【伝蔵荘日誌】

2010年3月21日:「震災は天罰」か? T.G.

 石原慎太郎が「震災は天罰だ!」と言って囂々たる非難を浴び、謝罪した。 この男はいつも一言多い。 都知事ともあろうものが、舌の根も乾かぬうちにペコペコ頭を下げるとは、いい歳してよほど人間が出来ていないのだろう。

 しかし、彼が言いたかったことが分からぬでもない。 日本は明治維新以来70年おきに国が傾くような災難を被ってきた。 前の敗戦と今回だ。 それが人知の及ばぬ不可避の天災なのか、自らの不徳が招いた天罰なのか。
 前の敗戦は身の程を知らぬ軍部の愚挙が招いた。 避けようと思えば避けられた。 戦後の日教組教育を受けた日本国民の大多数はそう思っている。 今回の地震津波そのものは不可避の天災である。 しかしながら、それから生起するだろう国家損害の大部分は、日本国民が決して免責されるものではない。 その多くは国民の常日頃の生活態度が招いたものだ。

 40年前と比較して、日本の総電力量は3倍に増えている。 贅沢に溺れた国民が不要不急の生産を求め、消費に走り、安楽な生活に淫し、その結果として電力需要を増大させた。 それに野合した電力会社は、安全を顧みず安易に原発を増やした。 それに誰もチェックをかけなかった。 街中にあふれる自動販売機だけで原発1基分の電力を消耗する。 後は推して知るべし。 そう言う野放図な垂れ流しの世の中が今回の損害を増幅したのだ。 “天罰”というのはあながち間違いではない。

 明治維新の70年後、国力がピークに達したときに日本は太平洋戦争に突入し、その3年半後、戦力も経済力も失い、国が滅びた。 多数の国民が死に、国土と国富を失い、国民は塗炭の苦しみにあえいだ。 今の若い人たちには想像も出来ないほどの窮乏生活に落ち込んだ。 そこから這い出し、艱難辛苦の挙げ句、再び国力がピークに達した70年後、未曾有の大災害が襲った。 前の敗戦と同じように、しばらく日本は回復できないだろう。 苦しみにあえぐことになるだろう。

 前の敗戦とは比べものにならないが、今回の震災で日本が失うものは決して小さくない。 第一義的な被害は津波による数万の死者と根こそぎ失われた生活インフラであるが、福島原発の後遺症は、死者数を除けばそれをはるかに上回るだろう。 廃炉になる東電の原発資産や電力の損失はまだ軽微なもので、おそらくこれから失われることになるだろう半径50キロの国土と国民資産はそれに数百倍するに違いない。 もしかするとこの区域には少なくともこの先百年ぐらい人が居住できなくなる。 国土の50分の一が失われることを意味する。 北方四島など、先の敗戦で失った国土よりはるかに大きい。

 幸か不幸か今回の地震津波は比較的生産活動の低い地域で起きた。 しかし東電管内の発電量がわずか4分の1失われただけで、日本経済全体が大混乱している。 この混乱から生み出される損害は計り知れない。 生産も流通も逼迫し、いつ回復できるか分からない。 この間に失われる機会損失だけでも相当なものだが、日本経済の競争力喪失はそれに輪を掛けるだろう。 さらに株価低迷と円高が首つりの足を引っ張るだろう。 もう自動車も家電も売れなくなる。  職場は失われ、雇用はますます悪化するだろう。 今の就職氷河期が夢のように思われるだろう。

 前の大戦では、3年半に及ぶ戦いで次第に国力が失われていった。 今回の災害も時間がたつにつれボディブローのように効いてくるだろう。 日本経済は停滞し、国民資産がどんどん目減りしていくだろう。 それが底を打つのは、おそらく前と同じ3年半後ぐらいだろう。 前の敗戦の時のように、そこでどっこいしょと踏ん張って、再び蘇ることが出来るかどうか。 日本国民の正念場だ。

 昨夜、原発で放水作業に当たっていた東京消防庁隊員の記者会見を見た。 危険作業に疲れが滲んだ様子であったが、落ち着いて淡々とした語り口に頭が下がった。 「大変だったことは」と問われた富岡隊長は、10秒ほど沈黙。 涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。 残された家族には本当に申し訳ない。 この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。  職場から直接現地に向かった高山隊長は、妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。 同じく妻にメールで出動を伝えた佐藤総隊長も、妻から「日本の救世主になってください」と言う返事が返ってきた。 佐藤総隊長によると、派遣隊は本人が承諾した隊員から選抜されたと言う。 まさしく彼らは現代の特攻隊員だ。

 戦後の9条平和主義に毒されたエセ文化人達は、かっての特攻隊を軍国主義が生んだ人間ロボット、無意味、犬死にと蔑み、貶めた。 大間違いである。 彼らの多くは日本の未来や父母や妻や子を思い、自ら進んで敵艦隊に突っ込んだ。 その結果、今の日本がある。 決して犬死にではない。 現代の特攻隊員達も同じだ。 皆国を思い、妻子に思いをはせ、自ら進んで決死の作業に当たっている。 決して強制されたわけではない。 彼らのうち幾人かは不幸にしてお亡くなりになるかも知れない。 それを承知の上で作業に当たっている。 昔の特攻隊とまったく同じである。 エセ文化人達は昨夜の記者会見を見ても同じことを言うのだろうか。 進んでやっているわけではない。 上司や上官の命令にいやいや従う人間ロボットだと。

 今の日本があるのは特攻隊員のおかげ。 これからの日本がやっていけるのは、間違いなく決死の現場作業者のおかげ。 このことをすべての日本国民が肝に銘じるべきだ。 この先日本政府は、はたまた日本国民は、この人達をどう処遇するのだろうか。 その扱い方によっては、70年後に再び日本は滅ぶだろう。

目次に戻る