【伝蔵荘日誌】

2011年7月18日: 菅直人の前世とは GP生

 今日も、いつも通りジムでの水中ウオーキングに励んだ。けれど、幾ら歩いても身体のキレが悪く、気力も衰え気味なので30分で終りにした。 連日の暑さによる睡眠不足に加え、前日、空室でのルームクリーニングの疲れが抜けなかったのかもしれない。 気持ちだけの若さは長続きしないようだ。 プールサイドの安楽椅子に深々と座り、キャップで目隠して、暫くウトウトしていた。 若いインストラクターのもと、アクアダンスで躍動している30人近い中高年の女性群を見ていたら、何の脈絡もなく、テレビで見た菅直人の死にかけた爬虫類を思わせる空疎な眼が浮かんだ。 周囲をあえて敵に回し、孤立無縁にもめげず、総理大臣の職に何故執着するのだうと考えていた。

 国会が正常化されて久しい。 おかげで菅直人の顔を見る機会が増えた。 先日も予算委員会のテレビ中継を暇に任せ見ていたら、答弁に立つ菅直人の顔がたびたびアップされていた。 自分に都合の悪い質問にはボソボソと何を言っているのか判らない答弁を繰り返し、言い訳と自己弁護になると声を荒立てる。 いずれの時も、眼は死にかけた爬虫類のごとく、生気のかけらも見られない。

 商売人、孫正義におだてられて、「私の顔を見たくなければ」を何回も繰り返し、「法案を通せ」と絶叫する時の目は生き生きと輝いていた。 アジ演説は彼本来の姿なのだろう。 いずれにしても、国会で答弁する彼の顔を見ると、虫唾が走り、生理的な嫌悪感すら覚える。 6月2日の詐欺師、ペテン師呼ばわり以来、菅直人は手段を選ばす政権延命を図って来た。

 浜岡原発運転停止で味を占め、柳の下の泥鰌を狙った「ストレステスト」発言。部下の海江田をコケにしても、恥じるとこるがない。突然、「脱原発宣言」の記者会見を行った。 原発に依存しない社会を作ると高々と宣言していた。日本の産業構造に及ぼす影響に対する言及がない。原子力発電が全量の30%を占めるているのに、対応する具体策がない。再生可能エネルギーにしてもはるか先の話しだ。国民の節電だけに期待されても困る。テレビ評論家の宣言ではない。 政策実行に責任を有する、政府の最高責任者の言である。ただ、ただ、自分が日本で脱原発を発言した総理大臣としての虚栄心を満たしたいのか、それとも、耳目を引く情報を発信し続ければ、政権延命可能と勘違いしているのだろうか。実行の道筋が見えない理想論は政治家が言うものではない。

 処が、この発言に批判が集まると、「政府の考えではなく、私個人の考えだ」と逃げを打つ。日本国政府の最高責任者が、官邸での記者会見で高らかに宣言しておいて、衆議院本会議場で私人としての発言かのごとき訂正する。 個人の考えはないだろう。正常な神経の持ち主ではありえない。 やはり精神医学の問題だ。 一昔前なら、「松沢病院に行け」となる。 直近の世論調査で支持率が12.5%まで落ち込んだが、さらなる低下は必須だろう。 ここまで来ると、自分の立場をわきまえぬピエロさながらの姿が哀れを誘う。最近の菅直人の言動を考えながら「彼はいかなる過去世を生きてきたのだろうか」とプールサイドで夢想した。

 人は現世での肉体だけが人としての存在ではない。 肉体はこの世で生きていくための魂の乗り船に過ぎない。 この世では肉体と魂が一体となって、人として存在している。 人の本体たる魂はこの世に生まれ出る時に、現世での人生目的を魂の仲間たちに誓って来た。 しかし、この世に誕生すると同時に、誓った目的は潜在意識の中に閉じ込めてしまう。 潜在意識が100%開いていたら、この世での魂の修行にならないからだ。 だから人は誕生以来、試行錯誤を繰り返し、苦しみ悩みながら成長をしていかざるを得ない。それが現世の厳しい定めだ。 それでも、生前に潜在意識の10パーセントが顕在化すれば上々としなければならないようだ。

 人は過去に何回も生まれ変わり、現世で魂の修行を繰り返す存在だそうだ。直近の過去世の反省から、現世での宿命とよばれる定めを背負って、この世に生まれて来ると言う。 過去世で王侯貴族の人生を送り、経済的豊かさの中で人生を全うした人が居たとする。 その人は現世では、過去世とは反対の貧困の中で魂の修行をしようと決意することが多いそうだ。 人は生まれると同時に想いの全ては、潜在意識に閉じ込められてしまう。だから、誕生前には、貧困状態を求めた魂であっても、誕生後は「自分はどうしてこんなに貧いのか」と悩み苦しむことになる。 貧しさの中に魂の修行を求めたのであるから、本人がどんなに努力しても、現世では経済的に恵まれることはないそうだ。けれども、経済的貧困の中で心を大きく育て、ひがむことなく、心の豊かさに幸せを求めて、一生を終える人も居るだろう。人そのものの中に在る、その人本来の価値や存在意識が問われている様だ。

 人は直近の過去世がどんな状態であったのか、そこで何を学び何を反省したのかで、現世での人の生き方が現れるはずである。信じるか否かの世界であるが、長谷川一夫の過去世は徳川家康であるとの説がある。 家康の事績は今更語る必要は無いけれど、美醜で言えば、ぶ男の範疇に入る。この家康が、来世で美男子に生まれ、美男である中での魂の修行をしようと考えてもおかしくはない。 長谷川一夫は天下の二枚目俳優として、看板の顔を切られるというおまけまで体験して人生を全うした。過去世の家康は今世での人生目的を果たしたことになる。

 さて、菅直人は如何なる過去世であるのだろうか。 市川房江女史の名を勝手に利用し、女史をして怒らしめ、利用する物は全て利用し、上昇志向の極致たる日本国の内閣総理大臣に登りつめた。 例え、支持率1%になろうともで、職を辞すること100%在りえない頑張りは、如何なる過去世によるものであろうか。人にとって上昇志向は悪いことではない。 向上心がなければ人は決して進歩しないのだから。

 問題は何を求めて向上するかであるかであろう。 菅直人の求めるものとは、日本での最高権力者の座であり、得られた立場から何時までも離れたくないとの想いであろう。最高権力者として国民の幸せと、国家の安寧、国力増強の為に何かを成すのであれば話は別だ。 唯、権力を振りかざすことに喜びを得ている様に見える。遊園地で最高のブランコから降りず、独り占めしている子供のようだ。ブランコは他人を楽しませるものではなく、自分一人喜びを得る遊び具なのだから。

 菅直人が過去世で、王侯か一国一城の主であったかは知らぬ。もしそこで、権力者の立場を思い切り経験した事があったとしたら、現世での見苦しいまでの執着はないだろう。恐らく権力闘争の中で、志半ばで倒れたり、殺されたりした過去世を何回も経験したと考えると合点がいく。過去世での悔しく辛い思いを、彼の魂は十分に吸い込んだまま現世に誕生したのかもしれない。 けれど、邪な心を持つ魂は、心の歪みを修正しない限り、この世には誕生できないのが天上界のルールである。彼がこの世に誕生したのであるから、誕生前に「今度生まれる時は、世のため人の為に施政を行う権力者になれるように努力したい」程度の意識を持ち、魂の仲間たちと約束してきたに違いない。

 誕生すれば、過去世の全ての記憶と仲間たちとの約束は潜在意識の中に閉じ込められ、人生の真の目的は意識の彼方にかすれてしまう。 権力を希求する凄まじい執念だけが顕在化しているのかも知れない。彼が現世での己の誤りを悟り、人生を修正できれば救いはあろう。 更に、今の立場で東北の各地で苦しむ国民に、勇気と希望を与える政策を法律化して、次々に実行することが出来れば、ベストの修正になろう。

 しかし、今ここにある国民の苦しみを直視することなく、直近の問題ではない再生可能エネルギー法案を延命の手段とする。 閣内からも党内からも見放されつつある中で、内閣総理大臣の職にしがみ付いている。見るも無残な自己保存しか見えてこない。自己保存は人として存在する限り、誰しもが持つ本能的な欲求である。だからこそ、自己保存の心を乗り越える努力をすることが、人にとって現世での共通の人生目的の一つになる。凄まじいまでの自己保存に囚われている菅直人の魂は、過去に何回も繰り返して来た、あの世での厳しく長い年月を再び過ごすことになるだろう。 成長できない魂は「しずのオダマキ繰り返し」を続けることになる。多くの人々の反面教師としての存在としては大きいが、彼の頑張りも極限を迎えつつあるようだ。

 プールでは疲れを知らない、おばさん達のカラフルな水着が舞っている。  自分の疲れもいくらか回復して来たようだ。菅直人への夢想は終り近づいた。菅直人の現世での誤りは他人事ではない。 自分を含め、人は長い人生の中で過ちを重ねて生きて来ている。 反省し修正した過ちもあるが、気が付かぬうちにそのままになっている過ちも多い。 気が付かぬまま、あの世に持ち越して、辛い修正をするなら、現世の事は生きているうちに正すに如くはない。

 かく言う自分も、この世での人生目的が薄っすらと判って来ている感はあるが、古希を過ぎても確信は持てない。 恐らく、この世での生命が尽きて、あの世に渡った時に、後悔を持ってこの世での人生を振り返ることになるのかもしれない。  

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