伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2011年3月14日: 東日本大震災 T.G.

 大震災から三日たった。いまだに東北地方は大混乱が続いている。津波の被災地から、次々と続報が入る。テレビに映し出されるのは目を覆いたくなるような惨状ばかりだ。65年前の名古屋大空襲の時以来、こんな壮絶な光景を見たことがない。 跡形もなくなった市街地を呆然と見つめる罹災者の姿が哀れだ。無言で涙さえない。哀れを通り越して胸が締め付けられる。一歩間違えば、あれが我が身だったのかもしれない。

 泥水の中、助け出されたお母さんが赤ちゃんを抱いて裸足で震えている。赤ちゃんは泣きもせず、無表情でぼんやり前を見ている。よほど怖いものを見たのだろう。胸が痛む。東北太平洋沿岸の至る所で、このような光景が見られるに違いない。でも助けられた人はまだいい。冷たい泥水の中で息絶えた人は数知れない。浜辺に死体が1000体流れ着いたとテレビが報道している。そこら中で同じような無惨が繰り返されるのだろう。合掌。

 地震が来たとき、家のリビングルームでテレビを見ていた。揺れが次第に大きくなり、恐怖感が湧いてくる。がたがた揺れる食器棚が今にも倒れそう。必死で押さえているうちに揺れが弱まった。この日に備えて紐で壁に固定しておいた52インチ大画面テレビが、倒れもせず緊急地震速報を伝えている。それによるとこのあたりの震度は6弱。もし震度7だったら、倒れた食器棚に潰されていただろう。よくもそんな危ないことを。人間いい歳をして、いざとなると実に愚かなことをするものだ。我がことながら呆れる。

 計画停電になると言うので、朝食もそこそこに懐中電灯と電池を買いに出た。電気店の前は大行列。もう電池はありませんと、店員が叫んでいる。珍しく、いつも静かな団地内の大通りが大渋滞。聞くと団地の入り口にあるガソリンスタンドで給油待ちだという。しばらくすると渋滞は消えた。ガソリンを売り尽くしたのだろう。仕事場の嫁から電話があり、水と孫のオムツを買い置いてくれと頼まれた。もうどこの店も水はとっくに売り切れている。仕方がないので代用品のポリバケツを買う。これに汲み置けば非常用になるだろう。近くのベビー用品店にオムツを買いに行く。棚はほとんど売り切れ。売れ残っている大きめサイズを2袋買う。大は小を兼ねるだ。孫も文句は言うまい。帰りに立ち寄ったスーパーの陳列棚が半分ぐらい空になっている。10年前の石油ショックの時はトイレットペーパーぐらいだったが、今はほとんどの生活必需品が買い溜めされる。あのころより民度が下がったのか。

 電力以外、食品もガソリンも、その他生活必需品も不足しているわけではない。要するに流通の混乱と買い溜め心理の相乗効果だ。そのうち商品も出回るだろう。ほとんどの車がガソリン満タンにしたので、そのうちだぶつくだろう。しかし、計画停電の恐怖が招いた混乱が、社会秩序を乱し、正常な経済活動が行われなくなっている。今日午後の日経平均は暴落し、1万円を割り込んだ。おそらくもっと下がるだろう。なにせいい材料が見あたらない。トヨタをはじめ多くの企業が生産を停止している。流通も混乱している。今年度のGDPと税収は大幅に落ち込むに違いない。低迷している日本経済にボディブローのようなダメージを与えるに違いない。この先日本はどうなるのだろうか。

 考えようによっては、必ずしも悪いことばかりではないのかも知れない。今までの日本は経済大国に油断し、借金ばかり増やし、国民はすべからく贅沢三昧に慣れ、質実と気概を失い、独立不遜の精神を失っていた。ろくに税金も納めないくせに、やれ福祉がどうの、格差がどうのと不平不満ばかり。その結果が今のバラマキ、ポピュリズム政府を生んだ。3月11日以前の状況の延長線上には、未来の日本はなかった。今回の大惨事を奇貨として、国民が目覚め、自らを律し、本来の律儀で勤勉で我慢強い日本国民に戻れたら、日本は再び復活するだろう。大惨状とはいえ、昭和20年8月15日に比べたら、はるかに恵まれた状況にあるのだ。

 この際思い切って、まだ成立していない来年度予算をあらためて根本から組み直したらどうか。子供手当や個別補償など、バラマキを一切取り止め、その財源を災害支援と復旧に回す。そのための大規模公共工事予算を組む。少なくとも総額10兆円。足りない分は増税だ。念願だった公務員給与削減も、勢いをかって一気に推し進められるかも知れない。一種の戦時経済である。この究極のケインズ財政が不況脱出の切り札、特効薬になった例は世界に沢山ある。企業は潤い、雇用も回復し、経済は活性化するだろう。公共工事と言っても、無駄なダムや道路を造るわけではない。哀れな東北の人たちに、救いの手を伸ばすためだ。問題はそう言う見通しと大局観が今の民主党政府にあるかどうかにかかっている。おそらく菅や枝野や仙石や、小沢、鳩山にはない。そう言う無能政権が理論上後2年居座ることだけが日本の不幸だ。

 亡くなられた被災者の方々には申し訳ないが、助かった人たちは国を挙げての努力で復活できる。65年前はそれができた。それ以上に深刻なのは福島原発の方だろう。これは今から起きる近未来の災害だ。電力の致命的不足は日本経済に暗い影を落とす。先進国で、戦争以外で一挙にこれほどの発電能力が失われた例はない。日本経済のみならず、復興にも差し支える。先ほどの報道では1、3号機に続き、2号機も炉心融解が始まったという。もう全滅に近い。こうなると、地震災害と言うより、東電の不心得、不始末、不作為による人災に近い。より震源に近い、同じ構造の女川原発は正常に運転停止した。にもかかわらず、それより遠い所にある福島原発が次々に壊れるのは、いくらなんでもおかしいではないか。そもそも福島原発が不良品だったに過ぎないのではないか。日頃のメンテナンスを怠っていただけではないか。そう思いたくなる。

 20年近く原子炉の安全解析に携わってきた友人から電話が来た。この原子炉は40数年前にGE主導で東芝が建設したもので、設計上の寿命は30年から35年。それをだましだまし延命使用してきたのだと言う。前々からシビア・アクシデント(炉心の溶融を伴う事故)には弱い原発と言うのが定説だったが、その通りとなったのだと言う。そもそも事故の直接原因が、原子炉より低い位置に置かれた冷却用のポンプと電源が津波で押し流され、原子炉に不可欠な冷却能力が失われたことにある。素人考えでも、これは重大な設計ミスではないか。冷却機能が不能になれば、原子炉が破壊されることは分かっているのだから、津波に備えて原子炉だけ高台に設置しても意味がない。冷却用ポンプと電源も同じ位置に置くべきことは素人でも分かる。実にいい加減な設計である。我々はこういういい加減な作りの原発に生命財産を預けてきたわけだ。その意味で東電の罪は重い。それを指導し、黙認してきた政府関係者も原子力科学者達も同罪だ。原発安全が大嘘だったことを日本国民が知ってしまった。今後日本では原発は作れないだろう。

 さらに加えて、もう福島原発は廃炉にするしかない。どうやら東電もそれを覚悟で、原子炉への海水注入(炉心の冷却と核分裂反応の停止)とホウ酸の注入(中性子吸収により核分裂反応の停止)を同時に始めた模様だ。これは核分裂反応を止め、圧力容器内を減圧する最後の手段だが、原子炉は使い物にならなくなる。要するに東電は福島原発を捨てる覚悟をしたのだ。友人は言う。現在東電はこの作業を懸命に行っているようだと。個人的にはこれ以上重大な事象(原発事故レベル4以上)には発展しないと思っていると。東京電力は、この3基の炉を廃炉にすることに決め、社運をかけて全力で注水しているのだと。加えて、東電の計画停電の対応はお粗末極まりないが、原発事故対応は迅速で、思い切った対応(技術的にはかなり適切)をしていると言う。これを受けた政府の発表(管、枝野の発表)が、極めて不適切なことの方が問題だとも言う。

 いずれにしろ、1兆円近い原発資産をお釈迦にするのだから、東電にとっても大損害だが、今時500万キロワットの不足電力を補える発電設備を新たに、速やかに作るのも至難の業だ。東日本は当分の間電力不足で過ごさなければならない。電力は国家経営と国民生活を支える柱である。その大幅な毀損は、日本国の運営にとって二重三重の障害になるだろう。この先経済は逼迫し、生活レベルの大幅低下は避けられそうにない。今までのような甘えや贅沢は許されなくなる。はたして日本国民は耐えられるだろうか。65年前の日本国民は耐えられた。今の日本国民にもその資質が残っていると思いたい。

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