【伝蔵荘日誌】

2010年4月7日: 中国人の社会観 T.G.

 サーチナ(Searchina)という中国系Web新聞に「日中間の規則と文化の違いに悩むー社会の規則と人の気持ち」と題する在日中国人のブログが載っている。 最近彼が体験した日本人の社会秩序に関するとらえ方が、彼を“困惑させ、憂鬱にさせている”、と言う内容である。 中国人と日本人の社会観や価値観の違いについてはいろいろ言われている。 その多くは、いわば後天的に獲得された社会性の違いによるものだと単純解釈してきた。 しかしこれを読むとそう簡単な問題ではないのではと思えてくる。 もしかすると日中双方の間に永遠に立ちはだかる壁のようなものではないかとさえ思える。

 ブログに書かれた彼の体験の一つはこうだ。 同じ在日中国人の友人は美人の日本人の奥さんと結婚していて、人から羨まれている。 ある休日に、彼が奥さんの通勤定期を借りて遊びに行こうとしたら、普段は穏和で聡明な奥さんが突然顔色を変えて怒り出した。 「これは私以外が使ってはいけないの」と言い張る。 腹を立てた彼が、「どうせ君は使わないのだし、出費を少なくすれば家計も助かるじゃないか。 君がそんな考えならもうやっていけない」と喧嘩になり、現在離婚協議中なのだという。

 もう一つは別の友人の話である。 その友人も結婚していて、夫婦とも中国人である。 小学三年生の娘を日本の学校に通わせていると言うから、在日経験はかなり長いのだろう。 その友人の所へ上海から義理の母親が遊びに来た。 娘にとってはおばあちゃんだ。 連れだってファーストフード店へ食事に行った。 その店では「ドリンク飲み放題」のサービスがあり、友人は注文したがおばあちゃんは頼まなかった。 食事が終わって友人がドリンクを飲み、追加ドリンクをおばあちゃんにあげようとしたとき、「おばあちゃんは注文しなかったのだから飲んでは駄目」と小学三年生の娘が言い出した。 友人が「飲み放題だから、お父さんは100杯でも飲める。 そのうちの1杯をおばあちゃんにあげても構わないだろう」と言っても、娘さんは頑として譲らない。 しまいに泣き出してしまい、食事の楽しさが台無しになってしまった。 「今では娘に日本の教育を受けさせたことを後悔している。 こんなことでは帰国しても結婚できない。」とその友人は“憤懣やる方ない様子だったという。

    単純に考えれば、社会規範や規則や約束事に対する考え方、順法精神の程度の差に過ぎない。 日本人だって規則を守らない奴は幾らもいるし、人の目をごまかす狡い奴もいる。 他人の定期券で電車に乗る不届きな輩も、ドリンクをごまかす不届き者もたくさんいる。 このたぐいの不道徳さについては、日本人も中国人も大差ない。 最大でかつ本質的な違いは、二人の中国人、いやブロガー自身を入れて3人の“ごく真っ当な在日中国人”が、定期券の流用やドリンクの誤魔化しを、はなから悪いこととは思っていない点である。 むしろ自然権に近い当然の権利とさえ思っている。 奥さんや娘さんにたしなめられても、言われていることの意味が分からずきょとんとしている。 翻って日本人は、定期券を流用するとき、ドリンクをごまかすとき、ほとんどの人間が、程度の差こそあれ幾分後ろめたい気持ちでやる。 たとえ暴力団の組員でも、粗暴な暴走族のあんちゃんでも、良くないことをやっていると言う意識を心の片隅に持ちながらやる。 当然の権利の行使だとは決して思わない。 この違いは“程度の差”どころの話ではない。 考えようにとっては天と地ほどの開きがある。

 このブロガーは末尾をこう締めくくっている。

 「日常生活で人間の決めた規則にどう対応するかで、中国人と日本人に明らかな違いがあることは、在日中国人なら切実に理解しているだろう。中国人はどちらかというと「人の気持ちを重視」し、自分の価値観で自分の行動を「合理的」に解釈する。日本人はどちらかというと「規則を守る」ことを重視し、公共的な規則を自ら厳しく守ろうとすることによって、調和の取れた社会をみんなで作ろうとする。 その場の人間の考え方に合わせることは非常に重要だが、各自の価値観によって自分のやり方を押し通そうとすれば、たくさんの「不合理」が生まれてしまう。社会の規則も守り、人の気持ちも大切にしようとするのは、実に難しいことである。」

 「日中間の文化と規則の違い」について、相当まじめに、かつ深刻に思い悩んでいることは理解できるが、言っていることが我々日本人には今一つぴんとこない。 いろいろ理屈を並べているが、要するに「規則を守らなくて何が悪いのか、理由が分からん。 それより人の気持ちの方がはるかに大事だろう。」と言っているように聞こえる。 これでは相互理解は無理だ。

 この3人の中国人は、経歴から見ると日本に長いこと住み、日本で仕事をしている。 日本人と結婚し、娘に日本の教育を受けさせている。 おそらく地域の小学校に通わせているのだろう。 日本が嫌いではなく、日本の社会慣習や規則や法秩序についてもかなり理解が出来ていて、日本社会に融け込んでいるはずだ。 その彼らが通勤定期の意味や、飲み放題ドリンクサービスのなんたるかが分かっていないはずがない。 分かった上で、それでも規則や契約より“自分たちが享受できる権利”の方を優先すべきだと、虚心坦懐に思っている。 そうすることのほうが合理的とまで言い切っている。 日本人の奥さんや小学生の娘さんにいくら良くないことだと指摘されても、なるほどそうかとは思わない。 美人の奥さんと離婚を考えたり、可愛い娘を泣かせたりしてまで、自分の当然の権利という考えから離れられない。 もうこれは壁というか、永遠に交わらない二つの川の流れと言ってよい。

 最近しばしば中国のコピー商品や著作権侵害が問題になるが、中国人と日本人では考え方や意識がまったく異なっているのだろう。 日本人は犯罪だと思うが、彼らははそんな意識はもうとうない。 “合理性のある権利の行使”だと思っている。 毒入り餃子や尖閣列島や歴史認識など、今日中間にわだかまる不協和音は、すべてこれに端を発するのではないだろうか。

 しかし、日本に長いこと住み、日本や日本人を熟知している“温厚で常識的な中国人”にこうまであっけらかんと言われると、もしかすると間違っているのは日本人の方ではないかとさえ思えてくる。 彼らのように“人の気持ちを尊重し、自分の価値観で行動を合理化”しないと、これからの世の中、彼らと太刀打ちできないのではないかとさえ思えてくる。 もしかすると、日本固有の社会秩序や順法精神は、中国のみならず、全地球的に見ても普遍性はないのかも知れない。 極東の小国の希少で偏った文明に過ぎないのかも知れない。 若い女性が夜中に出歩けるほど安全な国と珍しがられるのは、そういうことなのかもしれない。

 昨今の中国パワーの隆盛と衰退日本の傾向は、この違いが根本原因ではないかとさえ思えてくる。 今後巨大化する中国という国と対峙し、グローバル化していくためには、日本人が誰でも持っている当たり前の社会規範が邪魔になるのかも知れない。 現にブロガーの友人の一人は、「日本人化した娘は中国人と結婚できない」と、本気で心配している。 つまり日本人の順法精神や規則に対する考え方は、いくら説明しても中国では(もしかすると日本以外の国では)絶対に理解されないと信じているのだ。 少子化の今日、日本人が大挙して中国に渡り、彼の地に住み着くことはまずありえない。 昨今の状況では、その逆はかなりの確率である。 そうなった場合、古来日本人が良しとして、幾分誇りに思って来た日本の文明や社会秩序はあっけなく蹴散らされることだろう。         

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