2011年7月18日: 菅直人の前世とは GP生 ![]() 国会が正常化されて久しい。 おかげで菅直人の顔を見る機会が増えた。 先日も予算委員会のテレビ中継を暇に任せ見ていたら、答弁に立つ菅直人の顔がたびたびアップされていた。 自分に都合の悪い質問にはボソボソと何を言っているのか判らない答弁を繰り返し、言い訳と自己弁護になると声を荒立てる。 いずれの時も、眼は死にかけた爬虫類のごとく、生気のかけらも見られない。 商売人、孫正義におだてられて、「私の顔を見たくなければ」を何回も繰り返し、「法案を通せ」と絶叫する時の目は生き生きと輝いていた。 アジ演説は彼本来の姿なのだろう。 いずれにしても、国会で答弁する彼の顔を見ると、虫唾が走り、生理的な嫌悪感すら覚える。 6月2日の詐欺師、ペテン師呼ばわり以来、菅直人は手段を選ばす政権延命を図って来た。 ![]() 処が、この発言に批判が集まると、「政府の考えではなく、私個人の考えだ」と逃げを打つ。日本国政府の最高責任者が、官邸での記者会見で高らかに宣言しておいて、衆議院本会議場で私人としての発言かのごとき訂正する。 個人の考えはないだろう。正常な神経の持ち主ではありえない。 やはり精神医学の問題だ。 一昔前なら、「松沢病院に行け」となる。 直近の世論調査で支持率が12.5%まで落ち込んだが、さらなる低下は必須だろう。 ここまで来ると、自分の立場をわきまえぬピエロさながらの姿が哀れを誘う。最近の菅直人の言動を考えながら「彼はいかなる過去世を生きてきたのだろうか」とプールサイドで夢想した。 ![]() 人は過去に何回も生まれ変わり、現世で魂の修行を繰り返す存在だそうだ。直近の過去世の反省から、現世での宿命とよばれる定めを背負って、この世に生まれて来ると言う。 過去世で王侯貴族の人生を送り、経済的豊かさの中で人生を全うした人が居たとする。 その人は現世では、過去世とは反対の貧困の中で魂の修行をしようと決意することが多いそうだ。 人は生まれると同時に想いの全ては、潜在意識に閉じ込められてしまう。だから、誕生前には、貧困状態を求めた魂であっても、誕生後は「自分はどうしてこんなに貧いのか」と悩み苦しむことになる。 貧しさの中に魂の修行を求めたのであるから、本人がどんなに努力しても、現世では経済的に恵まれることはないそうだ。けれども、経済的貧困の中で心を大きく育て、ひがむことなく、心の豊かさに幸せを求めて、一生を終える人も居るだろう。人そのものの中に在る、その人本来の価値や存在意識が問われている様だ。 人は直近の過去世がどんな状態であったのか、そこで何を学び何を反省したのかで、現世での人の生き方が現れるはずである。信じるか否かの世界であるが、長谷川一夫の過去世は徳川家康であるとの説がある。 家康の事績は今更語る必要は無いけれど、美醜で言えば、ぶ男の範疇に入る。この家康が、来世で美男子に生まれ、美男である中での魂の修行をしようと考えてもおかしくはない。 長谷川一夫は天下の二枚目俳優として、看板の顔を切られるというおまけまで体験して人生を全うした。過去世の家康は今世での人生目的を果たしたことになる。 ![]() 問題は何を求めて向上するかであるかであろう。 菅直人の求めるものとは、日本での最高権力者の座であり、得られた立場から何時までも離れたくないとの想いであろう。最高権力者として国民の幸せと、国家の安寧、国力増強の為に何かを成すのであれば話は別だ。 唯、権力を振りかざすことに喜びを得ている様に見える。遊園地で最高のブランコから降りず、独り占めしている子供のようだ。ブランコは他人を楽しませるものではなく、自分一人喜びを得る遊び具なのだから。 菅直人が過去世で、王侯か一国一城の主であったかは知らぬ。もしそこで、権力者の立場を思い切り経験した事があったとしたら、現世での見苦しいまでの執着はないだろう。恐らく権力闘争の中で、志半ばで倒れたり、殺されたりした過去世を何回も経験したと考えると合点がいく。過去世での悔しく辛い思いを、彼の魂は十分に吸い込んだまま現世に誕生したのかもしれない。 けれど、邪な心を持つ魂は、心の歪みを修正しない限り、この世には誕生できないのが天上界のルールである。彼がこの世に誕生したのであるから、誕生前に「今度生まれる時は、世のため人の為に施政を行う権力者になれるように努力したい」程度の意識を持ち、魂の仲間たちと約束してきたに違いない。 ![]() しかし、今ここにある国民の苦しみを直視することなく、直近の問題ではない再生可能エネルギー法案を延命の手段とする。 閣内からも党内からも見放されつつある中で、内閣総理大臣の職にしがみ付いている。見るも無残な自己保存しか見えてこない。自己保存は人として存在する限り、誰しもが持つ本能的な欲求である。だからこそ、自己保存の心を乗り越える努力をすることが、人にとって現世での共通の人生目的の一つになる。凄まじいまでの自己保存に囚われている菅直人の魂は、過去に何回も繰り返して来た、あの世での厳しく長い年月を再び過ごすことになるだろう。 成長できない魂は「しずのオダマキ繰り返し」を続けることになる。多くの人々の反面教師としての存在としては大きいが、彼の頑張りも極限を迎えつつあるようだ。 プールでは疲れを知らない、おばさん達のカラフルな水着が舞っている。 自分の疲れもいくらか回復して来たようだ。菅直人への夢想は終り近づいた。菅直人の現世での誤りは他人事ではない。 自分を含め、人は長い人生の中で過ちを重ねて生きて来ている。 反省し修正した過ちもあるが、気が付かぬうちにそのままになっている過ちも多い。 気が付かぬまま、あの世に持ち越して、辛い修正をするなら、現世の事は生きているうちに正すに如くはない。 かく言う自分も、この世での人生目的が薄っすらと判って来ている感はあるが、古希を過ぎても確信は持てない。 恐らく、この世での生命が尽きて、あの世に渡った時に、後悔を持ってこの世での人生を振り返ることになるのかもしれない。 |