【伝蔵荘日誌】

2011年2月8日: ご近所の火事騒ぎ T.G.

 夜中サイレンの音で目を覚ました。 家の周りを消防車が走り回っている。 何事かと窓を開けて外を見ると、家の周りのあちこちに消防車がひしめいている。 消防士が大声で叫びながら駆け回っている。 ただごとではない。 時計を見ると夜中の3時。 ベッドから飛び起きてダウンジャケット着込み、外に飛び出る。 昔から火事と喧嘩は江戸の華。 アドレナリンを分泌させ、気分を妙に高揚させる。 子供の頃、遠で聞こえる火の見櫓の半鐘の音に誘われて、火事見物に行ったことを思いだした。

 表に出てみると、火事の現場は家から70mほどの至近距離である。 炎と煙が手前の家の屋根越しに噴き上がり、壮絶な光景である。 消防士が玄関前のマンホールを開けて、消火栓にホースをつないでいる。 走り回る消防士の間をすり抜けて、燃え盛る家の前まで行く。 このころはまだ火事の初期で、消防士も忙しくて野次馬を規制している余裕がない。 それをいいことに、すでに火事現場の家の前に何人かの野次馬が詰めかけている。 寒空の真夜中、この連中もアドレナリンがふつふつと湧いているのだろう。

 すでに何本かのホースが伸びており、燃えさかる家の窓や屋根に盛んに放水している。 火勢が強く、火の手は一向に収まりそうにない。 このままだと、隣家に延焼しかねない勢いである。 団地の外のこのあたりは典型的なミニ開発のマッチ箱住宅で、狭いところは隣家の軒先が1mも離れていないのだ。 やがて到着した新たなホースはもっぱら隣家の壁と屋根に集中的に水を浴びせている。 燃え方から火元の家はもはや絶望的と判断し、もっぱら延焼を防ぐ作戦に出ているようだ。 この頃になると、集結した消防車は計6台。 周りの道路は消防車だらけである。 しかしながら、延焼を防げず燃え広がったら、周りの近接したマッチ箱がすべて火元と同じような火勢になる。 そうなったら6台程度の消防車ではどうにもならなくなるだろう。 たった一軒の火事でさえこれだけ手こずっているのだから。

 我が家がある団地は狭いながらも宅地の平均面積が50坪ほどあり、道路も比較的広く、隣家とは5m以上離れている。 しかし近隣農家の畑を潰して作ったこのミニ開発住宅は、宅地が20坪にも満たず、道路は消防車が入れないほど狭く、手を伸ばせば隣の家に届くような作りである。 消防士も隣家に邪魔されて近くまでホースを伸ばせない。 無理な角度から放水せざるを得ず、火元に正確に放水出来ない。 だから火勢がなかなか衰えない。 見ていてじれったくなる。 この晩は幸い風が弱かったが、そうでなければ大事になっていただろう。

 小生のそばで、パジャマにダウンコートを羽織った男性が呆然と炎を見上げている。 消防士が近寄って、「ご家族は大丈夫ですか? ちゃんと避難出来ましたか?」と怒鳴るように聞いている。 「大丈夫です」と答える口調が虚ろである。 どうやら火元のご主人のようだ。 お気の毒に。 火勢を見ているとどうやら二階が火元のようだ。 一階の窓は暗く、まだ燃え移っていないようだが、二階の燃え方が激しい。 すでに窓ガラスは破れ、屋内の紅蓮の炎が見える。 炎が天井を舐めている。 時折窓から激しく吹き出す。 屋根の一部が燃え落ちたらしく、空に向かって炎が吹き上がり始めた。 二階の窓越しにホースの水をぶち込んでいるが、一向に火勢は衰えない。 そうしているうちに一階にも燃え広がったようで、玄関のガラスがぱっと明るくなる。 おそらく一階にもホースが伸びているのだろうが、それでも延焼は防げない。 激しく水をかけているのに燃え盛るのは、最近合板建材が火薬のように燃えやすいからだろう。

 そうこうしているうちに、今度は別の消防士が血相変えて小生のところにやってきて、「何々さんはどこにいますか!」と大声で尋ねる。 どうやら隣の家の人と間違えているらしい。 これ以上邪魔するのは良くないと、野次馬をやめて家に引き上げることにした。 その頃にはやっと火勢も衰えはじめ、炎と煙に変わって白い水蒸気が立ち昇るようになっていた。 家に戻ると、玄関前に消防車が2台止まっていて、道路に非常線が張られている。 ご近所の人たちも道路に出て、非常線の外から火事を眺めている。 ベッド戻っても、アドレナリンのせいでなかなか寝付けず、起きたのは昼近くになった。

 顔を洗って遅い朝食を済ませ、火事の現場を見に行く。 まだ野次馬気分がおさまっていないらしい。 道路から一軒奥まった一戸建てで、最近建て替えた新しい家である。 建物の外壁はそれほどでもないが、内部は黒こげ。 すべての窓は破れ、屋根に空いた穴から空が見える。 浴びせられた放水で何もかもびしょ濡れ。 もうどうやっても使い物にならないし、修理も出来そうにない。 聞くところによれば、柱が一本焼け残っていても保険会社は全焼扱いしないと言う。 だから調査員が来る前に焼け残った壁や柱は蹴倒しておいた方がいいと言う。 この家も外壁だけはほとんど保たれていて、外からちょっと見では、火事の火元とは思えないぐらいだ。 しかしこれが全焼扱いでなければ、火災保険はナンボのものだと言いたくなる。

 1m離れた隣りのマッチ箱を見ると、外壁と軒の庇が幾分焦げているだけで、一見して無事のように見える。 しかしあれだけの炎に曝されたら、おそらく内側の木材は焼けて炭化しているに違いない。 延焼は免れたが、修繕費用は安くはないだろう。 それにしても現代の消火技術は大したものだ。 あれだけの燃え方でも、わずか1mしか離れていない隣家に延焼させない。 その威力とテクニックがよく分かった。 火元の家はもちろんのこと、向こう三軒両隣も雨戸が閉まって人の気配がない。 がっくり来て、家族共々どこかほかのところで休んでいるのだろうか。 この寒い冬に、実にお気の毒。 身につまされる。

  

目次に戻る