【伝蔵荘日誌】

2011年9月8日: 原発の憂鬱 T.G.

 久しぶりに東京へ出て、昔の会社の友人達と飲んだ。 在職時の職種、職場はそれぞれ違う人たちだが、半年に一度会って旧交を暖め合っている。 前回は東日本大震災の三日前、3月8日だったので、あの地震のときの各自の体験が最初の話題になった。 居間でテレビを見ていた者、繁華街を歩いていた者、車に乗っていた者、電車に乗っていた者などそれぞれであったが、幸い身の回りにさしたる被害はなかった。 それでもあの震度6の揺れ方には、全員が恐怖を感じたようだ。

 各自の地震体験談が一段落したところで、話題は自然と福島原発、今話題の脱原発に移った。 2万人が亡くなった地震津波災害は確かに甚大ではあったが、これは過ぎ去ったこと。 今では復旧という明るい光も見えて来ている。 しかしながら、福島原発の惨状はほとんど改善されていない。 収束に道筋は見えず、放射能被害はますます広がっている。 この先日本が国家レベルで抱え込む悪夢で、いまだに希望は見えてこない。 原発は今後どうなるか、どうあるべきか、どうすべきかが議論になった。 脈絡のない四方山話ではあったが、その中でも二通りの切り口が主たる話題になった。 一つは菅直人が言い出し、世の中の論調もそちらに傾きつつある脱原発論。 もう一つは原発無しではたして日本経済が立ち行くのかという現実論である。

 最初にOnさんが根源的な問題提起をする。 「人知で制御できない原子力には、そもそも人類が手を出すべきではなかった。 福島でそのことを身に滲みて知らされた。 今からでも遅くはない。 原発は即刻やめるべきだ。」と。 まったく同感だ。 福島の体たらくを見ていたら反論のしようがない。 そもそも原子力発電は、生み出される膨大な放射性廃棄物の後始末を考えずに始めた不完全技術で、いまだに根本的解決策を見いだせていない。 半減期10万年の放射性廃棄物処理については、大きく分けて二通りの考え方がある。 一つは、安定した地層の固い岩盤に穴を掘って、そこに埋めてしまう方法である。 フィンランドやスウェーデンなど北欧諸国が採用している。 もう一つは、出来るだけ動かさず、原発周辺に貯蔵して管理する方法で、アメリカがその代表格だ。 おそらく人類は、これ以外のもっと進んだ解決策を今後とも考え出すことは出来ないだろう。

 しかしこの二つの方法はいわば妥協の産物で、とても根本解決策とは言えない。 固い岩盤と言っても、未来永劫安定している保証はない。 時間が経てば地殻変動が起きたり、想定外のトラブルが起きる可能性はある。ヒマラヤも昔は海底だったのだ。 間違って誰かが掘り出してしまうことだってありうる。 一種の気休めである。

 原発周辺で保存管理すると言っても、この先何十年、何百年も同じレベルの管理が続けられるわけではない。 100年単位の時間幅では、戦争などで今の管理体制が失われる可能性は極めて高い。 だからこれも一時の気休めだ。 原発をやめて廃炉にしても、膨大な量の使用済み核燃料は残る。 超高温の使用済み核燃料は、プールに入れて水で覆い、長期間冷やし続けねばならない。 冷却が数時間止まっただけで水が蒸発し、メルトダウンが起きることは、福島の4号機が示している。 実に危うい存在だ。 しかもこの方法は、アメリカや中国など、広大な国土を持つ国に許される話で、日本のような狭い国土ではまず不可能だ。 日本全国至る所にそんな危うい場所が50カ所もあるなんて、悪夢以外の何ものでもない。

 Tdさんから、廃棄物はロケットで宇宙に捨ててしまったらどうかという案が出た。 ロケット打ち上げ技術は完全ではない。 何回かに一度は失敗する。 そのたびに膨大な放射性廃棄物が地上にばらまかれるから、危なくて出来ないと反論が出た。 言い出しっぺのOnさんから、海底1万メートルのフィリピン海溝か日本海溝に沈めるのはどうかという意見が出された。 海溝は両側から押し寄せるプレートがぶつかって沈み込む地形である。 ここに沈めておけば、やがて下方のプレートに引き込まれて、地球の奥深いマントルに沈み込んでしまう。 希にごく一部が火山噴火などで地表に出たとしても、、すでに拡散してしまっているからごく微量である。 もしかするとこれが一番の名案かもしれない。 公海上だから反対する国もあろうが、少なくとも岩盤貯蔵や冷却プールよりマシだろう。 日本の場合、領海内に世界でもっとも深い日本海溝がある。 六ヶ所村よりはるかに安上がりで安全ではなかろうか。

 日本は、使用済み核燃料と高放射性廃棄物をフランスに送って処理してもらい、それをガラスで固めて格納容器に入れ、六ヶ所村に建設予定の最終処分場に埋めるという、北欧に近い方式を前提に原発を進めてきた。 使用済み燃料の一部は再処理し、MOX燃料にしてもう一度燃やすという方式も併せて考えていた。 もうこの方式は続けられないだろう。 六ヶ所村の最終処分場は建設途中で頓挫しているし、今の脱原発の風潮で、何も利益を生み出さない莫大な建設予算が認められるはずがない。 その上フランスがいつまでも割に合わない再処理を受け入れてくれる保証もない。 日本は他力本願で、後始末の見通しも全くない杜撰な計画を推進してきたのだ。 よくもこうデタラメがまかり通ってきたものだ。

 Tdさんがもう一つの話を切り出す。 彼が日立の原発技術者に聞いた話として、「もう日本は原発無しに生きてはいけない。 原発をやめて他のエネルギー源で埋め合わせるには、膨大な石油やLPGがいる。 輸出国は足元を見て吹っ掛けてくるだろう。 日本の電力料金はますます高くなり、需給も不安定になる。 風力はまだしも、太陽光は発電量が小さすぎて、とても原発の代替えにはならない。 日本経済は競争力を失い、三流国に落ちぶれてしまう。」と。 これも現実ではある。 世界は熾烈な競争をしている。 その中で日本の風向きは良くない。 税制や雇用や安い電力で国の全面的支援を受けているサムスン、ヒュンダイなどに、パナソニックやソニーや日産は負けている。 中国やインドなど、さらに原発推進に突き進んでいる勢いの良い国に、日本経済は駆逐されるだろう。 雇用も賃金も生活水準も大幅に下落する。 社会秩序は乱れ、犯罪が多発するようになる。 それでもいいのかと言われると、心が揺らぐ。

 そもそも今回の地震津波で、原子炉や格納容器、タービンなどと言った原発の主要部分は壊れなかった。 壊れたのは、いわば付帯設備とでも言うべき電源と冷却システムである。 電源さえしっかりしていれば福島の事故は起きなかった。 その証拠に、震源地により近い女川原発や、すぐ隣の福島第2原発は、電源が壊れず何事もなかった。 電源と冷却システムを頑丈にすれば、日本の原発はまだまだ十分使える。 使える間は使って、日本経済を支えた方がいいのではないか。 今の民主党政権は検査済みの原発を再稼働させない方針らしいが、いかにももったいない。 原発の危険性は止めても動かし続けても変わらないのだ。 そのことは、津波襲来時に運転を正常停止していた福島4号機の惨状を見れば分かる。 原発がすでに50基も出来てしまった今、進むも地獄、退くも地獄としたら、進んだ方がいい。 十分の対策を施した上で。 今さら原発をなかったことには出来ないのだ。

 話の最後にTdさんが別の話題を持ち出した。 近いうちに今回のような大災害が再び襲ってくる可能性は高い。 もう一つ別の、そう遠くないうちに間違いなく起きる国債デフォルトとどちらがいいだろうと。 今の日本に900兆円にも達する巨額債務を返済する能力はない。 特に民主党政権になってからは、バラマキ予算で国債発行残高が止めどもなく増え続けている。 デフォルトの日は遠くない。

 答えづらい究極の選択ではあるが、相対比較すれば地震津波の方がはるかにマシだろう。 東海、南海トラフの連動地震が起きると、その被害は今回の東日本大震災の比ではないと言うが、まあ一部の地域に限った話である。 日本が全部やられるわけではない。 国債デフォルトが起きたらとてもその程度では済まない。 被害は全日本、全国民に及ぶ。 デフォルトと同じことが起こった、65年前の惨状を思い起こせばよく分かる。 あの時はほとんどの国民資産が失われ、住むところも食べるものもなく、多くの国民が死に、飢えた子供達は栄養失調で体中にでき物が出来た。 あの大混乱と生活水準の劣化に、今の贅沢に慣れた国民は耐えられるだろうか。 そうなった時は、「あの時はおじいちゃん達だって耐えられたのだから、お前達も耐えられる。 頑張れ!」と、子や孫達に言うしかないだろう。 それまで生きていたとすればの話だが。

 次回はもう少し明るい話をしたいものだねと言い合って散会した。
  

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