伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2010年1月8日: 孫への思い T.G.

 今朝の新聞の読者欄に、京都の65歳の女性がお孫さんのことを書いている。短い文章の中に、孫への思いや心情が過不足無くまとめられていて感心した。投稿規定で400字以内と制限されているので、無駄な修飾語や冗長な言い回しは使えない。その制約の中でこれだけの内容を盛り込み、思いを訴えるのは相当な筆力と言えるだろう。この種の読者投稿は、独りよがりが過ぎたり、思い入れが過剰だったり、その上文章が下手で、読むに耐えないものがほとんどである。

 「文句なしに孫は可愛い。「おばあちゃん、お泊まりに行ってもいい?」の電話一本で、しなびた青菜がシャキッとなるように、私の背筋も伸びる。笑いが途切れる間もない。孫との時間は今の私にとって一番の幸せと言えるだろう。
 いつものように遊び疲れた頃、孫の口から楽しい学校の話ついでに、苦手な科目や友人とのトラブルなどがこぼれ出た。無垢の塊だった孫が、いつの間にか少女へと成長し、その心もまた新しい世界へと広がりつつある。小学生の社会で、人として避けられない痛みや辛さに向き合おうとしている。まだまだ小さな体、小さな心なのに、…。もはや食べたり遊んだりで過ごした時間は温かな思い出として残すときなのだろう。楽しいことばかりではない日常を感じ始めた孫の良き話し相手になれれば、と思った。懸命に話し続ける孫がいじらしくもあり、また切なくもあった。」(京都府 主婦 65歳)
 

 うちの孫娘は4歳だからまだ“無垢の塊”の範疇ではあるが、最近は顔つきや体つきに赤ちゃんぽさが薄れ、少女へ変身しつつある。嬉しいような淋しいような、アンビバレンツな心境である。先日息子家族と一緒に夕ご飯を食べているとき、当方が皿に残した脂身を目ざとく見つけて、「ジイジどうして食べないの?」と聞く。「太るからだよ」と答えると、間髪を入れず「バアバみたいに?」と言うので大笑いした。家人は苦笑い、隣で聞いていた嫁が固まった。無垢の塊の真骨頂である。

 この孫娘がやっと歩けるようになった一歳半の時、保育園に預けて嫁が職場復帰した。彼女の会社では育児休暇は1年以降の4月までと決められている。最初のうちは泣きの涙で大変だったらしい。たまに嫁の仕事が忙しくて、夕方5時の決められた時間にお迎えに行けないとき、少し離れたところに暮らす我々老夫婦がたびたびピンチヒッターを務めた。最初のうちは出迎えたバアバの顔を見るなり、「ママがいい!」と泣き出した。しばらくその切ない状態が続いたが、そのうち慣れて、笑顔で飛びついてくるようになった。今では保育園が大好きで、喜んで行く。クリスマスの劇ではみつばちマーヤの役をもらったらしい。

 まだ1歳ちょっとの下の弟が、この4月に同じように保育園に放り込まれる。生まれ月の関係でお姉ちゃんより3ヶ月早い。またまた泣きの涙の愁嘆場が繰り返されるだろう。お姉ちゃんと同じ保育園なら少しは気が紛れるのだろうが、いまだに入れる保育園が決まっていない。申し込んでいるのだが返事がないという。別の保育園だったら嫁はさぞ大変だろう。フルタイムの仕事をしながら、二人別々に送り迎えをしなければならない。それでも子供を産んで仕事を続ける。大変なことだ。生活に優しいはずのハトぽっぽ政権は、口先ばかりで何もしてくれない。年度予算案でそのことがよく分かった。これでは少子化は避けられない。今のご時世、うちの嫁のような馬力と根性のある女性はそう多くはないのだ。

 あと少しで京都の女性と同じ心境を味わうようになる。孫も今までのような無垢の塊では生きていけなくなる。泣きたくなるような辛いことがあっても、もうジジババは助けられない。たとえ内心バアバが太っていると思っても、口には出せなくなる。ぐっと飲み込んで誤魔化すすべも憶えるだろう。それまでは、“無垢の塊”をもう少し楽しもう

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