【伝蔵荘日誌】

2010年10月6日: 日本のマスコミと司法の劣化 T.G.

   ここしばらく日本の政治と経済の劣化が続いているが、同じくマスコミと司法の劣化も目に余る。  そのことが日本人の愚民化を招いている。  日本は本当に民主主義国家なのだろうか。 日本はこの先やっていけるのだろうか。

 前の日誌で、尖閣列島事件でこれだけ屈辱的な目に遭わされたのに、なぜ日本人は怒らないのか、と書いた。 日本国民がいつまでたっても我関せずで、一向に抗議の姿勢を示さないことを嘆いたのだ。 しかし最近になって、それが大間違いだったことを知った。

 実際のところ、中国船長釈放直後の10月2日に、横暴な中国と腰の据わらぬ日本政府に対し、日本各地で抗議デモが行われていたのだ。 特に東京では代々木公園に2600人も集結し、渋谷まで大規模デモ行われていたと言う。 いち早く報道したのはCNNフランスAFP通信香港「鳳凰網」ウォールストリートジャーナルと言った外国メディアだけで、今に至るまで日本のマスコミは知らぬふり、一切報道していない。 中国嫌いの右翼新聞と評される産経新聞でさえ書かない。 このマスコミの徹底ぶりは、まるで戦時中の報道管制を彷彿とさせる。 だからほとんどすべての日本人がデモがあった事実を知らない。 中国に対し、自分以外の日本人は誰も怒っていないと思わせられている。 日本人は見ざる言わざる聞かざるの三猿状態に置かれているのだ。 いったい日本のジャーナリズムは何をしているのか。

 自分がそのことを知ったのは新聞テレビではなく、“かの悪名高き”2チャンネルである。 2チャンネルはいわゆるネット掲示板である。 自ら取材はしないし、その能力も志もない。 ニュースソースはもっぱら既存の新聞、雑誌、ネットメディアからの引用。 このニュースもガジェット通信というウェブ新聞の記事である。 その「尖閣渋谷2600人デモ。 海外メディアは大々的に報道するも、日本のマスコミは華麗にスルー」と言う記事を見ると、CNNが取材した大規模デモ行進の写真が何枚も載っている。 デモの様子を写したYouTubeの動画も載せられている。 やはり日本人は怒っていたのだ。 どういう理由か分からぬが、マスコミが隠蔽して知らせなかっただけなのだ。

 「誰も見聞きしていない山中で木が倒れたら、木が倒れたと言う事実は存在すると言えるか?」と言う有名な哲学の命題がある。 その文脈で言えば、日本人が誰も知らないデモは無かったのと同じことなのだ。 日本人は怒ってなどいないのだ。 日本のマスコミは沖縄の米軍基地に少人数のプロ市民活動家と称する連中がデモをしただけで、ことさら大仰に報道する。 それなのになぜ数千人が集まった代々木公園の大規模デモは報道しないのか。 朝日、読売はもとより、あの中国嫌いの産経ですら一行たりとも書かない。 テレビも一切報道しない。 週刊誌も書かない。 見事な情報統制である。

 ここまで来ると、オールマスコミのデモ無視はとても偶然の一致とは思えない。 何か確信的意図があるとしか考えられない。 東京のど真ん中で、昼日中数千人が練り歩いたのだ。 彼らの目にとまらないわけがない。 日本のマスコミはどういう理由でこういう自己否定を演じるのか。 おそらく権力側の何かしらの報道規制に従っているのだろう。 たとえそうだとしても、表向き民主主義大好きの新聞やテレビが、一社ぐらい抜け駆けをしても良さそうなものである。 それがジャーナリズムというものだ。 実に情けない。 ほかにも同じように意図的に国民の目を逸らし、事実を伝えないケースが沢山あるに違いない。 マスコミが体制側の意を酌んで、戦前と同じように国民を情報操作する。 もはや日本のマスコミ、ジャーナリズムは死んだも同然。 腐りきっている。 日本は開かれた民主主義国家とは言えない。

 もう一つの司法の劣化についてである。 最近話題を呼んでいる郵便割引制度悪用事件で、大阪地検の担当検事が証拠文書のフロッピーを意図的に改竄したことが大々的に報じられている。 もちろん証拠改竄は検察としてありうべからざる自殺行為で、弁護の余地もない。 司法の劣化ここに極まれりだが、ここではそのことを書かない。 問題にするのは、この騒ぎに取り紛れ、この郵便制度悪用事件そのものを矮小化し、雲散霧消させてしまったことだ。

 そもそもこの事件は、実体のない障害者団体「凜の会」が、厚労省の課長名で発行された証明書を悪用し、その取り巻き企業に総額40億円にも及ぶ郵便料金を踏み倒させたという巨額詐欺事件である。 その取り調べの課程で、証拠のフロッピーを検察が改竄したというあるまじき事実が表に出、それに驚いた裁判所がろくな審議もせず、被告の厚労省村木元課長に対する裁判を打ち切り、無罪放免にした。 凛の会側も罰金450万円、執行猶予付きと言う微罪にとどめられた。 自動的にこの巨額詐欺事件が村木元課長の部下である係長の単独犯行とされ、村木(元)局長は大手を振って役所へ戻り、要職に返り咲いた。

 おかしいではないか。 裁判の判決は、村木被告が部下に偽証明書を書かせた証拠が見つからないと言っているだけであって、被告が証明書発行に関わっていないとは言っていないのだ。 だから裁判が終わっても事件の真相を解き明かしてはいないのだ。 日本郵政の収入は国家財産である。 司法は、役所の権限において40億円もの国費を頭の黒いネズミに食い荒らさせたことの責任を誰にも取らせていない。 尖閣問題と同じく、政府や世間やマスコミの圧力に怯えて、司法の役割である真相究明を放棄したと言える。 彼らの役目柄からすれば、敵前逃亡と言ってよい。

 そもそも、これほどの巨額詐欺が元ノンキャリ係長一人で行えるものだろうか。 そうだとしたら、厚労省という役所はそんな杜撰な許認可を日常的に行っているのだろうか。  よしんば被告の村木元課長が偽証明書発行に関与していなかったとしても、業務上の管理責任は免れない。 証明書に押された認可印、もしくはサインは彼女のものであるはずだ。 いくら厚労省が出来損ないの役所だったとしても、それもなしに巨額の金が動く証明書が発行されるはずがない。 民間であれば、実印を他人に預け、知らぬ間に借金の連帯保証人にされても、債務に対する無限責任を負わされる。 会社の部下が上司の印を悪用して公金横領した場合、上司は直接責任を負わされないまでも、管理責任を問われ、降格の憂き目に遭う。 以後出世はまず無理だ。 それなのに、村木元局長は凱旋将軍のように大威張りで役所に戻り、要職に返り咲いた。 ポピュリズムの民主党政府は彼女の“時の人的人気”に悪のりして、政府の要職に登用するのだという。 いくらなんでもおかしいではないか。 昔の官僚である武士ならさしずめ閉門蟄居、悪くすると切腹ものである。 愚昧な日本国民は大阪地検の言語道断な不始末ばかりに目を逸らされて、この事件の実相を誤魔化されているのだ。

 司法は大阪地検の不始末の取り調べとは別に、今回の巨額詐欺事件をうやむやにせず、真相追及をきちんと続けるべきである。 よしんば村木被告が証拠不十分で、法理上無罪がやむを得ざる仕儀であったとしても、彼女が自分の許認可権限を部下に丸投げし、そのことによって国民の資産を毀損させたことに対する道義的、もしくは管理監督上の責任を問うて結審すべきであった。 そうしないと司法に対する国民の信頼はますます低下するだろう。 小沢一郎もそうだが、証拠不十分は潔白の証明ではない。 傍証以外、確たる証拠が見つからない現実に対する司法の妥協に過ぎないのだ。

 権力にへつらうマスコミ。 司法の何たるかを忘れた司法。 日本は共産党一党独裁の非民主主義国家、中国を笑えない。   

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