【伝蔵荘日誌】

2011年8月8日: 中国の鉄道事故で思うこと GP生

 中国の高速鉄道事故には驚いた。 驚いたのは事故そのものではない。 追突し、落下した先頭車両を重機で壊し埋めてしまったことだ。 世の批判が強まると、今度は埋めた車両を掘り出し別の場所に移したことだ。 報道を見ている限り、事故原因を究明するというより、批判を一時かわすための手段に見える。 その代り、鉄道省の幹部の処分の早いこと。 さすが中国、いや、これぞ中国の思いだ。

 その後、信号系統の問題やら運行ソフトの欠陥やら原因らしきものが次々と出てきている。 さすが、当局は落雷に責任全部を押し付ける無理を悟ったようだ。日本やカナダ、欧州の最新の鉄道技術を導入し、運行ソフトも欧州モデルを基にしながら自主開発したと称している。 更に、突貫工事による、路盤、線路架線等々、手抜き工事が本場の国ゆえ、鉄道全体を信頼しろと言われても無理だ。 ガンダム人形をコピーするのと訳が違う。

 技術の模倣は進歩の一手段であるのは確かだ。 しかし、鉄道の様な複雑な運行管理を含む技術システムの模倣は、コピー大国中国と言えども簡単ではなだろう。 技術体系は単なるスキルではなく、開発した国の国民性、強いて言えば文化に裏打ちされているからだ。 各国の先端技術を集めて、中国独自の文化にまで熟成するには、時間が足りな過ぎるし、技術の習熟には謙虚さも必要だ。  どれも無い物ねだりの感がある。 ましてや、技術より政治的思惑を優先する国では、先進諸国で行われるであろう事故原因の徹底解明は望むべくもないだろう

 原因を究明することが、次の更なる事故防止する唯一の手段であり、これなくしては技術の進歩は絶対にありえない事の認識は、かの国にはない。先進各国の先端技術の良いとこ取りをして、中国独自の技術的熟成することなく、自前で開発した鉄道だとして、海外に売り込みを図ろうとする。 己を知らず、技術のなんたるかも知らぬ、夜郎自大の国民性のしからしめる結果が今回の事故であろう。

 かつて、日清戦争直前に、当時の清は国威発揚の示威行動の為、戦艦「鎮遠、定遠」を日本に派遣した事があった 。両艦ともドイツ製で7200トン強の艦艇であったが、当時の日本にはない巨艦で、日本中が怖れを成したと何かで読んだことがある。 後の連合艦隊司令長官東郷平八郎は係留している艦艇の主砲に水兵の洗濯物が干してあるのを見て、恐れるに足らずと語ったという。結果は、後の黄海海戦で両艦は沈没は免れたたものの、完膚なきまで叩きのめされた。

 新聞報道によれば、中国はウクライナからスクラップとして購入した航空母艦のドンガラを改装して、初の航空母艦とするそうだ。 カタパルトがないため艦首に向って緩い傾斜を設け、風上に向かって全速で走行して航空機を発信させるシステムと言う。 専門家は、中国でこの艦艇に必要な速度を与えられる、強力なエンジンを製造できるのかと疑問を呈している。 完成しても速力不足で航空機を発信できない可能性がある。戦力としての空母と言うよりも、清国の鎮遠、定遠のごとく、7万トンの航空母艦は張り子の虎としての政治的意味合いがあると考えるほうが、かの国の国民性に合致する。

 技術システムの運用には国民性が色濃く出る。 福島第一原発においても、基本設計は米国GEで、日立、東芝が建設を担当した。もし、日本が独自に原子炉を開発し、基本設計から全て自前で建設出来たとしたら、今回の様な惨事は避けられたのではないかと夢想する。 津波により、非常用の発電施設を全て失ったことが、今回の大惨事を招いている。 日本への導入に当たり、耐震強度には意を注いだと思うが、基本設計思想は所詮、外国製だ。今まで40年近く、災害国日本で重大な事故を起こすことなく、運転管理してきたことは、誇っても良いと思う。

 福島第一の事故収束のため、高濃度汚染水処理設備が日本とフランス、米国の処理技術の良いとこ取りと知った時には些か危惧を覚えた。その後の運転経過を見ても、トラブルの大部分は外国製に集中している。 誰がこの設備導入を決めたか知らぬが、設計思想の異なる設備の寄せ集めは、現地運転担当者に多大の努力を強いる割に成果を出しにくい。稼働率云々が報道されるたびに、現地運転担当者の労苦が偲ばれる

 日本の水処理メーカーは放射性物質処理実績はないにしても、処理原理は複雑なものではないだけに、対応可能のはずだ。 東芝が高性能の放射性セシュウム除去設備を製作し、現地で設置工事を行っている。 処理システムで最も負荷が掛かる放射性セシュウム除去装置の性能が上がり、安定的に稼働することが、以下の装置の安定稼働に死活的意味を持つ。 喜ばしいことだ。今後何年も、安定冷却の中心になる高濃度汚染水処理設備が、複数回路を持たぬ方が不自然だ。 いずれ、現在の設備に併設して、もう一系統準備されるだろう。

 技術者を貴ぶ国にしか、技術は発展しない。現在に至っても、両班意識が強く、現場で働く人たちを、一段低い人達として蔑視する伝統を有する朝鮮半島では、経済が幾ら発展しても独自の技術は育たないだろう。かって、鉱山で働いていた時に、毎年韓国の技術者が長期研修に来た。酒を飲みながら話をしたが、彼らに共通しているのは「習得した技術は自分のもので、社内では決して教えない。」と言うことだった。かっての日本人は国費で外国で学んだものは国に、社費で学んだのであれば会社に還元するとの意識を持っていた。現場職人に敬意を払わず、得た技術は全て自分の利益と考える国民性の国に本当の技術的発展はないだろう。日本の様に高い技術を持つ現場労働者に対して「職人さん」と尊称する国は少ないようだ。

 明治の開国以来、日本人は先進国から幾多の技術を導入してきた。 日本人の手にかかると先進国の荒削りな技術が洗練され、原理は変わらないものの優れた設備や製品にと変身してきた。極限まで技術を洗練しようとする国民性は、技術立国日本のバックボーンであろう。これが、在る限り、福島第一事故解決のための技術開発は時間は要しても、希望が持てると考えている。
  

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