【伝蔵荘日誌】

2011年2月26日: 今頃の若者気質について考える。 GP生

 先日、新聞のコラムで石原慎太郎氏が「当節の若者の自信の無さは、情報の分析・評価をも携帯やパソコンの情報に任せてしまうからで、身体的体験を経験しなから、本当の自信が身につかない。 実体験の乏しさを情報にすがっても身につくは訳はない」と書いていた。 彼の趣味であるヨットの外洋レースを主催しようとしても、若いクルーが集まらないそうだ。 最年少60歳のクルーではフォアデッキの仕事が務まらないと嘆いていた。

 先日、ワンゲルOB会の連絡事務を担当しているTo君からメールを貰った。 今年のワンゲル卒業生を含めて仙台でOB会を開催するとの連絡であったが、新卒の人数はわずか3人とのこと。 ワンゲル50周年記念パーティーに出席した時も、現役の人数の少なさを感じていた。  無積雪期の登山では50歳以上の高齢者の数が目立つし、遭難のニュースに接するとそのほとんどが高齢者である。 若い人にとって登山は魅力を感じない行為になっているのだろうか。  若い人達が身体的に辛いことや精神的に負担が大きいと思える事柄を避けて、心身共に楽をして生きることを好むマインドになっているのだろうか。 サッカーや野球、ゴルフ,フィギュアスケート等で若い人たちの活躍に接するとホッとした気持ちになるのは、自分一人ではないと思う。 目的意識をはっきりと持たざるを得ないスポーツ界の人達はともかくとして、 一般社会での若者の意識や生き方は如何なのだろうか。

 現役サラリーマンを退役して17年になる。 社会との関わりも少ない現状では、新聞、雑誌、テレビ等の限られた媒体や、二人の息子達を含む周辺の人達の言動から世の中を推察するしかない。 これ等の情報から受ける感じは、積極的に人生を切り開いていくという意欲の希薄な、内向き志向の若者が多いように感じる。 就職活動と称して、インターネット情報で会社を選択し、メールで会社訪問なり面接を申し込む。 これを3年生から始め、何十社を対象にするという。 我々70代の人間には想像もつかない世界の出来事のように思える。 他の学生との横並び意識から、そうするのだろうが、そんなやり方で本当の自分が求める仕事が見つかるのだろうか。 それでいて、内定が取れないと嘆く姿を見せられると、何か違うのではないかとの違和感を感じるのは自分だけだろうか。

 就職活動、略して「就活」と呼ぶそうだが、嫌な言葉だ。  仕事に就くことの本義をそっちのけにして、「とにかく就職さえできれば良い」という気持ちの軽薄感がそう思わせるのかもしれない。 最近では大卒者が就職後、職を離れる割合が多いそうだが、就職に求めるものが違うのだから当然かもしれない。  彼らは倒産の恐れが少ないと考え大企業志向となるのだろうが、大企業とて人生だって危険と挫折に満ちている。 一寸先は闇なのは政治の世界だけの事ではない。 官庁で働こうが、中小企業だろうが、自営業だろうが、常に自分の心による選択と進むべき方向への継続的努力以外に人生を安定させることなど出来はしない。 この世では常に安定して変わらない事などなく、変化流動していくのが現世の摂理であろう。 自業自得とは、良い結果も悪しき結果も全て自分の想いと行動によりもたらされるものだ。 社会や世間に結果責任を押し付けることなど出来はしないのだから。

 少子化の中で大事に育てられ、幼少のころから危険は周囲が遠ざけてくれる。 学校では人は自由で個性は大事だと教えられる。 過保護の環境が当たり前の幼少年期を過ごしたとすれば、心や魂を成長させることなど出来はしない。 家庭でも学校でも、自由の対価として義務と責任があることを積極的に教えない。 ましてや、我々高齢者が子供のころ経験したような戦後の劣悪な食糧事情の中で、食べるものもなく水だけ飲んで我慢するなど、豊かな食生活の中では考えることすら出来ないだろう。 当時は社会全体が物質的に貧しく、恵まれない環境であった。 子供達にとっても物質以外の物に価値を見出さなければ、生き行く意欲を持つことが出来なかった時代でもあった。  パソコン・携帯や各種家電、車等、文明の利器の進歩は、人の生活を便利にしたのは事実だし、自分もその恩恵にトップリあずかっている。 我々高齢者は便利な機器が何もない生活から出発して、進歩発達した道具として活用してきた。 もし、自分がこの便利な世界に生まれ、本当の自分である心の鍛練と成長をおろそかにして大人になったとしたら、道具であるはずのこれ等機器に頼り、振り回されて、心の安定を周囲の環境や更なる物質の豊かさに求めるようになるかもしれない。

 昔、中高時代に学んだ心力歌の「得るに喜び、失うに泣き、物のために心揺らぐ」の状態となるだろう。  自分は学生時代に就職先として鉱山・精錬会社を選択した。 当時でも、日本の金属鉱山の将来は明るいものではなかった。 友人からは、なんでリスクの高い職業を選ぶのかと言われたが、どうしても鉱山で働いてみたかった。  実際就職してみると、劣悪な抗内環境の中で、裸の人間関係の中で揉まれるし、夜寝ていても,二の方の作業員の打ち上げ発破が終わるころまでは寝付けないことが多かった。 夜中に電話が鳴ると、担当組長からの事故連絡だからた。 閉山の1年前に転勤となったが、鉱山9年間で得たものがそれ以後の仕事の支えとなった。 全く得難い人生体験であり、感謝することはあっても、後悔の念は全くない。 仕事の母体たる鉱山を失った鉱山技術者は社内では傍流もいいところで、自分とかっての仲間たちの居場所を作るべく、新しい分野に活路を求めざるを得なかった。 会社生活の30年を振り返ると、スタートして以来安定感とはほど遠いサラリーマン生活であったようだ。  自分自身には悔いはないが、妻には苦労をかけっぱなしであったのだけは悔いが残る。

  苦しい時の神頼みではないが、人生の安寧を神仏に願ったり、金や物に求めたりしても真の安定が得られないのは、心ある人達にとっては十分承知のことであろう。 神仏には感謝することはあっても、決してお願いし求めるものではない。  自分の二人の子供の就職に際しては、全て彼らの意思と判断に任せた。 人生の出発に際する、彼らの決断に親が口出すべきものではないと思うからだ。 心に中で秘かに応援はしていたが。

  二人の孫は小6の女の子と小3の男の子であるが、二人とも小学校の野球部に所属しており、土日は殆ど練習と試合で家族で遊びに出かける時間はないようだ。 上の女の子は中学でも野球をやりたいと、昨年末杉並区のクラブチームに入部した。 女子は彼女を含め二人だそうだ。 彼女にクラブはどうかと聞いたら、「小学校の野球部と指導方法が全然違うので練習が楽しい。レギュラーになりたいので頑張っている」と答えた。 長時間のランニングも苦にならないそうだ。 野球はチームスポーツなので、常に仲間との関係を意識せざるを得ないし、我儘を抑え、相手のポジションや気持ちを考えることを習慣づけられる。 孫二人が小さい頃から、野球を通して心の鍛練と仲間を思いやる心をもって成長をしてくれることは、勉強秀才になってくれよりはるかに嬉しいことだ。  ただ、クラブで言葉づかいや挨拶の仕方を厳しくしつけられるのは良いのだが、爺さん婆さんにも丁寧な敬語で話しかけられるのは少々淋しい気持がするが。 何時までも見守れる訳ではないが、ナントかバカの一人として孫たちの心の成長を願うものである。   

目次に戻る