【伝蔵荘日誌】

2011年9月4日: 心と身体と伝蔵荘日誌 GP生

 伝蔵荘日誌に初めて投稿したのは昨年の9月初旬であるから、かれこれ一年が経過したことになる。 この一年間の日誌投稿を振り返ってみた。

 自分は昨年3月に古希を迎えた。還暦の時には家族に祝われ、真っ赤なジャンバーを着せられた。 年齢的には老人の仲間に入ったのだが、歳をとった実感はなかった。 家族がお祝いをしてくれるのに対して、こそばゆい思を感じていた。70歳となると全く違う。 自分の老後を直近の問題として意識する歳だし、現在はまだ元気だとしても、この後どの位、心身の状態が維持出来るのだるうかと真剣に考えざるを得ないからだ。そんな折、昨年の春から夏にかけて、昔年の親しい友人や先輩、それにお世話になった人達が相次いで亡くなった。 ほとんどは60歳後半から70歳後半にかけての年齢で、高齢者特有の病が圧倒的に多かった。 中には心の病を引きづったまま、この世を去って行った山仲間もいた。この年になると、あの世への旅立ちには年齢順はない。

 そんな折、伝蔵荘主人であるTG君から日誌を投稿してみないかと勧められた。伝蔵荘日誌は山行等の記録や写真は伝蔵荘住人たちか投稿しているが、それ以外はTG君が何年にも亘って彼一人で書いていた。自分は若い時から作文は苦手の部類に入っている。 仕事上の技術的レポートはデーターに従った記述で、無味乾燥な文字の羅列に過ぎないから余り苦にならない。 日誌はその時々の出来事や経験、感じたことを文字にする、謂わば、自分の内面の一部を切り取り、文章で描写する作業だ。 しかも、数は少なくても、不特定多数の読者も居るようだ。 よし書いてみようとは簡単にはTG君に返事はできなかった。

 自分はここ十数年、人の心の在り方に関心を持ってきた。 また、縁あって分子栄養学に出会い、学習と実践に努めてきた。考えてみるまでもなく、人は肉体と心とを併せ持ち、人として存在している。人にとって身体の健康と健全な心を併せ持つことは、何時の年齢でも大切なことだ。 ましてや、70歳を迎えて、残された自分の人生を見据えた時、心と身体の問題を改めて考え直す必要があるのてないかと考えた。

 「温故知新」と言う熟語が論語にある。 昔の事を良く学び、そこから新しい考え方や知識を得たり、また過去の事を研究して、現在の新しい事態に対処するとの意味だそうだ。 70歳を契機にして、自分の人生の温故知新に伝蔵荘日誌に活用出来ないかと考えた。TG君が常日頃「文章を書くのは、高度の知的作業で、老化防止にもってこいだ、是非書いたら良い」と言っていた事にも後押しされた。

 思い起こすと、中高合わせて6年間を過ごした学校で、週3回「凝念」と呼ばれる全校集会があった。 苑長先生の指導で、へそ下に両手を組み、静かに目を閉じて、心の中に念を凝らす行為だ。 苑長先生の講和の後「心力歌」を全員で唱和する。 「人の心が本来豊かなものであるが、これを忘れて人は形ある物質を求め執着する。 人生を豊かにするも、貧しくするも、心の持ち方次第だ。 心を丸く豊かにする生き方が本来人として在るべき姿なのだ。」等々、心力歌には人の心の在り方の大切さが、全八章、文語調で書かれている。中学時代には内容は分が判らずただ声を張り上げるのみであった。 唯、漢文の素読と同じで、美文朝の名調子は記憶に残された。 高校時代には文章の意味は理解できたが、その後、大学受験を始め、社会人になっても、現世利益に関心が強く、心力歌の内容は心の外にあった。

 平成の初め、然る人の勧めで高橋信次先生の存在を知った。 先生は当時既に亡くなられていたが、唯一のお弟子さんである園頭広周先生は健在で、高橋先生の教えを広めていた。 高橋先生の教えは釈尊の教えそのものであり、両先生の著作を勉強するにつれ、理屈抜きで心に沁みこんできた。 中高6年間の心力歌の記憶が心の中に残っていたことに由ると思う。心力歌の中心思想は釈尊の教えを換骨奪胎して、子供たちにも理解できるよう書かれたものだということが、数十年を隔てて理解できた。

 「心に力ありと言えども、養はざれば日にほろぶ。 心に霊ありと言えども、磨かざれば日に昏む。 力ほろび霊昏みて、ただ六尺の肉身を、天地の間に寄するのみ、哀しからずや、世俗の人」とか「得るに喜び失うに泣き、勝ちて驕り敗れてうらむ。 喜ぶも煩いを生み、泣くもまた煩いを生む。驕れば人と難を構え、怨むも世と難をなす。 いたましからずや、かかるうちに、五十年の生涯尽く」は心に残った心力歌の一節だ。 根底には釈尊の教えが流れている。平成六年に思う所あって、三十年務めた会社を退職した。 その後の人生では心の成長の大切さを説いた高橋先生の教えに支えられてきたように思える。

 退職後、数年して分子栄養学を日本で初めて体系化した三石巌先生を偶然知る機会があった。 先生はその年の春、95歳で逝去されていたが、先生が残された膨大な著作とお弟子さん達と縁があって出会う事も出来た。分子栄養学は「自分の身体を知り、健康の自主管理をするための栄養学であり、健康を支える基本は、高タンパク、高ビタミン、ミネラルと機能性成分、それに、生体が必然的に発生させる活性酸素の除去にある。 様々な体調不良や病、老化の進行は、この基本が崩れることで起こる。」との考え方より成っている。従来の栄養学は人を平均的存在とみなし、栄養の中心にカロリーを置いた。 分子栄養学はDNAが人それぞれ異なる様に「必要栄養素の摂取量は個人により異なる」とする個人差の栄養学と言える。

 分子栄養学を学ぶにつれ、自分が今まで病気もせず、健康で居られたのは、両親から遺伝したDNAと若さのお蔭によるものだと知れた。 このまま加齢が進めば、健康が維持出来ない可能性があることと、妻の健康アップを図る必要から、食生活を三石先生の教えに従って徐々に替えてきた。 妻と自分の身体、体質の違いから、共通の食事は夜のみで、朝、昼はそれぞれお互いの身体の違いを考慮したメニューにして来た。 この食生活は十年以上続いている。自分が七十歳を過ぎて健康で元気に生活出来るのは、分子栄養学に配慮した食生活と妻に啓発された生活習慣全体の見直しにあると思っている。心と身体のバランスを取りながら、ともにレベルアップしていくことは、誰にとっても大切なことであるが、実際には大変な努力が必要で、言うは易く行うは難しの部類だ。

 伝蔵荘日誌は日常身辺で生じている事柄をテーマにして書くことが多かった。具体的記述には、心と身体に関する上記の想いが根底にあることは間違いない。TG君から「文章はその人の全人格を現す。 人はその人の持つ頭脳以上の文章は書けない」と言われた事がある。 彼の言う通りなのだが、それを意識したら、不特定多数の人が読む可能性のある伝蔵荘日誌に文章を書けなくなる。だから、難しいことは意識の外において、その時々に感じた自分の想いを出来るだけ素直に書くことを心掛けている。

 時々、TG君からそれとなく文章上のアドバイスを受ける事がある。 彼は慧眼の持ち主で、直感的に事の本質を見抜く眼力を持っている。 学生時代のワンゲルで、猪突猛進型の自分は幾度彼に助けられたことか。 従って、彼の適切な助言には素直に耳を傾けることにしている。 文章に限らず、先達の意見にはまず従ってみることが、自身の進歩に繋がる大事なことだとも思っている。

 加齢と共に時間の経過は超特急で進行する。 あっという間の一年であった。途中、東日本大震災や福島第一原発事故などが起こり、生活を考え直す機会を与えられた。 日誌を書くことにより、日頃考えていることが整理出来たり、同じ事でも別の側面から考えられるメリットがあった 。生きる意欲が持てないと、文章を書くことが出来ない事は良く分かった。 積極的に生きていく意欲を維持する手段としての日誌投稿は有効な手段である。

 TG 君の言のごとく、日誌投稿が頭の老化防止に繋がっているか否かは自分では分からない。 ただ、PCに向ってキーボードを叩く意欲があるうちは、効果があると信じて、今後も投稿を継続しようと思っている。
  

目次に戻る