【伝蔵荘日誌】

2011年3月29日: 災害復旧現場の奮闘に思う GP生

 福島第一原子力発電所3号機タービン室内で3人の作業員が被ばくして、治療のため千葉市にある放射線医学総合研究所に送られたとの報道があった。 被ばく原因は放射線管理の手落ちであった様だが、不眠不休の600名近い現場作業員の奮闘を思うと、ヒューマンエラーが生じても非難できるものではない。 事故復旧工事でもかっての戦場でも、凄まじく厳しい負担を強いられるのは常に現場だ。

 1939年に当時のソ満国境で起きたノモンハン事件を思い出した。 一面の草原で国境線定かではない蒙古の原野で、旧ソ連と関東軍の守備隊の小競り合いから、宣戦布告なき大規模戦闘が生じた。 歩兵力に勝る日本と、戦車を始めとする機械力に勝るソ連との闘いで、日本軍は結果的に壊滅的打撃を受けて撤退した。 80パーセント近く死傷を出した師団すらある。 戦後ソ連の情報が開示され、ソ連側も日本に劣らぬ人的被害を出し、装甲車両350輌を失っていたことが分かった。 日本歩兵がタコツボに潜み、近づいてきた戦車に肉薄攻撃をかけて擱座させたり、夜襲に次ぐ夜襲で攻め立てたからだ。 司令部は偵察機の誤った情報から作戦を立て、敵の逆襲をうけ、歩兵の損害を増大させた。 多大な犠牲者の上に、引き分けに近い結果に持ち込み停戦した。 ソ連軍の猛攻の過程で、日本軍の連隊長級の前線指揮官の多くが戦死し、生き残った連隊長も敗戦の責任を取らされ自決を強いられた。 事実壊滅的打撃を受けた第23師団の師団長は自殺に近い死に方をしている。 日本政府や大本営に無断でこの作戦を指揮した関東軍参謀2人は、一時的に左遷されたが、2年後の太平洋戦争では陸軍中央部に返り咲いている。 この二人の個人的野心のために、一万7千余の犠牲者を出している。 現場の将兵はこの二人のために戦ったのではない筈だ。 自分たちの戦いが日本のためになることを信じて、死に物狂いの戦闘をしたと思う。

 今回の事故処理にしても、官邸や東電幹部が当初の状況をいかに判断して、対処するための基本方針を立てたのかは分からない。 現実は現場の人達の頑張りに期待するしかない状況に追い込まれている感じがする。 消防隊員と自衛隊員の不屈の努力によって、建屋が破壊された3号機と4号機の使用済み核燃料棒保管水槽は満水に漕ぎ着け、放射性物質の空中飛散を止めている。 問題は本来の危機である1,2,3号機原子炉圧力容器の安定的冷却に集約され、高レベル放射能を含む水の処理の突破にかかっている。 衆知を結集して具体的な対策を立てるのは、作戦本部の役目であろうが、実際の作業は現場の東電、下請け業者、協力業者の作業員の肩に掛かっている。 放射性サンプルの取り間違いでとんでもない測定値が発表されたが、逆も有り得ることだ。 ノモンハンでは偵察機の敵情報間違いから、多大の人的被害を出した。 事故対策現場では過労からくるヒューマンエラーは避けられないが、致命的エラーにならないことを願っている。

 今回の事故原因の一端は東電の杜撰な管理にあることは間違いないが、現状は東電一社で処理できる範囲を超えている。 事態が長期化すれば、現場作業員の被ばく管理が難しくなることは容易に予想できる。 他の電力会社の協力体制はどうなっているのだろう。 自衛隊や消防の出来ることは、あくまで応急処置の範囲であって、本格復旧は専門知識と技能を持つ電力会社や関係会社の技術員でしかできない。 もはや一電力会社のメンツの問題ではない。 事故を一日も早く収束させることが、他の電力会社の長期的利益につながるはずだ。 全国の電力会社の力を集結して東電に対するバックアップ体制を作れるのは、日本国政府しかない。 現政権の得意技である自衛隊や東電に丸投げすれば解決できる状態ではないはずだ。

 アメリカが原発事故専門家を39人派遣しているようだが、彼らが事故処理にどの様に絡んでいるのか全く政府コメントがないので不明だ。 災害発生以来2週間以上が過ぎようとしているが、未だに国の組織的対応が見えない。 東電の報告を受けてから、発生した事象に対処療法的に対応している様にしか思えない。 時間の経過とともに現場はますます過酷な環境に曝されている。 ノモンハン事変とダブらせる所以だ。 東電の社長は1週間ダウンしたそうだ。 気の毒ではあるが、どの組織でもトップはいつ過酷な状態に置かれる覚悟が必要だ。 それにしても引きこもり状態の国のトップは処置なしだが。

 家庭に危機的状態が生じた時、一家の大黒柱が心労で入院したら家族はどうなる。 広範囲の地震、津波被災地への救援、復旧に組織的に活動しているのは、三軍自衛隊だ。 在日米軍も18000人と多数の艦艇、航空機を投入して、自衛隊との共同作戦を行っている。 被災地の人達にとって、彼らの存在はどれ程心強く感じるか知れない。 塩釜港に救援物資を積んで入港した海自の大型輸送艦「おおすみ」を見た仙台市民が、「頼もしく思えた」とのコメントをしていた。 総理大臣が「全力を尽くして」と幾ら叫べど、虚しさしか残らないが、自衛隊が多数の艦艇、車両、ヘリを投入して、被災現場で活動する姿に住民はどれだけ勇気づけられるだろう。 米軍の存在も大きい。

 しかし、一部の新聞とテレビを除いて、彼らの活躍報道は極めて少ない。 自衛隊10万余投入を考えれば尚更だ。日教組に洗脳されて育ったマスコミ人の反日、反軍意識か積極報道を妨げているとしか思えない。 (上掲の写真は米国のThe Atlantic紙のもの。 日本のマスコミ、特に朝日、NHKはこういう写真は報道しない。) 自衛隊と米軍の救援活動を大々的に報道することが、被災地の人達が日本国民としての一体感と生きる勇気を与えることになると思うのだが。 マスメディアは被災地の惨状をことさらに伝えるが、勇気を与える報道は地元地自体や民間人の活動に限られる。 被災地に勇気と希望を与える自衛隊と米軍の組織的活動を積極的に報道することが、いまやマスメディアの任務ではないか。 在戦場が常に求められる自衛隊員にとっては、過酷な環境にでの任務遂行は当たり前と思う人も多い筈だ。 津波に流されて浜に打ち上げられた遺体や、倒壊家屋や瓦礫によって損傷した遺体を何千体も運び、きれいに洗浄する隊員の気持ちを忖度したとき、それが義務だと言い切れるだろうか。 自分をその立場において考えてみることだ。

 かって鉱山で上司の命により毀損された坑内作業員の遺体を運び清めた時の経験を以てしても、自衛隊員の気持ちが如何ばかりであるか想像が付かない。 彼ら現場の人達は日本国民のバックアップがあってこそ、持てる力を発揮でき、どんなに苦しくても頑張れることを考えなければならない。 今の内閣には人の痛みを思いやり、現場の労苦に感謝の気持ちを持てる人は少ないようだ。 災害後の日本をどの様に復興させるかの骨太の画を描ける人は皆無だ。 現在では残念ながら多くは期待できそうにない。 被災現場の自治体、自衛隊、消防、警察、原発事故の現場等、言葉には出さないが命を懸けて国民のために最後まで諦めず努力している人達がいる。 その後ろに彼らを支える多くの日本国民がいる。 日本全国の国民的協力と諦めない心がある限り、必ず繁栄を取り戻す日が来ることを信じている。 一時的衰退があってもだ。 生きてこの目でそれを確認できるかどうかは分からないが、日本の崩壊をくい止めるべく、命をかけて頑張っている多くの現場の人達の努力が報われることを願っている。 どんなことがあろうとも、ノモンハンの二の舞にしてはならない。   

目次に戻る