【伝蔵荘日誌】

2010年9月17日: G君の危機一髪について考える K.O.

 遙か昔、卒業後に就職した職場は鉱山でした。 鉱員は真っ暗な坑内でカーバイトが燃えるカンテラ一つで、削岩・発破・支柱・積込・運搬等の仕事に従事していました。 入社2年目には、直属の組長以下役30人近くの部下を持つた坑場主任を拝命しました。 守備範囲は垂直70メートル、水平方向6Kmの範囲での採掘・探鉱を実施することした。 生産目標(鉱量・品位)を達成するための必要条件は、日々の安全の確保でした。 自分自身の安全もさることながら、部下の安全確保の要諦は、3人の組長との人間関係の維持でした。 自分の父親みたいな歳の一級組長との、上司と部下としての関係は特に大事で、日々危険を背負っての仕事ですから、最後は裸の人間同士の付合いが出来るか否かにかかってきます。

 9年間の鉱山生活で怪我人は何人か出しましたが、死者は一人も出しませんでした。 全山で坑場主任は十数人おりますが、10年近い勤務で自分の坑場から死亡事故を出さなかった人は僅少でした。 経験者は数十年たった現在でも、自分の坑場からの死亡事故を夢に見ると言っています。 私がそんな思いを抱くことなく老後の生活を安寧に過ごせるのは、若く経験不足の、いわゆる新任少尉を補佐し指導してくれた一級組長以下の組長さんのおかげと、いまも感謝しています。

 当時保安の原則に「331の法則」というのがありました。 「一つの重大事故」の陰に「30の軽事故」が、その裏には「300のヒヤリ・ハット」があるという法則です。 坑場主任や組長は、日々「ヒヤリ・ハット」の目を潰すことが保安活動の中心でした。 自分自身が「ヒヤリ・ハット」を経験したとき、どうすれば重大事故にまで至らずにするかは、その経験をどのように「反省」するかにかかっています。

 反省とは心の中での内省ではなく、「行動」にあると思っています。 俗に「反省は猿にでもできる」と言いますが、猿は自らの過ちを内省し、次に自らを正した行動をとることが出来ません。 テレビで「申し訳ありません反省しています」と、会社や組織の責任者が頭を下げるのを見かけます。 これは反省なる言葉を口にしているだけで、本当の反省ではありません。 自分の犯した、たとえ些細な過ちであっても、真に反省し行動で示したとすれば、300のヒヤリ・ハットの目を一つ潰したことになり、重大事故が一歩遠のくことになります。

 人には「守護霊」と「指導霊」がいて、天上界から常に見守ってくれていると言われています。 彼ら、または彼女らは、過去生で近親者の関係であった人が多いと言われています。 それだけにその人の人生に責任を有しています。 人が欲望に負けたり、嫉妬したり、ひがんだり、怒りに狂ったり、人としての道に外れたりの日々を送っていると、「守護霊・指導霊」たちはハラハラして見ていることしか出来ないそうです。 日々反省して自分の行いを正した生活を行うと、「守護霊・指導霊」が人に働きかけて守ってくれるということが、この世とあの世との間の精緻な決まりだそうです。

 G君の危機一髪もまさに「守護霊・指導霊」のおかげによるものと思います。 これは日頃のG君の努力が自らの老後の平安を守ったとも考えられます。        

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