【伝蔵荘日誌】

2011年6月25日: 老後の終わりに来るものとは GP生

 昨日、母の代からお付き合いの在った80歳の女性が左大腿骨を骨折して急遽入院した。 彼女は昨年末、脳梗塞を起こしたが、幸い発見が早かったため重度の障害は残らなかった。 以来、リハビリ病院を転々として、掴まり立ちが出来る程度にまで回復していた。 連れ合いは健在だし、長男夫婦は同居している上、アパートの家賃収入がある恵まれた環境と言える。

 彼女は一週間ほど前に病院から、特設老人養護ホームに移ったばかりであった。 本人は自宅に帰りたがっていたが、帰れない障害が二つあった。 一つは木造二階建ての自宅は、生活の基盤が日当たりの関係で二階にあり、新たに昇降設備を作らない限り、生活が出来ない事。 もう一つは、長男の妻はキャリアーウーマンで専業主婦を拒絶していることである。 立派な自宅はハード、ソフト両面で彼女を受け入れることが出来ないため、特養ホームを転々とする運命づけられていた。 骨粗しょう症を患っていた彼女は特養ホームで転び骨折した。 脳梗塞の発症を防ぐため、ワーファリンを日常飲んでいるので、人工関節手術は一週間は出来ないようだ。 手術が終わってから、また長いリハビリの毎日が続く。 彼女の望みである自宅での生活は絶望的になりそうだ。

 彼女は何年か前に骨粗しょう症の気味があるからと、近くの開業医からカルシゥム剤の注射を受けていた。 検査では血液はサラサラと保障されており、全く安心しきっていた様だ。 サラサラの筈の血液は脳で梗塞を起こし、カルシゥム剤の注射の甲斐なく骨折した。 そもそも、ビタミンと異なりミネラルは摂取の許容範囲が極めて狭いため、サプリ類でのミネラル大量摂取の危険は常識のはずだ。 カルシゥムの口径摂取なら腸管からの吸収に限度があるからまだしも、静脈注射ではコントルールのしようがない。 各種サプリを日常摂取している自分ですら、ミネラルの摂取は食品からと心掛けている。 これは推測にすぎないが、定期的に血管に注入されたカルシュウムは全てが細胞に取り込まれず、一部が脳血管で梗塞物質の核となった可能性がある。 そもそも、骨粗しょう症にカルシゥム注射とは短絡すぎる話だ。 骨の75%はタンパ質たるコラーゲンであり、古い骨細胞は壊され、新しい細胞が作られる新陳代謝が日々行われている。 コラーゲン組織にカルシゥムが沈着して新たな骨になるのだから、タンパク質の摂取を疎かにしてカルシゥムだけ大量に体内に入れても骨材にはならない理屈だ。

 彼女の主治医の勉強不足が彼女に脳梗塞を発症させ、更に大腿骨骨折の追い打ちをかけた。 彼女は現在もこの医者を信じており、医原病により自分の老後が狂わされたとは考えてもいない。 以上の事は、耳に入った話を基にした自分の推測であり、何の証拠もない。 彼女が昨年脳梗塞で倒れなければ、元気な夫や長男夫婦や孫達に囲まれ幸せな老後を過ごしていた筈であろう。 それが、脳梗塞予防薬のため手術も出来ず一週間ベットで痛みをこらえなければならない。 痛みに我慢できなければ、痛み止めの注射となり、また余計な薬物を体内に入れなければならなくなる。

 自分の父は6年間の人工透析の後、80歳に2か月を残して心不全でこの世を去った。 食事つくりに妻は苦労したが、まだ若かった。 週三回の透析病院通いは、自分が会社出勤前に送り、迎は母や妻それに息子が番割を組んで行った。 皆大変であったが、親子三代が一致団結して乗り切ったのは貴重な体験であった。 それまで人の言うことを聞くことがなかった父が、素直に自分の話を聞いてくれる様になった。 朝の15分間、二人だけの車中会話の6年間は、父との意思の疎通を図る大切な時間であったし、その後の自分の人生にも大きな影響を及ぼした、懐かしくも貴重な想い出である。 母の晩年は、認知症の中に逃げ込んでしまっているので、幸せな老後の終末であったかどうかは分からない。 86歳で亡くなるまでの最後の3年間は、妻も自分も辛かった記憶しか残っていない。

 自分を含め伝蔵荘の仲間たちも皆、古希を迎えている。 車を運転したり、仲間と一緒に定期的に山歩きしたり、温泉旅行と老後の気ままな生活を楽しんでいる。 この様な生活も何時かは終息を迎えることになろう。 自分自身の事すら、今後の10年、15年後までの毎日の連続が、どの様な経過を辿るか想像すらできない。 もっと短い時間の経過の中で人生の終末を迎える可能性すら排除できない。 人は加齢と共に肉体も精神も衰えていく。 肉体の衰えも人それぞれで、中年以降の生活習慣と両親から遺伝したDNAにより衰え方も皆異なるだろう。

 聖路加病院の日野原先生みたいに、90歳を過ぎても現役の医師として周囲の信頼の厚い方もいるし、日本で分子栄養学を創設した三石巌先生の様に、95歳にして柔軟な発想のもとに、今も多くの人に読まれる著作をものにし、スキー場での風邪をこじらせ逝去されるという終末を迎えた方もいる。 日野原先生や三石先生の両先生に共通していることは、それぞれの学識、経験を自分の食生活に生かし、人体の持つ機能の活性化に積極的に努めたことだ。 自らの判断により食生活を含めた生活全般をコントロールしていることが、有意義な人生を全うできる所以だと思う。

 医者の診断は往々にしてマニュアルに従った意見になりがちだ。 マニュアルにあるのは平均的な病状、平均的な人に対する診断基準に過ぎない。 同じ病気でも人はそれぞれDNAの違いだけ病状は異なるから、個々に平均的人間がいる訳ではない。 昔の医者はマニュアルなどないから、それこそ個人を主体とした診断や処方箋を書いてくれた。 自分が病を得た時、医者の言を無視することなく、専門家としての一つの意見として受け入れたいと思っている。 医者を信頼する、しないは別にして、どんな医者でも個人の生命に全て責任はもてないし、あくまで限定的なものに過ぎないだろう。 自分の生命を含めた人生全ては自分でしか責任を持てないものだ。

 老後の終末の予測が難しいのは、自分一人の健康だけでなく、連れ合いの健康が大きなウエイトを占めるからだ。 健康だけでなく、夫婦の心の繋がりは更に大きな意味を持つ。 子供や子供の連れ合いとの人間関係も、場合によっては決定的意味を持つことになる。 老老介護の後には次の世代に依存せざるを得ないし、彼らが存在しなかったり、託すに足る存在でなければ、しかるべき施設に身を寄せることになる。 経済の問題はどのステージにしても根底に存在する。 経済と人間関係とは、やはり自分が生きていた結果の総決算にならざるを得ないだろう。 自分の健康だけ留意してあとは知らんぷりで、人生の終末を迎えられれば、それはそれで幸せなのかもしれない。 自分だけの事で終始できれば良いが、そうはいかないのが人生だ。

 自分は中年以降、一家の中心で生きてきたし、先祖からの墓と仏壇の継承の中に家族の繋がりの意義を感じてきた。 アナクロと言われようと、良くも悪くも家の責任者としての意識は強かった。 自分の老後の末に来る状態が如何なるものかは、もう少し加齢を重ねた先なら、予測できるのかもかもしれないが、現在では想像がつかない。 今後とも家族全体の事を意識しながら、自分の役割を務めていくことになるのは、今まで通りであろう。 自分の身体が自分の思う通りにならなくなる時は、何れ間違いなく訪れることになる。その時が、どのような状態かは想像外だが、自分の人生の総決算として、如何なるなる状態でも受け入れる覚悟はある。 この世に生を受けた幸せを感じながら、自分の責任で人生を全うするしかない。

 「色心不二」の言葉にあるように、心と肉体は一体として人を形づくっている。 しかも、日常的には精神の健全性は肉体の健康があって初めて保たれる事が多いの事実であろう。 若くして心を病み自らの命を絶った、何人かの仲間たちの事を思うと心が痛む。 彼らにはこの世での老後は存在しない。 老後を迎え、更に終末を考えられるほどの長命は、それはそれで目出度いことだが、それなりの悩みはついて回る。 この世で最後まで自分の人生を全うすることは大変なことだと思う。

 いずれにしても、残された日々は貴重な時間であることは間違いはない。 かっての山の仲間は掛け替えのない人生の同伴者である。 彼らと共に、この貴重な時間を大切にしたいものだ。

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