【伝蔵荘日誌】

2011年9月20日: プールサイドの人々 GP生

 ジム通いを日課にし始めて六年が過ぎた。 休館日の金曜を除き午前中の一時間半をジムで過ごすのが習慣となり、通わないと何となく手持ちぶたさで、気持ちが落ち着かない。 お蔭で体調も良く、家での力仕事や大工仕事、ペンキ塗り等の仕事をしても、身体の特定部分に痛みや張りが残ることは少ない。ジムは今年の夏、開店10周年を迎えて、大幅なリニューアルを施した。 居心地は更に良くなった。

 当初は、ウオーキングマシン等の機械ジムを中心にして、プールでは時々歩く程度に留めていた。 機械ジムは所詮機械で、人間が機械に合わせることになる。その為、身体のあちこちを痛めることがあり、時々整体の世話になった。年寄りには機械ジムは無理と悟り、それ以降はプールでの水中歩行一本に絞った。

 縦25m、横8m、深さ1.2m、4レーンの小ぶりのプールがジムの4階に鎮座している。 このトップヘビーは地震の時には些か恐ろしいが、解放感は素晴らしい。 何年も同じ時間帯に通っていると、毎回同じ顔に出くわす。 お互い特別に会話することはないが、水中歩行中、間違って接触したり、水をかけたり、エレベーターで一緒になったり等、一寸した切っ掛で色々な人達と挨拶を交わしたり話をする様になった。

 長年の友人であるKo君はジムの古手の会員で、ジム内での知人も多い。 プールで歩きながらの彼との会話は、完全なタメ口となる。 幾ら親しい関係でも、その様な口調で話している者同士はいないので、如何も目立つようだ。 「どのような、関係ですか」とKo君はよく聞かれたようだ。 人柄の良いKo君に対する周囲からの信頼のおこぼれを頂戴して、「友達の友達は友達」の関係で話をする人たちは次第に増えていった。

 Waさんは50代後半の体の締ったハンサムボーイだ。 プールに入る前に、80度のドライサウナと22度の水風呂との往復を三回繰り返す。 水風呂に入る前に頭から冷水をかける。 傍から見ても、血圧や心臓が大丈夫かハラハラする。 同じ仲間に、70歳半ばのAoさんと60歳後半で元ラガーマンがいる。自分からすれば自殺行為にしか見えないが、「大丈夫?」とは聞くと「大変気持ちよく、この気持ちよさは、健康につながる」との返事だ。

 Waさんはジム近くの繁華街で、占いを生業としている。 街案内のテレビ番組にも時々姿が映る。 彼に占いの要諦は何かと聞くと、「占いとは統計学」だと言う。 脱衣所で自分の手相を見てもらったら「生命線が人差し指の付け根まで来ているので、長寿である」との見立てであった。 「このような手相は多くない」とまで言われると、八卦であっても信じたほうが心が豊かになる。   彼は「占いは統計学」などとトボケテいるが、感性や霊感も唯ならないものを持っていると睨んでいる。

 高温サウナの常連のAoさんは現役時代、某放送局でクラシック音楽を担当していたそうだ。 大層気性が激しい人で、街で車道の端を歩いていたら、バスにクラクションを鳴らされた。頭にきた彼はバスを止めて、運転手に10分以上噛みついた武勇伝の持ち主だ。 自分も彼と親しくなる以前、プールで歩いていて、彼の直前でUターンしたら、バカヤローと怒鳴られて水をかけられた。

 プールに付属して、各種の水流マッサージ設備がある。 足裏をマッサージする垂直流は一か所しかない。 ここで、毎回30分以上ゴルフスイングのイメージトレーニングをしている70歳後半の男性がいる。 ゴルフの後は背中マッサージ所で10分過ごし、また30分のゴルフスイングを繰り返す。毎日これをしているので、自分は見るに見かねて「使いたい人もいるので、考えてもらえませんか」と丁寧に話した。 最初は、「自分は迷惑をかけていない」などと、逆切れして文句を言い出したが、最後には納得してくれた。 その後、ゴルフスイングはキッカリ5分に短縮した。 これ以来、彼とは親しく話す関係になったが、お互いの名前は知らない。

 毎日、アクアダンスのイベントがあり、若いインストラクターの下でおばさん達が水中ダンスを繰り広げている。 定員は40人。水中歩行をしながら、暇に任せて見ていると、インストラクターの個性が良く分かる。

 火曜日のNaさんは積極的で元気が良い、甲高い声の持ち主だ。 おばさん達の関心を自分に向けさせるために、色々なネタを披露して話しかけている。  傍から見ていても、話が水の上を滑っていて、おばさん達が白けているのが分かる。 それでも、毎回めげずに同じスタイルを繰り返すのは、見上げた根性だ。歩いていても、彼女のキンキン声は心地の良いものではない。 先のWaさんの感性は彼女の声に激しく乱されるようで、彼女を毛嫌いしている。

 水曜日のOkさんは、「アクアアドバンス」名のもとに、高度な技を教えている個性的な美人だ。 リズミカルな掛け声は、水中を歩く者にも気持ち良いリズム感をもたらしてくれる。 木曜日のUaさんは大柄でファイト溢れる女性だ。明るい性格は、声からも身体からも溢れていて周囲を和ませる。 プールサイドを走り廻り「エンャー トットー」などと、間の手を入れる。出身は宮城県かと聞いてみたら、茨城県人だった。

 Taさんはプールサイドで一時間のストレッチと、40度のスチームサウナを楽しむ60代後半の女性だ。 スリムな健康体は年齢を感じさせないし、女学生の様な可愛い声を発する。 プールには絶対入らない。 Ko君の話仲間なので、いつの間にか彼女と話をするようになった。 性格は明るく、出しゃばることなく、話し上手であり、且つ、聞き上手でもある。 霊感の全くない自分でも、プールで歩きながら彼女を見上げると、なんとなく、オーラを感じることがある。ショートカットでボーイッシュな、どこにでも居そうなおばさんであるが、何処か奥ゆかしい佇まいを感じさせる。 福井の旧家の出と聞いた。 秘かに「プールサイドの女神」の愛称を奉っている。年に数回、写真が趣味のご主人と長期の海外旅行に出かける。 彼女が留守のプールサイドは、なんとなく淋しい。 Ko君も同じ意見だ。

 ジムに通う切っ掛けは、Ko君の勧めによる。彼とは小学校の同級生であるから、60年来の友人だ。 母親の介護をしているとき、飼い犬のゴールデンレトリーバーを連れ、少し離れた善福寺公園に、気晴らしを兼て早朝散歩に出かけていた。 その帰途に、公園の近くに住むKo君のお宅の玄関に犬を繋ぎ、お茶をご馳走になりながら雑談をして過ごすことが多かった。 介護で心身ともに疲れていた自分にとって、心からリラックス出来る貴重な時間であった。 彼も、両親を最後まで看取った経験を持っている。その頃開店したジムに、Ko君は通い始めていたので、朝9時半には退散するのが常であった。 母の死後、体調最悪の自分を見たKo君が、ジムに通うことを勧めてくれた。 これ以来、現在に至っている。

 平日午前中のプールは高齢者の天国で、若い人は一割にも満たない。 しかも、9割以上は女性で、男はなんとなく遠慮しているようにも思えるし、彼女達の傍若無人ぶりは時には目に余る時もある。 二、三人固まって歩き、話に夢中になって交通妨害に気が付かない女性群や、他人の顔前に前後を確認せず飛び出して、衝突寸前の状態にも平然としているおばさん達だ。 中年以降の女性は、得てして、自分の事しか考えていない人が多い様に思える。 中には、歩くのが遅い事を気にして、慎ましくコースを譲ってくれる女性も居る。 その時は「有難うございます」と声を掛ける様にしている。高齢者にとってのプールは運動を兼ねた社交の場でもあるようだ。 特に女性にとっては、社交は運動以上にウエイトが大きいように思える。話はしなくても立ち振る舞いを見ているだけで、夫々の生き方が分かる感じがする。

 毎日、歩きながら数字を唱えていた80歳近い女性の姿が見えなくなったので、彼女の知人に聞いてみたら「亡くなられた」との事だった。 彼女だけでなく、ある日突然、姿を見せなくなる高齢者も多い。 所が、何ヶ月ぶりに突然姿を現すと、何故かホットして嬉しさを覚える。 他人事とは思えない気持ちが、そう感じさせるのかもしれない。 高齢者にとって、ジムを毎日往復し、泳いだり、歩いたり出来ることは生きている証でもある。 水中歩行は身体に対する負荷が極めて少ない全身の有酸素運動だ。 心と身体に癒しをもたらしてくれるプール生活は、年寄りに活力を与えてくれる場でもある。生きている限り、プールサイドの仲間たちとの一時を、楽しみたいと思っている。
  

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