【伝蔵荘日誌】

2010年3月27日: 日本の再復興に向けて T.G.

 大震災から2週間たった。 依然として混乱は収まらない。 中でも福島第一原発の状況は深刻さを増している。 このことが多くの国民の気力を萎えさせ、復興への勢いを削いでいる。 しかしながら考えてみれば、あの昭和20年8月15日に比べれば、はるかにマシな状況ではある。 あの時は東京をはじめほとんどの大都市と工場地帯が壊滅し、兵士を含め300万人が死んだ。 国家財政は破綻し、国民の資産も雲散霧消した。

 フィリピンで戦死した父親は、それまで丁稚奉公から営々と築いてきた呉服店を売り払い、有り金を川崎造船株に換えて出征した。 生きて帰れぬと覚悟し、そうなっても残された6人の子供にほどほどの教育を受けさせるつもりだったと言う。 当時の川崎造船は軍艦など戦時特需で景気がよかったのだろう。 それが8月15日を期して文字通りの紙切れになった。 幼い頃、紙切れの株券を母に見せてもらった記憶がある。 残された一家は稼ぎ頭とすべての財産を失ったのだ。 それからの母子7人の生活はまさしくどん底だった。 飢えに苛まれ、栄養失調で体中にでき物が出来た。 額に出来た瘡蓋の跡が今でも残っている。 我々家族だけが例外というわけではない。 幾百万の世帯が同じ状況だったのだ。 飢えを感じなくなったのは10年後、母親が始めた商売が軌道に乗った中学生の頃である。 その頃に比べれば、今の状態ははるかにマシだと我と我が身に言い聞かせている。

 戦後復興で憶えているのは傾斜生産である。 インフラも生産力も、何もかも失った日本の復興は、必然統制主義ににならざるを得ない。 当時の商工省を中心に、復興に必要な基幹産業に鉄鋼や石炭など資源を重点的に投入する傾斜生産方式が採られた。 同時に米や生活物資の配給制、価格統制なども行われた。 国民の生活は後回にして産業を立ち上げたのだ。 ほとんど社会主義国の計画経済と言ってよい。 それが功を奏し、日本が再び立ち上がるのは、昭和31年の経済白書に 「もはや戦後ではない」と書かれた10年後のことだ。 あのころよりはるかに豊かな現在の日本において、もはやあれほど過酷な統制経済の必要はないが、やはりこれだけの大災害からの復興だから、何かしらの明確な国家方針と、それに伴う強制力が必要なのではなかろうか。

 例えば津波被害地の復興である。 明治38年の大津波で壊滅した三陸の港町には、「これより低いところに家を建ててはいけない」と先人が書いた石碑が残っているという。 それなのに建ててしまった。 もうその愚は犯すまい。 気仙沼や陸前高田はもう海岸近くの低地に家を建てない。 少なくとも居住地域は海抜50m以上の所に新しく作らねばならない。 漁民は高台の家から港に通勤する。 居住に向く平坦地が少ないから困難だし、金もかかる。 住民に任せていたらまた性懲りもなく海岸縁に建ててしまうだろう。 ここは国が乗り出して、新しい都市計画を立て、実行しなければならない。 そのためには一種の国家強制力が要るだろう。 莫大な資金が必要となろう。 国は住民を立ち退かせてダムや道路を造ったように、新しい大規模公共工事を始める必要がある。 財源の問題はあるが、公共工事にはケインズ的経済効果も期待できる。 イタリアやスペインを旅行すると、小高い丘の上や中腹に市街地があるのをよく見かける。 低い土地はオリーブ畑と牧場で人は住まない。 ああ言う風景が三陸地方の海岸に見られるようになるのではないか。

 電力不足の対応は必然統制経済にならざるを得ない。 今行われている計画停電はまさしくそれだ。 エアコンで電力需要が増す夏に向けて、いっそう統制を強める必要があるだろう。 しかし考えてみれば、国民すべてが無駄を省き、節約意識を身につけるいい機会なのかも知れない。 無理をせず身の丈にあった生活に戻れるかも知れない。 今日の東電の「電力使用状況グラフ」を見ると、計画停電なしに前年同日に比べ3分の2近くに電力使用量が落ちている。 国民が自主的に節電に努めていると言うことだ。 これを生活習慣化させる。 エネルギー垂れ流しの生活習慣を改めさせる。 過度な暖冷房依存はやめさせる。

 思い返してみると、大学を出て会社の独身寮に入るまで、暖冷房のある部屋に住んだことがなかった。 実家も大学の寮も暖房と言えば炬燵と火鉢だけ。 寒い仙台の学生寮で、敷きっぱなしの薄い煎餅布団で過ごした4年間、寒さを苦痛に感じた記憶がない。 家にエアコンをつけたのは、結婚してしばらく後だ。 エアコン付きの車は、4台目の三菱ミラージュが最初だった。 それまではいくら暑い夏でも、エアコン無しで過ごしていたのだ。 そこまで立ち戻らずとも、エアコン依存を今の半分に減らしたら、電力危機は乗り越えられる。 そう言う生活習慣をつけさせる最大のチャンスである。 電力以外のすべての生活習慣についても同じだ。

 しかしながらそう言う生活レベルの低下は、必然日本経済を縮退させるだろう。 計画停電が生む損失だけでも1日あたり1兆円という試算もある。 内需が減り、経済活動が縮小し、雇用も賃金水準も下がるだろう。 国力はさらに低下し、GDP世界第二どころか経済三流国に落ちるかもしれない。 しかし考えようによっては必ずしもそれが悪いこととばかりとは言えない。 これまでも日本は少子高齢化と経済低迷と膨大な国家債務圧力で行く先を見失っていた。 ここしばらく続いた政治と経済の低迷、混乱はそれが原因だった。 どの政治家も経営者も、日本が向かうべき将来展望を描けなかったのだ。 今回の災害がなかったとしても、もはや日本が世界第二の経済大国に返り咲くことは無理だったのだ。 それは誰しも分かっていたのに、言い出す勇気がなかっただけだ。 そうであれば、まだ幾ばくかのストックが残っているうちに、思い切ってより質素で、より平穏で、より安定した高齢化社会へ軟着陸する道筋をつけ、計画を立て、実行に移すべきだろう。 今回の災難は神仏が与えてくれた絶好の機会と思うべきではないか。

 今必要なのは、そう言う国民の自覚と覚悟と、それを受け止め実行に移す政治家の力量である。 新生日本に向けた復興計画には強烈な政治指導力が必要だ。 GHQが指示して商工省の役人に傾斜生産のプランを立てさせたように、総理大臣が先頭に立って日本再生の骨太な計画を策定し、官僚を使って実行に移させねばならない。 2週間たった今、そう言う動きが出てきてもいい時期だが、どうやら民主党政権には無理のようだ。 いまだに対症療法的な官房長官会見でお茶を濁している。 いまだに子供手当にこだわっている。 福島原発についても、そろそろ腹を据えて、最悪の事態に備えた抜本的対策を講じるべき時期に至っているが、一向にその動きも見られない。 もしかすると、災害ではなく、それが日本の命取りになるのかも知れない。 後世の歴史家がそう書かねばいいが。   

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