2011年2月12日日: 老人健診について考える。 GP生 ![]() 自分の住む杉並区の場合、身長・体重測定のほか、理学検査・血液検査・血圧測定・尿検査と胸部X線検査・心電図、および問診が含まれる。 これらより、高血圧症・高脂血症・肝機能・糖尿病・貧血・高尿酸血症・心臓疾患・腎臓疾患・結核・肺炎などの有無が判定される。 それぞれの測定値には決められた基準値があり、それを超えればさらに精密検査を受けることになる。 前期高齢者でも、費用の自己負担はない。 これで寿命が延びるのなら、万々歳である。 本当にそうなるのだろうか。 自分はいささか疑問を持ち、ここ数年来受診していない。 その疑問の第一は胸部X線撮影にある。 撮影が1枚きりの場合、X線被ばく量は0.05〜0.1ミリシーベルトと僅少で、身体に対する影響はほとんどないとされている。 しかし、加齢で免疫システムが衰えていく中、毎年一定量のX線の照射を受けるのは考え物だ。 もし疑わしい処があって、さらにCTなどの精密検査を受けることになれば、被ばく量は桁違いに跳ね上がる。 最近の各種統計によれば、CTの大量X線被ばくによる発癌が増加しており、医者の中にはCT検査は発癌実験のようなものだと言う人さえいる。 70過ぎの高齢者から肺癌が早期発見されたところで、施せる治療は限られている。 治療によって、かえって寿命を縮める結果になりかねない。 よしんば、異常無しだったとしても、X線被爆によるダメージは免れない。 ![]() 何年か前の検診で、総コレステロールが250を超えたことがあった。 それを見て医者は「スタチン剤を処方する」と言い、自分は「原因は分かっているので、自分で解決するから不要」と断った。 医者は「もし、心筋梗塞が生じたら面倒はみる」と言う。 それまで断る理由はないので、「その節は宜しく」と言って退散した。 その頃は少々不摂生が続き、体重が90Kgを大きくオーバーしていた。 その後、食生活の改善と定常的な運動で体重を大幅に低下させたから、現在は当時より低下しているはずだ。 しかし基準値上限220は確実に超えているだろう。 その後検診を受けていないから正確な値は不明である。 マニュアル通りに投薬を処方する医者とのやり取りは,煩わしいものだ。 これも検診を受けない理由の一つである。 ![]() ![]() 自分は検診を受けていないが、自身の身体の状態を日々チェックする努力は欠かしていない。 血圧・心拍数・体重・体脂肪を毎日定時に計測、記録している。 この中には食事飲酒の記録も含める。 そのほか朝夕顔色で,血行状態の良否は判断できる。 尿の色から、体内のビタミンの過不足がわかる。 排便の太さ、軟硬、色、比重を観察すれば、腸の状態がおおよそ分かる。 尿切れの良否、夜間の排尿回数、水分補給後の排尿までの時間、などで腎臓や前立腺の異常が想像できる。 こういうチェックも、習慣化してしまえばさほど面倒なことではない。 そうであっても、自分で判断できないような病を得た場合、医者の診察を受けることはやぶさかではない。 もし治療方針に納得できなければ、セカンドオピニオン、サードオピニオンは求めた上で、自分で納得できる治療を受けるつもりでいる。 ただし、病で意識を失い、自分で判断できない状態になれば、家人に一切をゆだねざるを得ないだろう。 この世で生きていく上で、自分の魂の乗り船たる肉体を、健全に維持しようとする努力は大切だ。 肉体が病み、心が弱まれば、不安に駆られて悩み苦しむことになる。 高齢になればなるほどその心配はつのる。 精神状態に異常をきたし、心のバランスを大きく乱し、その結果さらに肉体の不調を招く。 健全な身体と心は車の両輪であり、どちらが不調になっても人生を狂わすことになる。 心身の健康維持に必要なのは、自助努力である。 たらざるは学び、知識を得て、思考し、実践することだ。 色々書いてきたが、自分自身を顧みると、ウエストは90に近く、BMIは29、体脂肪は30パーセントオーバーの現状である。 昔から「知識は実践してはじめて智慧となる」と言うが、知識も実践も未だしの自分自身を恥じるのみである。 |