【伝蔵荘日誌】

2011年5月15日: 日常の瑣事の中で生きる。 GP生

 4月の末に相次いで賃貸住居二件の解約があった。 5月末にも一件解約予定だ。 面白いもので賃貸物件の解約は連鎖反応を起こす様だ。 何年か毎に同じような現象が起きるが、大家にとって楽しい事態ではない。 シングルマザーの家庭で中学二年になった男の子に個室を要求され、2Kの間取りではどうにもできず、泣く泣く解約したり、若いカップルが入籍したが、妊娠により共働きが出来ず、より安いところに転居するケース、若いカップルの夫が川崎に転職したため解約するケース等、事情はそれぞれだが、解約連鎖は起きている。

 東日本大震災や東電福岡第一原発の事故からすでに二ヶ月が経過して、ようやく気持ちが落ち着いてきた。 特に原発事故の心的影響は顕著で、処理を誤れば東日本が壊滅的打撃を長期に受けることが必至なだけに、息をのんで経過を注視していた。 現場の人達の努力には敬意を表するが、官邸、政府の対応の遅さや責任逃れの言動、そして東電のお役所的体質を見せつけられると、元気を出せと言われても無理な相談である。 しかしながら最近の現場の状況を見ると、当初の一歩前進三歩後退の状態から、一歩前進一歩後退に進展していると感じる。 現場担当者がコントロールできる領域が少しづつ増加しているようにも思える。

 自分の気持ちが少しづつ楽になって、日常的瑣事にも関心が持てるようになって来たた時期に、賃貸物件の空き家が生じた。 日頃から手入れをしているので、業者を入れての大規模なリホームは生じないが、細かい手入れは雑多に存在する。 風呂場のタイル目地のカビ取りやコーキング、ベランダの天井・壁の塗装、ベランダ床のボロ隠しのウッドデッキの製作、水道部品交換、木製窓枠のタッチペイント塗装等々幾らでもある。 業者に頼めば楽だが、職方が違うためにチョコチョコ仕事でも工事費はバカにならない。 どうしてもできない仕事以外は、全て自分でやるようにしている。 補修方法を考え、材料を検討し、ホームセンターで選択購入し、現場養生をしてから本作業にかかる。 ボケ防止と身体トレーニングにもってこいの仕事だ。

 5月の連休は全て二部屋の補修とルームクリーニングに費やした。 それぞれの仕事は大したことはないが、職種の違う仕事の連続はそれなりに集中力と意欲を必要とする。 3月末の解約、4月の補修工事のスケデュールだとしたら、気力がなえていた時期なので、如何なっていただろうかと思う。 大規模な非日常的災害を目の当たりにすると、長年繰り返してきた日常的瑣事すら無意味に思えてきて、意欲すら湧かなくなる。 午前中、日課にしていたプールでのウオーキングは、3月11日以降2週間以上休みとなった。 少しづつ歯車が元に戻りだしたのは、4月に入ってからだ。 この5月の連休に貸し部屋の補修作業を完了して、ようやく災害以前の生活感覚を取り戻せたようだ。

 高齢者にとって健康に異常がない限り、日常生活上極めて大事な行為は、年に数える程しかないだろう。 殆んどは、記憶に留まることのない瑣事の連続だが、そういう平凡な生活を送れることがどれ程幸せな事であるか思い知らされた。 大震災で肉親を失い、行方すらわからない人達や、土台を残して家を失い、職場すら失った人達。 明日をも知らず、避難所で生活をする多くの人達。 怒りの矛先を向ける相手がいない天災被害のみならず、人災である原発事故により生活の基盤を根こそぎ放棄せざるを得ない福島県の人達。 この人達には、ささやかな日常の瑣事の中で生きる喜びを感じることが何時になるのか分からない。 人は短期間ならともかく数か月に及ぶ異常環境で、身体の健康と心の安定を持って生活を続けられるほどタフではない。 被災地に派遣された自衛隊員ですら心身の負担が大きいことが報道されている。

 岩手、宮城の津波現場では、生活と職場を取り戻す活動が少しづつでも始まり、復興のためのスタートラインに立ち始めている。 しかしながら福島原発被害者には、そこにある危機が進行中だ。 収束の目途が立たない限り、スタートラインにすら立ち得ない。 「もう、帰るのですか」と原発の避難所で呼び止められた菅総理が、「ごめんなさい、気が付かなかったもので」と頭を下げる姿には、国民の生命と財産を守る施政者の覚悟が微塵も感じられなかった。 テレビの映像は残酷なほど人の本性を映し出す。 彼にとって現場視察とは、アリバイ作りのパフォーマンスに過ぎない瑣事としか考えていないのだろう。

 国民の生命財産をあずかる内閣総理大臣の言動に、瑣事なぞありえない。 突然、原発事故の規模をレベル7と発表したように、またまた浜岡原発4,5号機停止要請を、前触れもなく唐突に発表した。 中部電力に海江田が運転停止要請をしたのは、記者会見のわずか40分前のことだ。 浜岡原発の運転中止はその特異な立地条件から、選択肢としてアリとは思うが、トヨタやホンダ、スズキを中心とする日本の自動車産業が集中している中部経済圏に与える影響の大きさを考えたら、電力の確保の可否を含め中部圏のみならず全国に与える経済的影響や、原子力発電を含む日本の電力供給の在り方等に関しての事前の検討と基本的な考えを総括しておくことは政府として必須の事のはずだ。 中部電力とて経営の根幹にかかわる重大決断を必要とされるのだ。 これ等の事を政府機関全体で周到に検討が加えられた節は見られない。 原子力委員会や原子力安全・保安院を含めて議論した様子もない。 一市民運動家の言動ならそれでも良いが、総理大臣がそれでは困る。 一国の経済活動の根幹にかかわる重大決断だ。 菅総理はリーダーシップなしの批判に応えて、政治的指導力を発揮した積りだろうが、誰かに吹き込まれての思いつきに見えてならない。 与野党の菅降ろしに対抗するための政権延命が目的なのは明白だ。 エイズ騒動の時もそうだったが、この男、こういうあざといやり方は抜群にうまい。

 浜岡原発運転停止を歓迎する多くの世論があることは承知しているが、停止決定の動機の不健全さとプロセスの不透明さは、薄っぺらなパフォーマンス以外の何物でもない。 直下型地震が今後30年以内に東海地方に発生する確率が87%あることは承知しているが、施政者は原発運転を止めた後、日本国の経済のみならず地域経済や雇用に与える影響を考慮し、具体的政策を示せなければ、地震や津波による原発の暴走をストップできても、新たな人的災害を発生させることになる。 官邸の無責任な言動により、各地に風評被害を発生させたように、さらに規模の大きな被害と国益の損失を生じさせかねない。 菅にしても海江田にしても、あの自信のなさがクローズアップされる記者会見を見れば、彼らに日本をどのように運営していくのかの定見も覚悟もないことが透けて見える。

 庶民が日常の瑣事の中で生きていくことと、日本国の運営者が日常考え行動することはおのずと違う。 国家感無き左翼市民運動家が、一国の最高責任者の地位にしがみつき、その取り巻きも同類の人間であるのは人災以外の何物でもない。 国民にとっては瑣事に過ぎない菅政権延命の手練手管が、当人にとっては最重要事項であり、国民の不安感すら政権維持の手段ととして利用する姿は真におぞましく思える。 彼が生前、自身の行いの過ちに気づき、反省して正すことが出来れば別だが、然らずんば長期にわたる過酷な死後の生活が待っている。 心が引きちぎられるような深刻な反省の連続の中で自らの過ちを悟らない限り、あの世で成仏して天上界に上ることはあり得ない。 国民には言い訳が通じても、自分自身の心には誰でも嘘はつけないものだ。 あの世では言い訳なぞ通じないはずだ。 国民を不幸に陥れた指導者が辿るあの世での苦しみを知らないからこそ、安易に自己保存に邁進する。 人にとってこの世だけが唯一無二の人生と考えるから、自己保存の心が生じる。

 肉体はこの世限りの物だか、人の本体である心、魂は永遠に生きる存在だ。 人がこの世での目的を持って生まれても、誕生の瞬間に潜在意識にの中に閉じ込められてしまう。 菅総理も、権力を追い求めることが目的で誕生してきたはずではないと思う。 国民をダシにして自己保存の施策を打ち出す。その姿の愚かさに気づくことが、自身と国民の幸せにつながることを悟らなければならない。 浜岡原発停止要請を英断であるが如く報じる新聞もあるが、彼らも愚かな政権に手を貸す同罪者である。 日本国の施政者が国益を守り、国民の生命財産を守ることを責任を持って遂行する姿を見せることで、国民は日常のの瑣事の中に生きることが出来る。 今の政権にそう言う期待が全く出来ない事が、国民にとっての最大不幸でもある。   

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