【伝蔵荘日誌】

2010年12月9日: 氷河期の就職活動 T.G.

 就職氷河期だという。 すでに12月に入っているのに内定率57%だという。 半分近い大学4年生が就職口が見つからず年を越すことになる。 新卒主義の日本企業の雇用慣習を考えると、膨大な数のフリーターや派遣労働者が生み出されるに違いない。 彼らの焦燥感が痛いほど分かる。

 テレビの番組で就職の模擬面接をやっていた。 今時の企業の採用活動は、学生の学力や大学で何を学んでいるかはほとんど問題にしない。 面接時の応対や話し方の方を重要視するらしい。 採用に当たって企業側が学生に求める最重要な資質は、学力などではなく“コミュニケーション力”なのだという。 まあ企業は日本の大学教育に何の期待もしていないと言うことなのだろう。 ゆとり教育の行き着いた先がこれだとすると、何をか言わんやだ。

 番組では、就職活動を始めた大学3年生20人を相手に、著名なニュースキャスターの池上彰氏と女性アナウンサーが、学生を一人ずつ呼んで疑似面接を行う。 今時の大学3年生はいずれもリクルートスーツをびしっと着込み、古びた詰め襟学生服で臨んだ我々の頃とは大違いだ。 服装の立派さと対照的に、おしなべて今頃の若者好みの少しだらしないぼさぼさヘアスタイルが不釣り合いである。 小生が面接官だったら、あの幼稚で大学生らしい知性をまったく感じさせないヘアスタイルだけで不合格だ。

 ドアを開けて椅子に着席した学生に、面接官の池上氏が簡単な自己紹介を求め、その内容に2、3質問を付け加える。 最後にその対応と話し方について池上氏が指導的コメントを与える。 部屋の外ではその映像を全員が見ている。 まず気になったのは、いずれの学生も語り口がたどたどしく、幼く、いわゆる大人の会話が出来ていないことだ。 中の一人は質問に答える際、「〜じゃないですか。」などと今時の若者風のため口をまじえる。 さすがに池上氏にたしなめられていたが、おしなべて大人の語り口ではない。 彼らは二十歳過ぎまで目上の人や大人ときちんとした会話をしたことがないのだろうか。

 それ以外にも、「なになにをやっています」と言うべきところを、「なになに“とか”、やっています」などと、最近の無教養な若者がしばしば使う、耳障りの悪い接続詞をまじえた言葉遣いをする。 総じて発言がだらだらしていて、きちんとした終了形で終わらない。 言いたいことが伝わらないし、幼稚に聞こえる。 これは学力以前の問題で、単なる知性の欠如だ。 自分の考えをきちんと言葉で表現する習慣や経験がないままで過ごしてきたからだろう。 自分の頃の就職面接を思い出しても、かってはこういう幼稚な物言いをする学生はいなかった。 むしろあのころの学生はおしなべて生意気で、憶えたてのペダンティックな言い回しや難解な用語をことさら使いたがる傾向があった。 若気の至りの背伸びだが、今の学生の、中学生並みの幼稚な会話よりはるかにましだ。

 もう一つ気になったのは、 自己紹介をと言われて、全員が「えつ、自己紹介ですか?」と聞き返し、しばらく言いよどんでからおずおずと話し始めることだ。 就職面接なのだから、最初に自己紹介を求められるのは分かり切っている。 それなのにその用意も覚悟もなしに面接に臨むとは。 今時の学生は採用試験を何だと思っているのだろう。 リクルートスーツとは対照的なお粗末さだ。 これではコミュニケーション力も何もあったものではない。 その自己紹介の内容にしても、おしなべてサークル活動、アルバイト、趣味の漫画の話に終始する。 大学の授業や専攻の話はまず出てこない。 学生なのだから、聞かれたら嘘でもいいから専攻学科やゼミの話をテーマにすべきだろう。 大学で学んでいることや興味がある分野を主たる話題にするべきだろう。 サークル活動やアルバイトの話など、刺身のツマに過ぎない。 これは学生だけに責任があるわけではない。 先に述べたように、企業側が専攻や学力を問題にせず、コミュニケーション力などと言う訳の分からぬ資質を重要視することが原因だ。 それに学生が迎合しているだけのことだろう。 学生も悪いが、企業はそれ以上に悪い。

 会社にいた頃、人事部の依頼で技術系学生の採用面接をやったことがある。 そのときの最初の質問は、専攻分野や卒論テーマについての自己紹介と決められていた。 しゃべり方の巧拙あっても、この疑似面接のような幼稚な会話にはならなかった。 総じて大人の会話になっていたように記憶する。 少なくともサークル活動やアルバイトはまったく話題にならなかったし、こちらもしなかった。 20年以上前の話だが、企業も大学も、日本社会全体が幼稚化しているように思えてならない。

 自分の面接官経験では、5分間の自己紹介の最初の1分間で その学生の意欲、気力、問題意識、判断力、普段の言葉遣いなど、おおよそのことが分かってしまう。 残り4分のスピーチを聞いて、その判断が覆ったことはない。 学生の方は、懸命に「御社は、」などと言うにわか覚えの面接用語や言い回しを使うが、そう言うにわか仕込みのテクニックに誤魔化されることはほとんどない。 むしろ、多少稚拙でも学生らしい態度や言い回しの方が好感が持てた。 5人で面接し、事後全員で講評をするのだが、おおむねどの面接官も同じような見方をしていたから、小生だけの独断偏見ではなさそうだ。

 今の学生に言いたい。 まず、最低3分で自己紹介するトレーニングをしたらどうか。 欧米の学校教育では、ディベートやスピーチの訓練がカリキュラムに取り入れられているが、日本の学校教育にはない。 だから日本の学生は人前でしゃべることがまったく不得手だ。 さらに言えば、しゃべり言葉の基本は読書だ。 スピーチに必要なボキャブラリや言い回し、さらに言えば文章力、論理能力は読書でなければ身に付かない。 漫画やゲームやテレビはまったく役に立たない。 むしろ邪魔になる。 今の学生は読書量が少なすぎる。 だから会話が幼稚で無内容になる。 少なくとも学校を出る前に、日本文学全集の半分程度は読んでいるべきだろう。 ドラッカーは漫画でなく原書を読むべきだ。 その程度の読書が苦痛なら、大学に進学すべきでない。 進学しても勉学について行けない。 進学せず、手に職を付けた方が日本のためだ。 昔はそうした。 最近は就活セミナーというのがあって、面接技術を含めいろいろ手練手管を教えているらしいが、この疑似面接を見ているととても身に付いているようには見えない。 大学生としての知的基礎能力が足りないのだ。 こんな程度の低い学生を採用したら、企業はたまったものではない。

 それから企業の側にも言いたい。 採用基準にもう少し大学の専門性や学力を重視したらどうか。 番組の中程で、企業側が学生に求める資質について解説していたが、ダントツで重要視するのはコミュニケーション力なのだという。 そんなものどうでもいいことではないか。 コミュニケーション力って、いったい何なのさ。 話し下手でも、きちんとした専門知識を持ち、意欲と責任感と気力があれば十分に対人説得力を発揮出来る。 その基礎は知的能力だ。 会社の中でそう言う例はいくらも見てきた。 しゃべり上手でも、いざとなるとからきし駄目な奴もたくさん見た。 全員が舌先三寸の営業マンになるわけではない。

 報道によれば、パナソニックなど大手企業は今後国内採用を減らし、外国人学生採用に重点を移す方針だという。 理由は日本より学力の高い優秀な学生を獲得出来るからだという。 いくらなんでもそれはないだろう。 学生にとって最も大事な3年生の途中から就職活動でいじくり回し、勉学の邪魔をしておいてそれはないだろう。 その上求める資質がコミュニケーション力と来ては、いったい何を考えているのか。 それでは企業力は付かない。 日本の大学教育をスポイルし、結果として自分の首を絞めているだけだ。 そう言う馬鹿なことをやっているからサムスンに負けるのだ。 それにしても、今さら大学生の就職試験にスピーチの練習が必要とは、日本の将来は暗いな。

  

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