【伝蔵荘日誌】

2010年2月 6日: ヒトラーの秘密図書館 T.G.

 ヒトラーは、突然変異で生まれた粗野で無教養な独裁者と思われがちである。 しかしアメリカの歴史ジャーナリスト、ティモシー・ライバック著、『ヒトラーの秘密図書館』(文芸春秋社)を読むと必ずしもそうではないことが分かる。 ヒットラーは若い頃から無類の読書家で、カント、ヘーゲル、ニーチェの哲学書から、戦車の製造法、演劇の舞台装置書まで、万巻の書を読みあさった。 忙しくても必ず日に2、3冊の本を読み、1945年、追いつめられてベルリンの地下室で自害するまでに、彼の蔵書は1万6300冊に達したという。 この蔵書は戦後散逸し、その一部、1200冊がアメリカ議会図書館に残っている。 それを見ると、彼が影響を受けたと思われる箇所には、アンダーラインが引かれ、欄外に細かな書き込みがあるという。 きわめて熱心な読書家だったのだろう。

 彼がもっとも影響を受け、彼の著作、『我が闘争』や、後のユダヤ人大虐殺に至る発想と理論的支柱になったのは、アメリカ人優生学者マディソン・グラントの著書、『偉大な人種の消滅、ヨーロッパ史の人種的基礎』と、自動車王ヘンリー・フォードが書いた『国際ユダヤ人』だった。 フォードは無類のユダヤ人嫌いだったし、グラントは著書の中で北欧ゲルマン人の人種的優越性を説き、「偉大なる人種は人種的国境線を決定し、人種そのものを浄化すべき」と結論づけている。 ユダヤ人に何の偏見も持たない家庭に育ったヒットラーは、これらの著書を読むうちに次第にゲルマン民族浄化、ユダヤ人抹殺に傾いていく。 この危うい思想は、ニーチェやフィヒテのようなドイツの思想的指導者の影響も受けているが、基本的な発想はアメリカ人グラントの著書から受け継いでいる。 著書を賛辞するグラント宛のヒットラーのレターが残っている。 グラントは人種差別で悪名高い1924年の「アメリカ移民法」の強力な推進者でもあった。 当時のアメリカは人種差別が激しく(今もそうだが)、ホロコーストがドイツではなくアメリカで起こらなかったのが不思議なぐらいだ。

 歴史を知らない現代人は、ヒトラーのナチズムは秘密警察の暴力と圧政から生まれたものと思いこんでるが、大間違いだ。 ホロコーストがドイツ国民が知らぬ間に計画され、秘密裏に行われたと思いこまされているが、それも大間違いだ。 ヒトラーは世界で最も進んだ民主主義憲法、ワイマール体制の下、自由選挙で選ばれた国家指導者である。 彼の演説に大多数のドイツ国民が酔いしれ、圧倒的な票数で大統領(総統)に就任している。 彼の演説には、グラントから得た民族浄化の思想や主張が取り込まれ、何度も繰り返されている。 その間、クーデターやナチ党の非合法活動はあったものの、最終的な国民投票では89.9%という圧倒的支持を受けている。 この数字は決して暴力や恫喝だけでは生まれない。 当時のドイツ国民の熱狂的な“空気”に依るものだ。 当時のドイツ国民は、ドイツ帝国の復興に突き進むヒトラー総統の出現を熱狂的に支持したのだ。 彼が主張した人種浄化も、その延長線上のホロコーストも、手続きとしてドイツ国民が了承し、ヒトラーにやらせたのだ。 それなのにドイツ国民は、未だにホロコーストをヒトラーとナチのせいにし、与り知らぬとほおかむりしている。

 後で振り返ると、なぜあの時、あのように愚かだったのかと訝ることが多々ある。 戦前の日本の軍国主義がそうだ。 今頃の学校では、軍部の一部指導者が、特高警察を使った弾圧や脅迫を繰り返し、国民を惨めで悲惨な世の中に押し込めたと教えているらしい。 国民が望まぬ戦争を、軍部が勝手に始めたと教えているらしい。 大間違いの大嘘である。 当時の国民が暗く惨めな生活を送っていたなどと言うことは決してない。 むしろ逆で、大多数の国民は文化や教育や娯楽を享受し、経済や軍事で世界に雄飛する日本を誇りに思い、兵隊さんを尊敬し、普通選挙が行われ、親は子を慈しみ、たくさん子供を産んだ。 映画や演劇を見たり、銀座でデートをしたりしていた。 国民が声も出せない暗黒の時代などというのは真っ赤な嘘である。 満州国成立の時は銀座で提灯行列をしたし、ラジオで真珠湾攻撃の大本営発表を聞いたときは拍手喝采した。 頭の上の重し取れ、胸がすっとしたと書いた有名作家もいた。 自分自身、戦前のかすかな記憶は、決して暗いものではなく、むしろ穏やかな懐かしい感じで残っている。 父母が声を潜めて暗い生活を送っていなかった証拠だ。 戦前の政治体制は、ドイツと同じく、良くも悪くも日本国民の“空気”が作ったものだ。 北朝鮮程度の国ならいざ知らず、ドイツや日本ほどの先進文明大国は、一部の独裁者が暴虐と弾圧だけで引っ張れるものではない。

 その国のあり方や政治情勢は、独裁者の有無にかかわらず、いつの時代も故山本七平氏言うところの“空気”が作り出すものだ。 “空気”は国民全体を覆う雰囲気で、誰かが意図して作り出すものではない。 後になってしまったと思うようなことでも、そのときは正しい選択だと大多数の人が感じている。 それが空気だ。

 昨今の日本の状況も似たようなものだ。 官僚政治がいやだと、政権を交代させた。 金権政治に懲りて、より透明に見えた政権を選んだ。 「コンクリートより人へ」に惹かれて、子供手当や農家の個別補償など、ばらまき政治をよしとした。 需要サイドの経済政策に浮かれて、企業や銀行をないがしろにするようになった。 アメリカ依存はよくないと、中国に接近し、沖縄の基地を邪魔者扱いにし始めた。 根拠もなしに国民の過半数がそれでよいと思っている。 すべて空気だ。

 その結果、日本郵政は元通り官僚の巣窟となり、亀井金融担当相は郵貯資金でアメリカ国債を買うなどと言い出した。 国民の貴重な資産で紙くず同然の米国債を買う。 国民に対する重大な背任行為だ。 小沢無罪放免のアメリカとの取引と言う噂もある。 総理大臣も幹事長も、うさんくさい、怪しげな金まみれ。 事実上の脱税を繰り返して恬として恥じない。 国民も指弾しない。

 95兆円に膨れあがった国家予算案のわずか3%をまな板に乗せ、事業仕分けと称し見せ物のマグロ解体ショー。 のんきな国民は目くらましに踊らされて拍手喝采。 肝心の残り97%、92兆円は手つかずのままだというのに。 その結果、37兆円しか税収がないのに国債発行額(借金)がなんと44兆円。 それを誰もおかしいと思わない。 小沢は不倶戴天の天敵、検察庁長官に民間人を起用すると言い出した。 立法行政のみならず、司法まで支配下に置く。 ヒトラー顔負けの独裁者への道だ。 その上マニフェストにもなく国民に諮ったこともない、外国人参政権などという胡散臭い法案を持ち出し、のこのこ出かけて行って勝手に中韓首脳に約束する。 そんな理不尽なことされても国民の支持は落ちない。 ヒトラードイツや日本の戦前と同じ、すべて空気のなせるわざ。

 後世の日本国民は、なぜあのとき、このおかしな政権をあれほど熱狂的に持て囃したのか、いぶかしく思うにちがいない。 どこの国も、いつの時代も、国民大衆の愚かさは変わらない。            

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