【伝蔵荘日誌】

2011年5月29日: 自然の脅威と人の営みに想う GP生

 新聞を読んでいたら興味ある記事を見つけた。  二千年前の弥生時代に今回と同じ 規模の津波の痕跡が見つかったというのだ。場所は、仙台市若林区にある「沓形 遺跡」とのこと。 学生時代、三百人町に下宿生活をしていたが、そこからさらに 東、海岸線から4キロ内陸に入った場所だ。 ここの水田跡の上に厚さ2~10セ ンチの砂の層が見つかった。 東北学院大学の松本秀明教授の調査で、砂の層は粒 ぞろいで海岸までたどることが出来たそうだ。 洪水で運ばれた砂は粒が不ぞろい とのこと。 津波の場合、海岸から運ばれてきた砂の内、小粒の物は引き波で海に 戻されるから、粒が大きく比較的重いものが残されたのではないかと推察する。  今回の津波により砂は海岸線から2.3~3.0キロ奥まで運ばれている。  当時の海岸線は、遺跡より2.5キロ東であったそうだから、弥生時代の津波が 今回と同規模と推測したようだ。

 869年に起きた貞観地震時の津波についても、宮城野区の遺跡の調査で津波が 運んだ砂層が発見されている。 この遺跡は当時の海岸線から2.4キロだそうだ から、「この地震による津波の規模は今回と同規模であった。」と松本教授は推 測している。 約1000年ごとに仙台平野は津波被害を受けていることになる。   今回の地震の規模はマグニチュード9.0だが、過去2回の規模も同等であった のだろう。
「契りきなかたみに袖を濡らしつつ末の松山波越さじとは」とは百人一首にある 藤原清輔の和歌だ。 多賀城市にある妻の実家は、この末の松山のすぐ傍にあり、 家の外に出ると松の巨木を今でも仰ぎ見ることが出来る。 今回の津波で、実家の 一階は浸水したが、すぐ上の末の松山を波は越さなかった。 妻の実家が津波の終 点であった。 遥か離れた都で貞観地震と津波を知った作者はこの和歌を詠んだと の説がある。

 この遺跡の記事を読んでいて、かつて学生時代に受けた地質学の授業を思い出し た。 当時、助教授であった庄司力偉先生の授業で、地元出身の先生はいわゆるコ テコテの仙台弁で講義を行う。 距離の「1キロ、2キロ」を「イッチロ、ニチロ」、 「メキシコ」は「メチコ」と発音する 。一事が万事で、最初は戸惑ったが、慣れ てくると楽しい講義であった。 その中でプレートテクトニクスの理論を教わった。  今では誰でも知っている常識であるが、昭和30年代の後半の頃であるから、当 時は最新の理論であった。 地球の地殻は大きな幾つかのプレートに別れていて、 このプレートの動きに乗って海洋底、大陸や諸島が移動する。 プレートを動かす 原動力は地殻の下部にあるマントル対流で、この対流はコア―の熱により生じる。  この生き物の如き壮大な地球の営みに、感動を覚えたことを今でも忘れない。  昭和30年代の初め、高校の地学で造山運動について教わった。 ヒマラヤ山脈や アルプス山脈が地球の造山活動で作られたとの話だが、造山活動のメカニズムは 当時は知られていなかった。 インド亜大陸が乗るプレートの北上により、亜大陸 はユーラシア大陸にぶつかった。 この圧力により隆起したのがヒマラヤ山脈であ り、日本でも島であった伊豆半島がフィリッピンプレートに運ばれ本州島にぶつ かった圧力で出来たのが箱根火山群であるという。 戦前、丹那トンネル掘削時に 大破砕帯にぶつかり、大量の出水と地盤に悩まされた。 伊豆半島衝突時に接触部 で生じた破砕された岩盤であろう。

 今回の東日本大地震でも数百回の余震を含めた震源の分布をみても、南北五百キ ロ、東西二百キロの広範に及んでいる。 全て、東北地方が乗る北米プレートと日 本海溝に沈み込む太平洋プレート境界周辺に分布し、地球規模で見れば少し太い 線にしか見えないだろう。 今回は北米プレートがわずか5メートル跳ね上がり、 同時に東に24メートル移動との観測結果がある。 地球規模で見れば蚊のクシャ ミ程度の地殻の動きだ。 山脈が隆起した訳ではない。 プレートにより島が衝突し た訳ではない。 それでも、発生した15メートルを超す津波は関東から東北の海 岸で生活を営む人たちに壊滅的打撃を与えた。 万里の長城と言われる岩手県田老 町の高さ10メートルの防潮堤を津波は乗り越えて町を破壊した。 かって学生時 代、田老町の北にあるラサ工業の銅鉱山で2週間ほど実習したことがある。  その時、巨大で見る人を威圧するような防潮堤を目にして、人は凄い物を作るも のだと感慨を覚えた記憶がある。 その防潮堤が今回の津波に無力であった。

 福島第一原発にしても、人の英知を結集して作られたものだ。 炉心の冷却には何 重もの安全回路が準備され、いかなる事態にも原子炉は安全に停止・冷却が行わ れるはずであった。 実際は、15メートルの津波により非常用のすべての冷却機 能が失われた結果、一号機では地震発生後5時間後に核燃料の溶融が始まり、翌 12日午前7時前には大部分の燃料は原子炉圧力容器の底に溶け落ちたそうだ。  建造から40年が経過しているにしても、曲がりなりにも核分裂をコントロール して、発生する熱を利用する原子炉だ。 40年大過なく運転してきたのだから、 東京電力に油断がなかったとすれば嘘になる。 東電や政府の言によれば、15メー トルの津波は想定外だという。

 都会に居住し、電化製品に囲まれた快適な生活、一寸した移動にも車を利用する。  こんな快適な生活の営みは、ほんの30年前ごろから始まった。 自分が子供の頃、 高度成長が始まる前は冬は豆炭こたつ、夏は窓を開け放ちスダレがけ、扇風機 や氷で冷やす冷蔵庫がある家は金持ちに限られた。 夏は暑く、冬は寒いのが当然 の時代であった。 便利な生活を享受しているうちに、自分を含め次第に謙虚さを 失い、今ここにある営みが未来永劫続くものと錯覚していた。

 浦安市のみならず、内陸の久喜市でも地盤の液状化で、住宅地が大規模な被害を 受けた。 液状化の発生地は皆埋立地であり、以前は沼沢や田んぼであった場所だ。  以前、埼玉県の与野市にある社宅に長く住んでいたが、社宅は沼を埋め立て、長 い松杭を打ち込んで人工地盤としたRC製の三階建てだ。 一寸した地震でもよく揺 れた。 昔の与野周辺の地図を見ると、人家は旧中仙道沿いに広がっていた。 街道 も街並みもは荒川の河岸段丘上にあり、段丘以外は田畑や沼沢地であった。 首都 圏の人口集中で、本来人が住めない低湿地に地盤改良を施し、大規模な宅地開発 が行われた。 昭和30年代の高度成長期以降の現象だ。

 以前から、排水設備の悪いところでは大雨のたびに優下浸水が良く起きた。  街並みが整備され、こぎれいな住宅や大規模商業設備が完備される風景はのどか で平和な情景に見える。 地震による液状化で居住不能に陥るなど、想定外の事だ っただろう。 地中の砂粒が地震で揺すられ締ったために、余分になった水が噴き 出しただけなのに。 今回、液状化の被害化に遭わなかった場所でも、東京都内に は有名なゼロメーター地帯があるし、東京湾に注ぐ河川の堤防の下までびっしりと 住宅が立ち並んでいる場所も多い。

 どんなに科学技術が進歩しても、人は全ての自然の脅威に立ち向かえるはずがな い。 自然は人の想定外の威力で人の営みを破壊する。 人が本当の大自然の力を想 定すことは不遜に事の様にさえ思える。
 古来、日本人は色々な自然の中に神を見つけ、敬い奉ってきた。 いわゆる、八百 万の神々だ。 自然に親しむことはあっても、挑戦をする思想は本来日本人にはな い。  学生時代のワンダーフォーゲル運動の根本は「自然に親しむ運動」だ。 狭い日本 で手つかずの自然が残されているのが山岳地帯であったので、山歩きが主体になっ ただけだ。
 技術開発が進み、科学の力で困難が解決されるにつれ、人が自分たちの力に慢心 し、自然に対する謙虚さを失いつつあった時に今度の天災が起こった感がする。  法華経に造詣の深い石原都知事が「天罰」だと発言して、批判されたが、恐らく、 現代人の慢心に対する天の啓示の意味での発言であったと理解している。 批判さ れるべき発言ではないが、彼は文章では丁寧だが、言葉では寸足らずで誤解を招き やすい。

 遥か大昔、大西洋上のアトランティスが一夜にして、海に沈んだとの話がある。  当時の王が自分の施政に批判的な聖人達を皆殺しにしたため、天の怒りを受けた とのことだ。 聖書にあるノアの方舟は実際には何回も生じていて、過去、人類は 何回も滅亡しかけた話もある。
 地球誕生から現代に至る長い時間の経過の中で、科学技術のわずかな進歩や便利 な生活にの営みは一瞬の時間にすぎない事、地球にとっては微細に過ぎない変化 が人に壊滅的打撃を与える事を考えなければならないと思う。
 人は地震をコントロールすることは勿論、正確な地震の予知すら出来ない。 予知 とてせいぜい確率論の範疇にすぎない。

 貞観地震と津波の規模を推定した学者が、何年か前から東電に警告を発していたと の記事を以前読んだことがある。 結果的に無視され、現在の状況を招いた。  何時の時代にも心ある人はいるものだが、その時代の人達大多数の共通認識にな ることは少ない。 嫌な事、不快なことを考えないほうが生きるのに楽だ。 困難な 事への想定も、出来るだけ小さく見積もる意識は誰にでもある。 自己保存の心は 人が生まれながらにして持つカルマかもしれない。  けれど大自然の壮大な営みにを想うと、自分を含め人の営みの矮小さを思い知ら される。

 時々牙をむき、人々に警告を与える大自然と共生していくには、一般庶民だけでは なく、施政者の自覚が必要だ。 保身と政権維持にのみ全精力を注ぎ、国民を忘れ 去った施政者への報いは、結局国民に跳ね返ってくる。 無能な政治家を育てたの は国民だからだ。 天に吐いた唾は結局自分にかかってくる。
 世界に類を見ないほどの自然の脅威に満ちている日本列島で、文明度の高い生活 を営み続けるには、大自然の営みに順応できる社会にしなければならないのだ ろう。
 今回の大震災が日本人に与えた最大の物は、大自然に謙虚に接する古来からの日 本人の心を思い出させたことかもしれない。   

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