2010年11月4日: 近未来のアジア戦略 T.G. ![]() JPプレスと言うウェブ雑誌に、「米国に抑制を求める豪州」と言う興味深い記事が載っている。 このウェブ誌は世界のジャーナリズムの報道や論調をベースに記事を書いているので、不勉強で、視野狭窄で、井の中の蛙的記事ばかりの日本のマスコミにはない緊張感と面白さがある。 日本の新聞テレビは、社会動向の現実や客観的な世界情勢を知るためには、ほとんど役に立たない。 読むだけ時間の無駄だ。 この記事はヒュー・ホワイト(Hugh White)と言うオーストラリア人の論文をベースにしている。 ホワイト氏は一時豪州政権で国防次官補という要職に就いた経験もある政策家で、この論文はオーストラリアのみならず、米国ワシントンでも話題になっていると言う。 この論文の要旨はこうだ。 まずホワイト氏はアジア情勢を分析するに当たり、民主主義だの人権だのと言った価値観をすべて捨象し、国家間の力関係だけに注目するリアリズムに徹している。 その上で、これまでの米国の単独覇権は今後衰退し、これによって維持されてきたアジア太平洋の安定は二度と訪れないと予測する。 アジアの将来は、アメリカが巨大化する中国との対決色を深めるか、諦めてしまうか、の両極端の間のどこかに収束すると見る。 前者は米中軍事対決に至る悪夢だが、後者は中国によるアジア一極支配を意味し、同様に受け入れ難い。 この視点に立ってホワイト氏は、米中に日本、インドを加えたアジア主要4大国による“コンサート・オブ・パワー(Concert of Power)”の枠組みを実現することが望ましいとしている。 コンサートオブパワー(力の協調?)とは、19世紀のヨーロッパに現れた列強による均衡体制を指す。 これになぞらえ、“アジアにおいて米中日印4主要大国が毎日食卓を囲み、どの1人にも独占を許さず、抜け駆け、八百長を図る者が1人でもあれば残りの3人が連携して阻止する体制”を意味している。 “米国の一極支配が崩れた状況で、ヨーロッパにおけるNATOのような多国間安全保障体制の見込みがないアジアに、唯一残された、最も望ましい道だ”という主張である。 アジアにおける、あり得べき現実解の一つではあろうが、人口わずか2100万人、軍事力も経済力も貧弱で、巨大化する中国に今にも飲み込まれそうなオーストラリアの願望も感じられる。 この記事は言う。 オーストラリアは大英帝国の一員で、かっては貿易と安全保障を全面的に英国に委ねていた。 戦後はその立場がそっくりアメリカに移り、その後貿易に関してはアメリカの庇護国である日本に移った。 英米というアングロサクソンのアジア一極支配が終わりを告げ、なおかつ日本の経済力が低下すると、少なくとも貿易に関しては中国の傘の下に入らざるを得ない。 しかしながら安全保障まで委ねるわけにはいかない。 ここにアジアの小国であるオーストラリアのジレンマがある。 だからこそ、米中日印で仲良く“コンサート”を奏でてくれ。 そのためには“米国に自制を促す説得こそ豪州外交の要諦”と言うわけだ。 実際問題として、オバマ政権の米中蜜月状態を横目で見ながら、日本の親中民主党政権と同じく、オーストラリアにも親中ラッド政権が誕生した。 この機に乗じて中国はオーストラリアの鉱山会社を次々に買いあさり、気が付いたときには多くの鉱物資源が中国資本に抑えられてしまった。 これ以上対中国経済依存度が高まると、やがては安全保障にまで影響が及ぶだろう。 この危うさに気づいたオーストラリア国民は、極めて親中度の強いラッド首相を引きずり下ろして、ジュリア・ギラード首相に替えた。 ラッド首相の失脚は、“日本のラッド”、鳩山前首相の普天間外交が引き金になったという見方もある。 アメリカべったりの日本で米軍基地追い出しという反米気運が高まったのは、アメリカのみならずオーストラリアにとっても驚天動地の事態であった。 このまま推移すれば、日米は離反し、アジアにおけるアメリカのプレゼンスがますます低下し、その結果日本のみならずオーストラリアも中国の引力圏内に引きずり込まれかねない。 そのことにオーストラリアも気が付いたのだ。 このコンサートオブパワー戦略は、現状の日本にとって望ましいものではない。到底受け入れられない。 共通の食卓に着くと言っても、力の差がありすぎる。 ここで言う力とは経済力のことではない。 安全保障体制、すなわち軍事力のことである。 日本を除く米中印はいずれも独力で国防体制を敷いている。 核も持っている。 方や日本は日米安保が拠り所で、自主国防力はないし核もない。 とても同じテーブルで同じ歌は歌えない。 その上オーストラリアと違って、中国と地理的距離があまりにも近い。 アメリカの手を離れたら、独力ではやっていけない。 その結果、頭を下げて中国の勢力圏に入れてもらうしかない。 尖閣なんて問題外、いっぺんに吹っ飛ぶ。 前首相が唱えた東アジア共同体でも同じことが言える。 この記事でも言っているが、アジア各国はアメリカのプレゼンスが低下した後の多国間協調体制を模索し始めている。 民主党政権が唐突に言い出した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)もその一つだ。 日本国内では農業保護をどうするかなどという内向きな議論に終始しているが、本質は中国だけが巨大化するアジアにおいて、ポストアメリカーナの時代をどう乗り切るかと言う近未来の国家戦略の問題なのだ。 コンサートオブパワーにせよ、TPPにせよ、東アジア共同体にせよ、日本にとって必要不可欠なのは、今後ますます巨大化する中国に対し、抑止力としての国家安全保障体制をどう担保するかだ。 それ抜きにはすべて空論である。 裸のまま加われば、仙石官房長官がいみじくも言った“中国の属国”になってしまう。 それを跳ね返すには自主国防体制確立が理想的だが、いかんせん時間と金がかかりすぎる。 とりあえず埋め合わせるのは依然として日米協調体制維持しかない。 普天間で傷ついた協調体制を出来るだけ早く修復し、この記事でも言っているように、その上でアメリカとの集団的自衛権を確保することが最も現実的で手堅い戦略だろう。 それにはすこぶる困難な憲法改正は要らない。 国会の決議も閣議決定も要らない。 内閣法制局長官の答弁一つで済む。 そうは言っても、尖閣、北方四島程度できりきり舞いしている今の小児病的左翼政権ではどうにもならんな! |