【伝蔵荘日誌】

2011年2月5日: 利害関係抜きの人間関係 GP生

 学生時代の山仲間の一年先輩で、現在秋田県に住むWaさんから電話を貰ったのは正月2日だった。 何事かと思って電話口に出てみると、昨年10月頃、急に目が見えなくなったと言う。 長年糖尿病性の網膜剥離を患っていたところ、脳梗塞を起こし、失明したとのことであった。 他の身体四肢は全く異常はなく、視力だけがダメージを受けたようだ。 70歳を過ぎてからの失明はどれだけ大変なことか、想像を絶する。
 昨日、その後どうしているか電話をしてみた。 いくらか元気を取り戻してはいたが、今後の人生に対する不安からか「もう生きていてもしょうがない」とか「生きる気力がわいてこない」などと心は揺れ動いていた。 生半可な励ましの言葉は止めにして、かって山で過ごした日々の思い出話に終始した。 そんな話の中で、彼は「社会に出てからの利害関係を抜きにしては付き合えない人間関係と違って、若い学生時代の仲間はいいなあ」とつぶやいていた。

 秋田というと、中年時代に工場廃水の処理設備の営業、設計に携わっていたことを思い出す。 秋田市北部に全国的に名の知られた酒造会社がある。 この会社には経営者につながるKo博士がおられた。 Ko博士は酵母の研究家として全国的に知られていている。 博士が発見した多糖類を分解する能力を持つ酵母を利用した廃水処理システムを、国税庁醸造試験場と自分が所属する会社との共同研究で実用化にこぎつけた。 酒造工場は高濃度のコメのとぎ汁やアルコール類が排出される。 これ等高濃度廃水を酵母で処理して濃度を下げ、且つ、最終処理の活性汚泥で処理して排出基準以下にして放流する設備である。 このシステムを博士の酒造工場の廃水特性に合わせて設計し、設備を納入した。

 酒造期は11月ごろから、翌3月ごろまでである。 責任者として試運転に従事した。 酵母処理は順調に推移したが、活性汚泥処理には難渋した 。活性汚泥処理のスタートに当たり、他の処理場から種となる汚泥をタンクローリーで運び、当該処理場でそこの廃水に合うよう馴養する。 活性汚泥は無数の種類のバクテリアや原生動物の集合で、これら微生物の捕食関係のバランスで廃水中の有機物を分解処理する。 微生物の活動にとって水温と餌たる有機物の種類や質が決定的な要因となる。 栄養的には単調なコメのとぎ汁と冬の秋田の低水温が大きな障害となり、極寒の中、悪戦苦闘の2か月を過ごした。 翌年も温度条件は変わらないが、処理の主体となる活性汚泥中の微生物群は、当該工場の廃水に適合したフローラに馴養されていて、初年度の苦労はない。

 微生物の馴養ではないが、学生時代特にワンダーフォーゲル部の山行で、一つテントに仲間たちと何日も一緒に寝、同じ飯盒の飯を食べ、一つの目的達成のために苦楽行動を共にすると、お互いの人間性を意図的に隠したり、飾ったりはできなくなる。 謂わば、裸同士の独特の人間関係が醸しだされる。 微生物が環境に順応して、群れの特性を自然に造るように、利害関係という夾雑物が極めて少ない学生時代でも、同様の事が生じているように思える。 毎年4月、新人が入部してくる。 多い年には100人近くの時もあった。 新入生歓迎登山を皮切りに、各種合宿を重ねていくと、一人減り二人減りで、次第に人数が減少し、卒業時には10人から20人ぐらいに落ち着く。 彼ら新人は、先輩たちの群れのなかで活動していくことが出来るよう、4年間かけて馴養されたことになる。 この人間関係は、先のWaさんの例ではないが、50年たっても変わることはない。 但し、自身が馴養された関係に意義を認めなければ話は別になるが。

 人は、いつの時代、どこの国で、誰を親として生まれるかは、自身で誕生後に変えることが出来ない。 新たな生命にとっては宿命づけられた誕生と言える。 自分は親の手を離れて以降、自分の心に従ってその時その時で、色々な選択をして来たと思っている。 ワンゲルへの入部や活動、仲間たちとの関わりなど、全て自分の心の判断である。 社会に出てからも会社員として、自営業者として、また自由人として色々な生き方してきた。 また自身の肉体をいたわるのも酷使するのも、全て自分の心が決めてきたことである。

 ある年齢に達して過去を振り返った時、自分の人生に運命を感じることが多いのも事実である。 進学、就職、結婚、出産等、また家庭生活におけるもろもろの選択や分岐点に、考え悩みながら生きてきたのが普通の人であろう。 後で振り返って、「あの時こうしておけば」、また「しなければよかったのに」と後悔することは誰でも経験することだ。 運命は他人によるものでなければ、神や仏によって決められてしまうものでもない。 他ならぬ、自分の心と意思によって運命を選択したことになる。 因果応報とはこのことで、結果責任は全て自身に帰することになる。 だから、宿命は変えることはできないけれど、運命は心の持ち方ひとつで変えることが出来ると信じている。

 自分の過去の事象は、変えることが出来ない。 けれど、過去における心の持ち方や、それに由来する生活態度が原因で、現在の自分が心身の不調和で悩み苦しんでいるとすれば、反省を通じ同じ過ちを二度と繰り返さない努力をすることが大事である。 これにより、現在の心身の不調和を克服することが出来るのではないだろうか。 何歳になろうと、生ある限り自分の運命を他者に委ねず、たとえ試行錯誤の連続であろうと、自分の肉体の寿命が尽きる時まで、自分の運命は自分で切り開いていくべきものと思う。 もし、過ちを犯したら、気付いたときに反省をして、過ちを正し修正する努力をするしかないと信ずる。

 秋田のWaさんも諦めるのはまだ早い。 聞くところによれば、奥様をはじめとして、周囲の絶えざる励ましがあるようだ。 諦めて心を閉ざさず、自分の今までの生き方を修正する努力によって、新たな人生に立ち向かって行く意欲を持って欲しいと願っている。 真摯な努力によって、閉塞した脳神経細胞のバイパスが開かれる可能性は、決してゼロではないのだから。

 Waさんの回復と立ち直りを、心より願うものだ。   

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