2010年8月21日: Si君からの便り GP生 ![]() 文面を何回も読み直し、色々と感慨にふけった。 昭和30年代後半に立ち上げた東北ワンゲル連盟の運営をSi君と一緒に行った。 当時の加盟校は4校で、Si君は仙台の私立大学のキャプテンであった。 地方に住む大学生は現在と違って他校の学生と交流する機会は殆んどなかった。 連盟主催の合宿におけるテントの中での会話や壮大なキャンプファイヤーは、自校の合宿にはない新鮮なものであった。 特に薬科大学のワンゲルは女子部員が圧倒的に多く、合宿での男子学生の人気の的であった。 合宿の企画や全日本連盟の合宿参加の段取りや、日々の活動の打ち合わせやらは、Si君と相談しながら進めた。 一年間の交流であったが、自分にとっては忘れ難い経験であった。 卒業後、Si君は関東の然る県警に奉職した。 自分は離島の鉱山勤務で顔を合わす機会はなかったが、年賀状の交流で彼が元気に活躍していることは知れた。 毎年、墨絵調の素晴らしい版画の賀状が届いた。 気が付いたら、一度も顔を合わすことなく、50年近く年賀状だけの交流が続いたことになる。 彼の賀状を見るたびに、宮城県北部の鬼首高原での合宿や、神津牧場での全日本WV連盟の合宿を思い出す。 小柄だががっしりした体躯で、積極的に飛び回る姿が目に浮かぶ。 現在はお互い50年前の若者ではない。 もし突然町ですれ違っても、何処の誰かは分からないだろう。 けれど、目を瞑れば心の中に当時のイメージを描くことが出来るからこそ、年に一度の賀状の遣り取りがかくも長きに亘って続いたのだろう。 ![]() 会社時代にお世話になった先輩、苦労を共にした仲間等々、恐らく生涯に二度と顔を合わせることのない人たちとの年賀状の遣り取りが続いている。 歳を重ねるにつれて、年賀状を書く時期が来ると、面倒だと思う気持ちが無いわけではない。 ただ、住所録の氏名を眺めているだけで、それぞれの人達にまつわる過去の様々な出来事が思い出される。 自分が生きてきた証である人達が健在である限り、賀状だけであっても交流を続けることは意味があると思っている。 歳を取るにつれて、新たに増える賀状より、年末に受け取る喪中挨拶状が増え、それに連れ投函する賀状の数は減少していく。 意識して積極的に生きない限り、社会との関わりも次第に疎遠になり、新たな人との関係を構築することも少なくなるし、煩わしさを覚えることもある。 新たな人生を切り開く意欲の低下もある。 それに身体的不調が重なれば、尚更新しい人間関係に係るのが面倒になるし、より安逸な方向に流れるのは仕方がないことだ。 ![]() 年寄りにとって、楽しい記憶や思い出は更に大切だ。 これ等の記憶に関わった人達が健在であり、何らかの繋がりを持っていれば尚更だろう。 加齢と共に精神と肉体は衰えつつも、その先には老後の人生が残されている。 過去に関わりのあった人達との繋がりは、濃淡の違いはあっても、現在の自分に少なからず影響を与えているものだ。 既にあの世に旅立った人達とは、現世での通信手段はない。 現世でしか人と関わり合うことは出来ないし、現世での人々の関わりで意味のないことは一つもないそうだ。 例え年に一度の賀状の遣り取りであっても、過去の自分と夫々の人との関わりに想いを致すことは、老いた自分の心を豊かにすることになろう。 この世で関わった人たちとの関係の意義は、現在は分からない。 夫婦、子供、山の仲間、仕事仲間等々の人との関わりの持つ意味は、あの世に戻った時に初めて分かるのかもしれない。 この世では知ることが出来ない人間関係の意義だからこそ、その時々の、例え一期一会の関わりであっても、大切にしたいものと思っている。 |