【伝蔵荘日誌】

2010年4月28日: 大家から見た今時の若者意識 GP生

 昨日、若いカップルに貸した部屋の解約時現場立会いを行った。 入居した時は所謂同棲であったが、昨年入籍し子供を授かったため共働きが出来なくなり 家賃の安いところに転居すると言う。 部屋はリホームする必要が全くないほど奇麗に使われていた。 「お世話になりました」と、大家と立ち合いに来た仲介業者に菓子折りをそれぞれ準備していた。 「妻はここが気に入っていて住み続けたいのだけれど、自分の稼ぎだけでは無理なので、泣く泣く引っ越す」と訥々と話す。 大家泣かせの言ではある。 日頃からキチンとした生活態度と、挨拶などのメリハリのある言動で好ましいカップルと感じていた。 彼らの幸せを念じて立会を終えた。

 何年か前、1年半の間に入居した若いカップル五組が続けて解約したことがある。 契約時、申し込者は同居人を必ず婚約者と記載するが、実際入籍は極めて少なく、実態は同棲である。 自分が若い時は、結婚式を挙げ、入籍してから一緒に生活を始めるのが常識であったし、所謂同棲生活は世間の白い目にさらされるのを覚悟しなければならなかった。 芸能人の“出来ちゃった結婚”とかで、平然として恥じることなくインタビューに答える姿を見ると、いまだに強い違和感を感じる。 今どきの若い人たちにすれば「古い」と言われるだろう。

 婚前交渉なる言葉は現在では死語に近い。 この五組に共通するのは、二人で家賃を支払って賃借り可能の経済状態なので、男一人で維持が出来ず解約となるパターンだ。 立会時の世間話のついでに聞いてみると、同棲には殆んどの親が反対で、特に女性の親は100%同意していない。 二人の日常生活で、性格の違い、男女間の違い、育ってきた家の文化の違いなどが表面化して軋轢が生じた時に、結婚の覚悟が希薄な男女では愛情という危うい絆だけでは解決出来ない事態になる。  二人で処理不能の問題発生となれば、女性は親に愚痴をこぼす。 もともと反対だった親は「別れて帰って来い」となり、破局に至る。 このパターンが多かった。 ましてや相手の親元をそれぞれが大切なものとして意識することなど、薬にしたくともなかった。 とにかく自分たち二人が幸せになりたいの想いばかりだ。 幸せになりたいなら、周囲の協力を得るための努力と、社会の一員として生きていく準備と努力が必要であることを、双方の親は子供のころから躾てこなかったのだろう。

 荷物の処理についても色々だ。 女性の方が先に荷物を運び出すパターンが共通している。 この五組に限らず、今までの破局解約で男が先に荷物を運び出したケースは皆無だ。 外部から見ていると、男のほうが捨てられた様に見える。 娘の荷物を運びに来た両親から、「彼の親が来たら、宜しく言っていたと伝えてほしい」と伝言を託されたこともあった。 その彼の親は、北陸のさる街から荷物の整理と発送のために上京してきた。 息子が仕事で忙しいと言う理由であった。 女性の両親からの伝言は伝えたが、この母親は「今回の破局を経験して息子は成長すると思う」と言っていた。  仕事の忙しさにかこつけて、自分の荷物を遠方に住む母親に整理させる根性では、どんな経験をしても成長は無理だ。  母親は息子に対する自分の愛情が、息子の成長を妨げていることに気づいていない。  母親にそこまでは言えないので、「息子さんも今度は良い人を見つけられるといいですね」相槌を打っておいた。

 婚約した男女が二人して荷物の置き場を確認したり、部屋の寸法を測ったりする、ほほえましい場面にも遭遇したことがある。  契約は済んでいたが、家賃は双方の親が分担して支払うと聞いていた。  危なっかしいなとの思いはあったが、保証人等もしっかりしているので契約した。  入居前に双方の親が喧嘩して婚約は解消、部屋は解約となった。  家賃の負担割合が喧嘩の発端との事だった。  初々しい二人を見ているし、街の状況や部屋の事など色々話しているので、破談は可哀そうには思ったが、二人とも精神面でも経済面でも結婚出来る自立レベルに達していなかった結果だ。

  若い男女が全てこのケースと同じでないことは、素晴らしいカップルの入居者を幾組も見ているから承知している。  彼らは例外と思いたいが、1年半で五組の破綻は頂けない。  何しろ高学歴同士のカップルが2か月で解約の“新記録”もある。  彼らの場合、持ってきた段ボールを―箱も開けずにそのまま再運搬している。  契約上の解約は二ヶ月だが、実質上の別居は一ヶ月も経たないうちに始まっていた。 現実問題として、彼らの生き方や生活感を理解しようと努めてはいるが、なかなか難しい。 大人になりきれていない男女が、大人の真似事をしている様に思えてならないからだ。  商売とは言え、契約前に彼等の関係の本質を見極めることは困難だ。  だから日常的に、彼らとのと会話を通じて意識のすり合わせの努力はしている。

 仕事上はともかく、日常の生活の中で若い人たちの感覚を理解するのはさらに困難だ。 テレビで若いお笑い芸人達が演じている芸が、芸と言えるかどうかは分からないが、理解できない。 同年輩の男女は、芸人の話に反応してゲラゲラ笑っている。 彼らの芸が拙いのか、それとも自分の感覚がおかしいのか、どちらか分からない事がある。 いずれにしても、理解をしようとする努力の域を超えている。

 息子たちと話していても、同類の感覚の違いを感じる時がある。 不易流行という蕉風俳諧の風体に関する言葉がある。 「風体は決して変わらない不易性と、絶えず進展・流動する流行性があるが、この二つは根本において一つである」と言う意味だそうだ。 人の根本的在り方は、時代や地域を超えて変わらないものだし、男女の間の在り方にしても、本質は古いも新しいも無い。 人は肉体だけの存在が本当の人だと思いがちだから、時代によって現れては変わる、目に見える表層だけで判断しがちになる。 先の自分が理解できない若い芸人の芸なるものは、表層しか表現できないから、それを理解できない自分は笑うことが出来ないのかもしれない。 長い年月生き残り演じられ続けている古典落語には人の本質が散りばめられているから、共感の笑いを誘うのだろう。

 男は歳をとると残念ながら頭の柔軟性を失うし、思考力も思考速度も遅くなりがちだ。 周囲から頑固だとか、頭が固いとか言われて驚かされがちだし、女性ほど超現実的に生きることも苦手だ。 しかしながら高齢者と言えども、今まで生きてきた価値観を変えることも捨てることも必要ない。 これは自分の不易なる物だ。 しかし、この世でさらに生きていくためには、PCを始め色々な情報媒体により、好奇心を以て情報に接する努力は欠かしてはならないと思う。 世の流行なるものに自分を合わせる必要などない。 移り変わる世の中を自分の目で見て、考え、語り、出来る範囲で行動することだと思う。 自分も解約立会いの時に若い人たちに、男女の生活に際してお互いの親とどう接するかが、自分達の関係に直ちに跳ね返ってくるから、スタート時が大切だなどの話をする。 解約とは全く関係のない話だが、彼らは反発もせず素直に聞いてくれる。 好きあった同士が別れざるを得なかった直後の心の痛みが色濃く残っている時なので、素直になっているのかもしれない。 立会のたびに、次の機会には幸せなカップルとしてこの部屋に住み続けてほしいものだと願っている。   

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