【伝蔵荘日誌】

2010年6月30日: ワールドカップ、パラグアイ戦 T.G.

   パラグアイ戦から一夜明けたら、日本中が鬱状態になった。 昨夜までの躁に近い浮かれ騒ぎが遠いことのようだ。 テレビのキャスターまでお葬式のような話ぶりである。 日本人はいつからこんなにサッカー命になったのか。 一次予選の快進撃で、マスコミは経済効果3000億円などと囃し立てたが、この敗戦でその効果も半減したのではないか。

 最初の20分を見て、あまりのつまらなさにテレビを他のチャンネルに切り替えた。 こんな試合なら、後で結果を見ればいいと。 守備一辺倒で、いつまでたっても攻撃に移らない試合運びに、いい加減いらいらしてきたからだ。  守備を固めるというのも戦法ではあろうが、サッカーはシュートを入れてナンボのゲームである。 攻めないでどうする。 これじゃ最後はPK戦かと冗談半分に思っていたら、その通りになった。 前監督のオシム氏も言っているが、PK戦はジャンケンと同じ、バクチである。 とてもスポーツの勝敗を決めるルールとはいえない。

 一次予選の勝利で、あれほど不人気だった岡田監督の株が一転して上昇した。 テレビも新聞も、それまでの非難報道を頬被りしてさも名監督のように持ち上げる。 恥ずかしくないのか。 1次予選の戦いぶりを見ていても、それまでの戦法と基本的に変わっていない。 一に防御、二に防御である。結果が吉と出ただけで。 なぜ“能なし監督”が一夜明けたら名監督に変わったのか。 まあ、勝てば官軍と言うことなのだろうが、世の中なんてつくづくいい加減なものだ。

 しかしあの戦い方は頂けないな。 一次予選はドローでも勝ち点が入るが、本戦は負けたら終わり、サドンデスなのだ。 とにかく点を取らなければ始まらない。 守備も重要だが、攻撃はさらに重要だ。 守り抜いてなんとかドローに持ち込んだとしても、後はジャンケン(PK)しかない。 日本は得点力がないから守備を重視せざるを得ないのだろうが、それにしてももう少し何とかならんか。 本田のワントップという布陣がそもそもおかしい。 せめてツートップにして、攻撃にもう少し比重をかけなければ決勝トーナメントでは点が取れない。 点が取れなければ勝てない。 自陣でボールを拾って攻撃に移るとき、守備固めにほとんどの選手が戻ってきているので、前方には本田一人しかいない。 個人技のない日本は、守備に戻っていたボランチが上がるまでボールをキープできない。 やむを得ず、前方にやみくもに長いボールを蹴り上げる、そんな“ロングパス(?)”がドンピシャ本田に届くわけがない。 あっさり相手に拾われて終わり。 大あわてで全員自陣に駆け戻る。 そんなシーンの繰り返しである。 気休めというか、とても攻撃とは言えない。  アーヤンナッチャッタ!

 日本以外の海外の報道は、おおむねその点について辛い論評をしている。

・ブラジル報道「技術的に低レベル」
・イタリア紙「「実にぱっとしない試合」「あくびが出るようなもの」「中盤でのアイディアが少ない」
・英テレビ「日本は極めて守備的」「試合を落とすことの恐怖心がゲームを支配している」
・フランス紙「(両チームの)厳格な規律に支配され、守備的で、時につまらないミスが目についた」
・南ア通信「今大会で今のところ最も退屈な試合の一つだった」、「両チームとも凡庸だった。切迫した場面もなかった」
・ドイツTV「つまらない」「大会最低レベルの試合」
・イギリスBBC「岡田武史監督は、8強進出にとても執着したあげく挑戦的な競技を繰り広げることができなかった。結局、意志不足の代償をPK戦で払った」
・ザ・サン「序盤20分以外、見る必要がない試合であった。 2時間の間退屈の連続だった」
・ESPN「120分間、特に記載するほどの場面が無かった。結局今回のW杯初のPK戦で運命を分けなければならなかった」
・韓国メディア「サッカーファンも飽きる窒息サッカー」
・スペイン民放ラジオ「退屈な試合だ」

 世界中が認める大凡戦での敗戦だったわけだ。

 記事によれば、オシム前監督はウルグアイ戦直後のインタビューで、「日本は今大会でどんな強豪にも対等に戦える自信を持ったはず」と日本の奮闘をたたえたものの、「日本人は歴史を通じて勇敢さを保ってきた民族。 侍の時代にしろ、戦争中の神風攻撃にしろ、勇気がなければできない。 サッカーでは自分の命をピッチの上で失う危険はない。  もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と、日本チームの消極プレーに注文も出したと言う。 要するに、勝ちたいならリスクを冒して点を取りに行けと言うことだ。

 かってカミカゼの零戦は、攻撃力オンリーの戦闘機で、軽量化のために米軍機のように鉄板でパイロットを防御しなかった。 そのために多くの熟練パイロットを失った。 馬力の大きなエンジンが作れなかったので、重たい防御機能を割愛せざるを得なかったのだ。 今はその正反対、防御ばかりで攻撃力無視である。

 サッカーもそうだが、今の日本はすべてにおいて守り一辺倒で、攻めを怠っているように見える。 今度の参院選のマニフェストや公約を見ていると、つくづくそう思う。 いつになったら日本は攻撃に転じるのか。 消費税はいいが、その金を何に回すというのか。 福祉や子供手当はあくまで防御であって、攻撃ではない。 そんなことで日本は元気にならない。 攻撃的な経済政策で産業を活性化なければ、日本の富(GDP)は増えない。 富が増えなくては税収も生活水準も上がらない。 雇用も増えないし、元気も出ない。 介護が雇用政策とはお笑いぐさだ。 民主党が馬鹿の一つ覚えのように言う福祉、介護、環境による経済活性化策はいわば花見酒経済である。 どんぶりの中で有限の金が行き来しているだけで、富が増えるわけけではない。 福祉や介護や環境だけでは日本の活力は増さない。 こんな防御策ばかりにうつつを抜かしていると、借金(国債)ばかり増え、日本はますますじり貧になる。 その結果、介護も福祉も年金もうまく行かなくなる。 経済音痴の民主党と管総理はそこが今ひとつ分かっていない。

  サッカーと同じく、日本経済は過去20年沈没したままだ。そもそも今時GDPが減少している国は日本ぐらいのものなのだ。 そろそろディフェンスよりオフェンス重視の政治家は出てこないものか。 岡田君もいさぎよくグッドバイしたことだし。         

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