【伝蔵荘日誌】

2011年7月13日: 心配するということ T.G.

 会社同期の友人二人と伝蔵荘で酒を飲んでいたとき、「心配」について議論になった。 「G君はどうも物事を心配し過ぎる。 どうでもいいことをいつまでもくよくよ考える。 心配しても始まらないことを心配する気が知れない」とA君が言い出したのが話の発端である。 それに対し、「例えば可愛い子供が高熱を出して病院に救急車で運ばれたとする。 心配ではないか」と反論すると、「やるべきことをやって信頼する医者に預けたのだから、後はどうしようもない。 心配しても仕方がない。」と言う。 やり取りを聞いていたO君が、「それは違う。 医者に預けてもなおかつ心配なのが親の気持ちではないか」と口を挟むと、「僕だって心配だからあれこれ考え、出来うる限りの最善策を講じる。 なすべきことをした後は心配しても始まらない。 心配して物事が少しでもいい方向に向くならともかく、そうでなければ心配などしない。」と受け付けない。 あれこれ議論したが、所詮酔っぱらい同士の酒飲み話。 平行線でお開きになった。 確かにそれがA君の心配の仕方であり、人生観なのだろう。 酒の肴の議論だったが、心配についての人それぞれの違いが痛感できて面白かった。

 A君の言うとおり、自分は昔から心配性である。 若い頃は心配性が服着て歩いているような感じだったと家人に言われるから、相当なものだ。 とにかく何につけつまらぬことをくよくよ心配する。 いい加減にしなさいよと家人にたしなめられることがよくある。 そのことは当人も自覚している。 俺はどうも心配性が過ぎると。 例えば映画を見ていて、悪漢に襲われた主人公がピストルを撃ちまくって反撃する場面がある。 まだ敵が残っているかもしれないから、全弾撃ち尽くさず、一発ぐらい残しておいた方がいいのにな、などとつまらぬことを心配する。 もし心配性の自分ならそうするだろうなと。 そう言うハラハラ感の演出だと分かっていても、思わず心配する。 まったくもって救いがない心配性だ。 砂漠でコップ一杯しかない水を半分飲んでしまった。 まだ半分あると思うか、もう半分しか残っていないと考えるか、と言う話がある。 自分は間違いなく後者だ。

 こうなると我ながら実につまらぬ心配性である。 心配性の人間に大きなことは出来ない。 そういう性格だから、清水の舞台からは飛び降りられない。 舞台にも乗らない。 70年間、とうとう一度も飛び降りなかった。 こういう損な性格だから、いつまでたっても心配の種が尽きることがない。 仕事をしていた頃はもっぱら仕事上の自分の心配だったが、今頃は家族や子や孫の心配である。 孫が肺炎になったと心配し、息子や嫁の仕事がうまく行っているか心配になる。 家人が病院へ検査に行くと、何か悪いところが見つからないかと帰宅するまで気懸かりだ。 A君に言わせたらそれこそ無駄な、しても始まらない心配である。 「もう先は長くないのだから、どうにもならぬことはくよくよ心配しないで、気楽に行こうよ」と、多分彼には言われるだろう。 認知症になったら心配することも出来なかろうから、早くそうなりたいと冗談で言ったら、馬鹿なことをと家人に叱られた。

 福島より高速増殖炉もんじゅのことの方があまりにも心配で、そのことをGP生君に話したら、彼にも心配性を心配された。 「心配はストレスの種だ。 病気の9割は継続的なストレスが引き起こす。 君の心配症はストレス源になる可能性があるのて゛ちょっと心配だ」と。 確かに心配事があると、食欲が無くなり、酒が不味く、身体を動かす気にもならなくなる。 もう歳だし、こういう状態が続いたら良くない。 なるべく心配しないようにしているが、浜の真砂のように心配の種は尽きない。

 思い返すと、今までで最も心配したのは、病院で生後間もない息子に重い病気の可能性があると言われたときだ。 40年近く昔の話である。 幸いにも、実に幸いにも、完全な医者の誤診だったが、そうと分かるまでの1週間、文字通り飯が喉を通らなかった。 多忙の働き盛りの頃で、食べなければ身体が持たない。 食べやすいうどんを注文して、一本ずつ喉に押し込んだのを憶えている。 今では笑い話だが、思い出してもあのストレスは相当のものだった。 誤診と分からなければ身が持たなかっただろう。 サラリーマン生活を続けていられたかどうかも分からない。 何かの折りにこの話を道行寮で一緒だった開業医のNa君にしたら、「誤診はひどいな。 その医師が大事を取ってくれたんだよ。 感謝しなくては」とたしなめられた。
 
 これほど心配性なのに今まで無事長らえられたのは、どんなときでも夜ぐっすり寝ることと、一晩寝ると半分ぐらい忘れられる特異な性格に依ると思っている。 どんなに心配事があっても、ベッドに入ったら5分で寝られる。 生まれてこの方不眠症にかかったことがない。 不眠症の意味が分からない。 「心配しながらよく寝られるね。 本当に心配しているの」と家人に皮肉を言われる。 親友のMa君は仕事で大失敗したとき、鬱になって屋上から飛び降りそうになったと言う。 気付いた奥方に止められたという。 同じ伝蔵荘仲間で若くして亡くなったIk君は、単身赴任先での自殺だったという。 よほどの悩み事があったのだろう。 子供がまだ幼かった頃、風邪で高熱を出した。 伝蔵荘から帰る車の中でその心配を彼に話したら、「赤ん坊は熱を出すものだ。 熱で死んでいたら世の中の赤ん坊はみな死んでいる」と笑い飛ばされた。 Ma君もIk君も自分とまったく正反対の、心配性とは無縁の豪放磊落な性格である。 そのIk君が自殺と聞いたときは耳を疑った。 人は見かけによらぬものだ。 心配性の自分にもいろいろ大失敗はあったが、死にたいと思ったことは一度もない。 

 この歳になって、「人間万事塞翁が馬」という言葉の意味が理屈でなく実感として分かるようになった。 過去を振り返ってみると、若い頃にあれこれ失敗をして、その当時は夢も希望も無くして落ち込んだりしたものだが、今になってよくよく考えると、結果としてはそれで良かったと思えることが多々ある。 あの時の死にたいほどの心配や落胆が、今にして思えばどうと言うこともない。 決して悔し紛れの言い訳ではなく、あの失敗が今の良い結果につながっていると思えるようになった。 でもそれは何十年もたった後々の話であって、物事がうまく行かなかったその時点では死ぬほど心配した。 万事塞翁が馬だからその反対ももちろんある。 A君が「余計な心配しても始まらない、なるようにしかならない」、と言うのはそう言うことだろう。 それが分かっていながら心配がある。

 今朝も一つ心配事が起きた。 どうか今晩の酒と飯が喉を通りますように。 ストレスが残りませんように。 損な性分だ。   

目次に戻る