【伝蔵荘日誌】

2010年9月1日: 大航海時代のポルトガルと日本 T.G.

 相も変わらず政局の混乱と経済の低迷。 このところ元気のない無気力な日本を見ていたらポルトガルを思い出した。

 現役の頃、CALSという国際的な企業活動合理化運動の日本代表を務めていた。 パリで開かれた国際会議に出席した折、オブザーバー参加のポルトガル代表から帰国前にぜひ立ち寄ってくれと頼まれ、会議終了後リスボンを訪れた。 当地の団体を表敬訪問した後、街へ散策に出た。 ヨーロッパの首都にしては貧相な目抜き通りを抜けて海岸に出ると、広場に大きな石碑が建っている。 その上に、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼランなど、大航海時代のポルトガルを象徴する英雄達の彫像が並んでいる。 いずれの像も海の方角を見て屹立している。 かってのポルトガル栄光時代のモニュメントなのだ。

 14世紀末から15世紀にかけて、ヨーロッパの大航海時代が始まる。 ポルトガルが先陣を切り、インドやアメリカ大陸への航路を発見し、遠く日本の種子島まで到達した。 当時海外からもたらされた財物と新領土で、ポルトガルは一躍ヨーロッパの覇権国になる。 しかしその後スペインや遅れて大航海に参加したイギリスやフランスに追い抜かれ、15世紀半ば以後は鳴かず飛ばず。 世界史の表舞台から消え去った。 今ではヨーロッパ最西端の最貧国。 ギリシャと並んでEUのお荷物に成り下がっている。 昨今の日本の低落傾向や国民の無気力さを見ていると、500年前のポルトガルと同じ道を辿るのではないかと心配になる。 同じくユーラシア大陸の端っこに位置する小国であるところも似ている。 ポルトガル最西端のロカ岬にも行った。 岬の先端に「ここに地終わり、海始まる」と言う詩人ルイス・デ・カモインスの有名な詩の石碑が建っている。 つまりこの岬はヨーロッパ大陸の西の端なのだ。 日本ならさしずめ犬吠埼だろう。

 先の大戦で廃墟と化し、再起不能と思われていた日本は、40年かけて世界第二の経済大国にまで登り詰めた。 当たるところ敵なし、いずれ経済力でアメリカを追い越すのではと恐れられるほどの勢いだった。 それがバブルがはじけて以来20年。 デフレに突入し、経済成長は止まり、何をやってもうまく行かない。 成長力と競争力は低下の一途を辿り、国中に無気力が蔓延している。 GDPで中国に追い越され、20年後には韓国に並ばれるのではと言われるほどになった。 世界のトヨタが馬鹿にしていたヒュンダイに肉薄され、ソニー、パナソニックはサムスンに凌駕されて久しい。 海外の論調にもそれを哀れむ記事が現れ始めている。 人も国も、哀れまれるようになったらお終いだ。

 かっての日本なら歯を食いしばって巻き返しに出たのだろうが、今の日本人にはその気力も覇気もない。 日本経済が窒息しかけているのに、政治の貧困は呆れるほどだ。 やっとの事で政権交代させたのに、左翼政権与党はまったく無能力。 政治も経済もそっちのけで、政局遊びにかまけている。 国民もそれを良しとしている。 国民の大半はなぜか相変わらず民主党支持。 そうでなければとっくに政権を“再交代”させているはずだ。 民度以上の政府はもてないと言うが、今の民主党政権の無能力、国家観の欠如はそれを象徴している。 戦後最低の政治状況、日本衰退の現れと言ってよい。 国家も国民も、矜持が薄れているのだろう。

 政治や経済の衰退は現象であって原因ではない。 こうなった原因はいろいろあろうが、教育の貧困がその大きな一つだろう。 かって大学には入試が付きものだった。 いい大学に入ろうと誰もがそれぞれに切磋琢磨した。 それがある意味若者達を逞しくした。  今は大学の半分以上が無試験で入れる。 そうでなくても入試の学科が大幅に減らされた。 昔の7教科が今はたったの3教科。 受験勉強が死語になりつつある。 そのため、二次方程式の根の公式を知らない工学部生がいる。 生物を履修しなかった医学生がいる。 世界史を知らない経済学部生がいる。 これでは大学の意味がない。 大学のレジャーランド化が言われて久しいが、大学全入を目指してでたどり着いた先の惨状である。

 古今東西、子供を甘やかしたらろくなことにはならない。 高校無償化や大学全入はその極地だろう。 甘やかされて努力を欠いた子供はおおむね怠け者になる。 緊張感を欠いた子供は緊張感のない大人になる。 その結果が今の政治であり経済だろう。 ある大企業の採用担当の話では、応募学生の学力があまりに低いので、予定の7割程度しか採用できない。 残りはやむなく優秀な外国の学生で穴埋めするのだという。 どうせ円高と民主党の企業いじめで海外に追い出される企業にとってはもっけの幸い。 痛くも痒くもない。 これでは雇用対策など計りようがない。 企業も雇用も減り、そのうち日本は空っぽになるだろう。 経済の低迷は円高などではなく、若者の覇気と気力の欠如、それにおもねる政治がもたらしている。 国を挙げて子供を甘やかしたツケである。

 進学率が低かった昔は、勉強好きで勉強が出来る一握りの子供だけが高校や大学へ行った。 今は望めば誰でも行ける。 だから勉強などする気がなくても、猫も杓子も大学へ行く。 昔は大学を出たらホワイトカラーになれた。 それが当たり前に思われていた。 今は違う。 今も昔もホワイトカラーの仕事場は限られている。 程度の低い全入大学卒が全員なれるわけではない。 今も昔も就業人口の大半は職人さんやお百姓さんや街のお店屋さんのはずだ。 にもかかわらず、誰もが大学を出ただけでホワイトカラーになれると錯覚している。 都会の満員電車で通勤したがる。 ろくに勉強もせず、全入で増えすぎた大学卒には無い物ねだりなのだ。 昔なら職人さんやお百姓さんになるべきだった若者達が、皆大学を出てホワイトカラーになりたがる。 だから就職氷河期が来る。 壮大なミスマッチである。 あげくに、派遣社員がどうの、格差社会がどうのと、泣き言ばかり。 戦う前から落ちこぼれている。 こんなおかしな国は他にない。 国の将来を担う若者達がこの無気力。 もう政治の対症療法ではどうにもならない。 

 もう一つの教育の問題は、戦後繰り返し国民に叩き込まれてきたゆがんだ国家観、歴史認識についてである。 カン総理は日韓併合百年に際しての首相談話で、「韓国民の意に反して行われた植民地支配で、国と文化を奪った」と謝罪した。 それはないだろう。 併合には一部韓国民に反対もあっただろうが、少なくとも当時の韓国を代表する政府との条約によっている。 日本側から「韓国民の意に反して」と謝るのは歴史誤認が過ぎる。 「植民地支配」についても同じだ。 日本は併合したのであって、イギリスやオランダのように植民地経営などしていない。 世界広しと言えど、条約締結による植民地なんてどこにもない。 植民地に謝罪した宗主国もない。 百歩譲って異論があるとしても、日本国のリーダーたるものが、国家を貶める歴史解釈を外に向かって軽々しく口にすべきではない。 自民党時代にも同じような根拠薄弱な謝罪外交が繰り返された。 一国の総理が繰り返し言うのだから、教育効果は日教組や文科省以上に高い。 日本国民は子供も大人も“日本は悪逆非道な国”と、不愉快な国家像が頭に刷り込まれてしまった。 だから今回の首相談話にもさしたる反論は出ない。 他国では当たり前の愛国心が死語になっている。

 国のトップが根拠薄弱な謝罪外交を繰り返す。 そこを相手国につけ込まれ、何度謝罪しても反日の材料にされる。 国民は気力が失せ憂鬱な気分に陥るが、抗うことも出来ない。 この繰り返しが、どれほど国民の愛国心や覇気を喪失させたことか。 憲法9条を盾に取り、国防を他国任せにした一国平和主義も同類である。 国民国家としての思考のバランスを大いに歪めた。 外交や政治に対する国民の判断力と思考力を奪った。 その行き着いた先が今の国家低迷であるとすると、問題は深刻だ。 なまじの経済対策ではどうにもならない。 国民の気力と国家のポテンシャルが失われているのだ。

 「失われた20年は経済学から見れば不況なのだろうが、20年も続いていればもはやそれが常態と考えるべきではないか」とある経済学者が言っている。 今の日本の政治経済の不調は、低迷ではなくもはや“常態”であり、日本国民が覚醒しなければ、これから先も延々と続くのだろう。 “失われた20年”どころではなく、ポルトガルのように“失われた500年”にもなりかねない。

 歴史を振り返ると、覇権を握った国は必ず没落し、二度と返り咲くことはない。 明治維新の後、日本は日露戦争で一躍世界の舞台に躍り出た。 その後の敗戦の躓きはあっても、バブルがはじけるまでに世界第二の経済大国に上り詰めた。 その間およそ80年。 栄光の大航海時代のポルトガルと同じ時間幅だ。 はたして日本は極東のポルトガルになるのだろうか。        

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