に設計変更し、その図面で申請書を出したのだと言う。それを原子力安全保安院がチェックし、何の疑問も持たず通してしまったのだ。何のための安全審査か。こうなると福島の事故は災害ではなく、人災だったと言わざるを得ない。パジェロ博士は言う。「原発の安全性を脅かす最悪のものは、想定を決めて想定外を無視することだ。津波や地震に対する安全設計も全く同じだ。想定より大きな地震や津波の安全対策をしない。それが過ちなのだ。」と。百歩譲って今回の津波が想定外の大きさだったとしても、2台の非常用電源を海岸ぺりの同じ場所に設置したことの言い訳にはならない。番組に登場した当時の東電副社長、豊田正敏氏が言う。「こんなおかしな図面は初めて見た。 設計ミスだ。東電も審査当局も、誰も気付かなかったのは何とも不可解だ」と。当時の東電の最高責任者の言い草とは思えない無責任さである。ただただ慨嘆!

 オークリッジ国立研究所のシェル・グリーン氏は、かねて原発が電源を喪失した場合のシミュレーションを行っていた。それによると、電源喪失後、冷却不能になった原子炉は5時間で炉内が2500度に達し、6時間半でメルトダウンが始まり、その30分後に融けた核燃料が格納容器の底に落ちる。その30分後、電源喪失から8時間後に格納容器も壊れる。実際福島の事故はこのシミュレーション通りに進行したと言う。グリーン氏は、「事故の翌日、アメリカ時間の土曜の朝、自宅のテレビで福島の事故を見ていて、妻に「水素爆発が起こりそうだ」と言った数分後に、実際に水素爆発が起きた。そのことで深刻な炉心溶融が起きていることが分かった。」と証言している。その頃日本では、ベントをやるかやらないか、ヘリで水をかけるかどうかなどと、見当はずれの話で明け暮れていた。当局が炉心溶融を認めたのは10日も経ってからだ。こういう杜撰な危機管理をしていて、はたして日本は原発運用の資格があるのだろうか。

 日本にはマークT型原発が計10基ある。そのうち福島の5基は事実上廃炉になった。残る5基の内、菅直人が無理やり止めた浜岡の2基はもはや廃炉同然。残るは女川1号炉、 敦賀1号炉、島根1号炉の3基。原発を今後どうするかの議論とは別に、少なくともこの3基のマークT型は即刻廃炉にするべきだろう。その上で、あらためて原発の安全性をとことん追求し、現存する原発に抜本的な安全対策を施すべきだ。少なくとも、あの程度の地震では倒壊しない送電線鉄塔建設と、非常用電源の多様性確保は焦眉の急ではあるまいか。それが福島の教訓だろう。あれから半年。いつまでたってもそう言う地に足の着いた議論が始まらない。いまだに“原発事故の確率50億分の1”という先入観にとりつかれた学者や原子力安全委員会や保安院が、いい加減なストレステストでお茶を濁している。民主党政権もそれを傍観している。

 危機管理に際しての科学的精神の欠如と、希望的観測に流れる幼稚さは、日本人に共通する悪弊である。福島原発事故に至る経緯は、前の戦争と敗戦への推移に酷似している。当時の国家指導者達は、国際情勢や国力、戦力について合理的な判断が出来ず、無謀な戦争に突入した。挙げ句に戦況が悪化してもそれを直視せず、強気の大本営発表を繰り返し、無惨な敗戦に追い込んだ。戦争指揮に当たった大本営の愚かさは、今の原子力村とそっくりである。そのアナロジーで言えば、福島の事故がミッドウェー海戦だとすると、やがてもっと大きな破局が到来するに違いない。その意味で、原発に対する賛否はさておき、出来るだけ多くの日本国民が自戒のためにこのドキュメンタリを見るべきだろう。  【番組映像へのリンク】

  

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