【伝蔵荘日誌】

2011年9月15日: 年寄りにとっての諦めと悟り GP生

 先日、秋田に住むWaさんに電話をした。  以前日誌に書いたが、Waさんは昨年秋、脳梗塞の為視力の80%を失い、今年になっての白内障の手術により新聞の大見出しが読める程度に回復をした。  それでも日常生活は奥様の助けなくては、一日たりとも成り立たない。  一時は生きる意欲を失った様に思えた。 70歳を過ぎたある日、突然失明しとしたら誰でも平常心を失うし、その後の生活に意欲を持てといわれても無理な相談だろう。

  失明に限らず、高齢になるにつれ、何らかの疾病に罹患する恐れや、突然の事故に巻き込まれて身体に障害を受ける可能性は誰でも高くなる。自分の周辺でも、ガンに侵され胃部を全摘をした何人かの友人や悪性関節リュウマチに悩まされている友人もいる。  首関節を痛め好きなスイミングを止められている人はジムの仲間だ。  背中に対する過度の負荷の為に首が右に曲がったまま、痛みに耐えて仕事をしいる知人もいる。何らかの治療や生活改善により、元に戻る保証があれば別だが、如何なる手段によっても治療の効果がなく、Waさんの様に大きなハンディを背負って生きなければならない人は多いことだろう。最近では、近隣の高齢者の多くは病院のベットでの寝たきり生活やら、特養介護施設を転々として、自宅に帰れない人たちも多い。

  若い時には、困難に直面しても諦めることなく、明日を信じて頑張って突破できた。  松下政経塾で松下幸之助翁は「事を成すことが出来ないのは、能力の不足ではない。 執念の不足である。」と野田総理ら一期生に諭したという。これは若者に対する言葉であって、年寄りを諭す話ではない。心も身体も若いということは素晴らしいことだ。 若い頃は、50キロのキスリングを背負って粗食に耐えて何週間もの山行が出来たし、仕事での徹夜の連続にも平気であった。自分達の人生に明日を感じていたからこそ、新婚の貧乏生活でも二人で耐えることが出来た。 例え、欲しい物があっても、「今は諦める」との悟りが何の苦労もなく出来たのは、若さ故の「明日に希望が持てた」からだ。

人によって違いはあるが、ある年齢を過ぎると執念だけでは如何にもならない現実に曝される。 夢は薄れ、希望も消えかける時も少なくはない。 仕事や生活の中で諦めたり、割り切らざるを得ない事が多くなる。 サラリーマンであれば、それは会社での自分の将来を何となく悟れる時期かもしれない。人は生きて来た過程で、物事を意識的にせよ、無意識にせよ取捨選択しながら諦めを重ねてきたのかもしれない。 それでも、心と身体が健全であれば、未だ人生を諦めようとは思わないだろう。

 交通事故死は近年減少の一途だが、自殺者は年間三万人を超えているそうだ。理由は夫々であるにしても、この世での自分の人生を諦めた人が、これだけの数、存在している。 最近では、高齢者の自殺が増加していると聞いている。自分は心の在り様ひとつで、人生は如何にでも変わるものだと信じているが、悩みや苦しみが加わると、心の視野が次第に狭まり、マイナス思考のスパイラルにはまり込んでしまうことも否定はできない。

 「人間、諦めが肝心だ」とよく言われた。 幾ら頑張っても、努力しても達成できない事に執着して、時間と労力を無駄にすることは馬鹿らしいということだろう。 そのように悟ることは中々難しいことでもある。歳を取ると生活や行動、人間関係の範囲がどうしても限られてくる。 執着せずに、諦める事々は多くなる。 自分の置かれた状況を理解し、悟った上での諦めなら立派だが、どうしても未練が残る。 残った未練は心の毒となることすらある。

 現在の自分を考えても、故有って五月の半ば以来、生活が縛られている。春の伝蔵荘合宿や夫婦での旅行は勿論、家族での外食もままならない。 このままでは秋の伝蔵荘合宿参加にも黄色信号が灯りそうだ。 全ての解決には年内一杯を覚悟せざるを得ないかもしれない。 諦めることは容易だが、諦めを悟りに昇華させるのには、些か距離がある。 親としての責任、夫としての覚悟は持てても、今年自分に与えられた試練であろうと悟ることは未だ出来ていない。

 母親の介護の三年間は、息子としての義務感は持っていた。 この世に親子として生まれてきた意味を考えて、親の介護をする意義を十分悟っていたかと言われれば、否である。 母親の死後、時間の経過の中で、自分が両親を最後まで看取る立場に何故置かれたのかを考えた時、子としての親に対する本当の義務感を悟ることが出来たと思っている。 事の最中では日々の介護に追われて心身共に疲れ果て、「今日一日は終わった、明日をどうする」以上の想いには至らなかった。

 苦境におかれた時、人はどうにもならない現実から諦めの心境になる。 しかし、自分の置かれた現実を達観して悟れるかと言うと、大変難しいことだと思う。悟るということは、自分にとって逃げ道がないことを自覚し、いわば苦しみと悩みの中に精神的活路を見出す心の持ち方に他ならないからだ。 諦める事で悟ることが出来れば、どれ程楽かしれない。現在進行中の悩みや苦しみ中で悟ることは、自分の様な凡人には難しいようだ。事が去り、時間が経過した後、その時々の事を冷静に振り返り、真摯に反省した中で始めて悟りの境地に至れるのかもしれない。

 Waさん場合、何故自分がこんな苦しみを背負わなければならないかを悩んだようだ。 悩んでも目が見えない現実は変わらない。残された将来に絶望したと思われる。 ここ半年の自分との電話の中で幾度絶望を口にした事だろう。 その反面、生きたいとの想いは彼の言葉の端端に強く感じられた。 自分一人の孤独ならいざ知らす゛、献身的に支えてくれる奥様の存在は、ともすれば挫けそうになるWaさんの心の支えにどれ程なったか知れない。

 Waさんとの電話では、かっての様に、「自分が彼と同じ立場であったら如何する」かと、自問しながら話をする様に努めている。仙台での学生時代、教養課程でドイツ語一科目の単位を落した為、留年したことがある。その歳の春、同じ悩みを抱えたWaさんと二人で、宮城、山形との県境にある二口峠の山小屋、雪に埋もれた伝蔵荘に二週間籠った。学部進級を果たしていたTG君が、雪をかきわけ、心配して独りで慰問に訪れてくれた。

 雪の山小屋で毎夜、WaさんやTG君と何を話したかの記憶は定かではない。けれどお互い、好き勝手に馬鹿を言い合うことで、気持ちの整理をしていたのだろう。本当に気心の知れた者同士が本音で語り合えることは、悩める心の救いになるものだ。ましてや、人生経験は未熟で、頭でっかち同士の話だから、幾晩語り合っても話が尽きることはない。今思い起こしても、挫折のあるなしにかかわらず、お互いの心の痛みは共有できたし、相手の悩みも我が事として思い遣ることも出来た。お互い、未熟ではあったが、人生に希望を持ち、いかなる時でも「何とかなるさ」と思える若さは、素晴らしい癒しを与えてくれた。青春時代の特権みたいなもので、現在では望むべくもない。

 五十年の時が過ぎても、Waさんとの電話では心の底に押し込められていた、かっての感情が共鳴すのかもしれない。 直接会っての会話と違い、相手の姿が見えない電話はイマジネーションをより駆り立てる様だ。 人の心の働きの不思議を想う。今年の、Waさんとの会話を振り返ってみると、絶望から諦めに進み、最近では悟りの心境に近付きつつある様に感じる。 Waさんのこの変化は、我がことの様に嬉しく思っている。

 我々の年齢でも些か長い人生が残されている。若い時の様に、希望と期待に満ちている訳ではないが、気持ちの在りようによっては、まだまだ捨てたものではない。 悟りを目指しての、諦めの繰り返しかもしれないけれど。自分は「与えられた現在の環境と生活を大事にすること。妻や子供たちとの調和に心掛けること。長年に亘る友人や仲間たちとの交誼を大事にすること。」が、「自分に残された老後の安寧に繋がる」と悟っている積りでいる。
  

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