【伝蔵荘日誌】

2011年1月14日: 老後の孤独を考える。 GP生

 昨年来新聞紙上やテレビで独居老人の孤独死の報道が絶えない。 痛ましい限りではあるが、全く他人事だとは思えない。 よく政治の世界は一寸先が闇だといわれるが、人は誰しも道しるべの無い道を歩まざるを得ないのだから、生身の肉体を持つ身として、人生も一寸先は闇と言えるかもしれない。 自分自身にとっても、何時いわゆる孤独の状態に置かれるかは分からないことなのだから。

 最近の若者の自殺は一種の孤独死と言えるかもしれない。 いじめを苦にして自殺する中学生は、両親や家族がいるにもかかわらず、誰にも相談も出来なかった。 やはり孤独だったに違いない。 しかし、若年者の孤独は、周囲の関係者のかかわり方で、防ぐことも出来るし、正常な人間関係に戻ることも可能な場合が多いだろう。

 若いころを思い出すと、学生時代は気心の知れた山の仲間たちとの生活が中心にあり、卒業後の仕事に夢をはせていた。 孤独とは縁のない生活であった。 以来、加齢を重ね老境といわれる年齢になってみて、あたりを見渡すと全く違った風景が見えてくる。 ひとえに、孤独とは高齢者に課せられた問題に思える。

 妻が親しくしている60代の女性が経営する喫茶店が近くにある。 彼女は明るく伝法な口調で客に接し、客の悩みをなんでも聞いてくれる。 そのため、訳ありの高齢男性の常連客が多い。 そのほとんどは、配偶者を死別か離婚によって失っている。 その中の一人、69歳のHさんには、自分のマンション内外の清掃を依頼している。 彼は奥さんとはかなり以前に離婚しており、子供とも音信が途絶えて久しい。 若いころはイラストレーターで生計を立てており、顧客も多く、経済的にも豊かな生活をしていた様だ。 現在ではコンピューターグラフィックスとの競争に敗れ、頼まれれば本業に戻るが、あとはもっぱら清掃を生業としている。 人なっこく誰にも愛される人柄が人間関係の輪を広げ、時間があれば件の喫茶店で憂さを晴らしており、一見孤独の淋しさは感じられない。 仕事を依頼した関係で何回か彼と話をしたが、こちらが求めないのに過去のイラストのスケッチブックを持ってきて説明をしてくれる。 言葉の端端には寂しさが滲み出ていた。 彼は自分の努力で人間関係にも恵まれ、厳しいながらも経済的に自立した生活を送っている。 彼が自分自身を孤独と感じているか否かは分からない。 人の孤独は第三者には計り知れない領域だ。 孤独であるか否かは、自身の心の在り方が大きな要因になっているのだから、他者が外的要件だけで判断できることではないのだ。

 人は生まれてくるときは一人、死んで行くときも一人である。 だから人は本来孤独な存在と考えることも出来る。 しかし人はこの世において、物心ついてからいろいろな人たちと交わり、成長の過程で人との絆を深めていく。 家庭を持ち、伴侶や子供たち孫たちとの絆も当然深まっていく。 人が孤独であるか否かは、その人の生き方の問題であって、老後の人生が孤独であるか否かは、自身の結果責任でもある。 けれど、人は伴侶に先立たれ、子供たちは独立して自分たちの家庭を優先するようになり、やがては行き来も次第に疎になっていくのが通常だ。 特に男性の場合、女性に比べ子や孫との関係は相対的に希薄だから、この世に一人残された淋しさが格別であろうことは想像に難くない。 また、若い頃の気心の知れた仲間が一人、二人とこの世を去って行くのを経験すれば、寂しさはさらに増すことになろう。 さらに、自身が病を得て、身体の自由がきかなかったり、失明の憂き目にあい、家族の介護によらなければ生活が出来なかったとしたら。 また、その家族すら存在せず、介護士さんや施設で生活を送らざるをえなかったら。 極めて強い孤独を感じざるを得ないだろう。

 この世での誕生はあの世での死であると言われている。 この世に誕生するとき、魂を共有するいわゆるソウルメイトたちに送られてくる。 この世での夫婦、子供、孫や、特に絆の強い友人達は、かってあの世でのソウルメイトである可能性が高いそうだ。 そう考えれば、自分がこの世で人生の目的を果たして、あの世に戻った時、すでに天上界に帰った仲間達が迎えてくれることになる。 高齢になり、この世での淋しさや、孤独に耐えかねて、自ら命を縮めたり、自分に振り向いてくれぬ肉親、縁者を恨み、また自分の運命を嘆きつつ寿命が尽きたとすれば、あの世でソウルメイトたちは出迎えてくれない。

 この世は因果応報の世界である。 悪行は悪しき結果を、善行は心の向上をもたらす。 この世で出会った人たちとの縁と絆を深め、出会に感謝しながら生きることが、天の摂理なのだと思っている。 自分が生きてきた過去と、これからどう生きるかで、自身の残された人生を「孤独と感じるか、満たされた心で過ごせるか」が決まるのだと思っている。 自分自身がたとえこの世でたった一人で生きていかざるを得なくなったとしても、それはあの世からこの世に誕生するときに与えられた試練だと考えれば、孤独もまた意味のあることになろう。 魂はソウルメイトと共に輪廻転生を繰り返して、常に魂の仲間達とともにある事を信ずれば、人にとって本当の孤独はあり得ないと考えている。 とは言え、かっての仲間たちがこの世で、元気で生活をしていることを知ることは、何にもまして嬉しく、有難いことであるのも真実である。   

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