伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2009年12月18日: ドイツ統一の真実 T.G.

 朝のNHKのBS放送で、「突きつけられた真実」を見る。ドイツの放送局が製作した東西ドイツ統一前後を描いたドキュメンタリー映画である。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊は、世界中にセンセーショナルに報道されたので誰でも知っているが、その後1年かけて行われた東西ドイツ統一に至る経過と、ドイツ国家、国民の悪戦苦闘はあまり知らなかったので興味深かった。ドキュメンタリーの中に描かれたエピソードの幾つかは次のようである。

 壁崩壊から9ヶ月経った後の1990年8月、東西ドイツ政府がドイツ統一条約に調印する。条約書はいろいろな取り決めが盛り込まれ、1000ページに及ぶ長大なものになった。この条約の発効日、すなわち正式に統一が完了するのは、その2ヶ月後の10月3日である。それまでの2ヶ月間、東ドイツ各地でいろいろな準備作業が行われた。統一と言っても、実質的には西ドイツへの吸収、編入なのだ。

 東ドイツ人民軍はこの日をもって(西)ドイツ連邦軍に統合される。最後の日まで兵士は人民軍の軍服着用を命じられていたが、中にはスーベニアショップで売りさばいてしまった兵士もいて、最後の日の集合には平服で整列する兵士もいた。5ヶ月前までに通貨統合が行われ、西ドイツマルクが導入されていたので、西ドイツの観光客が買っていったのだ。すでに軍紀が行き届かない状況にあって、指揮官の中尉は大量の爆薬や武器弾薬が保管されている兵器庫の管理に大いに気を遣う。持ち出されて、不祥事に使われないかと気が気でない。結局当日3日の朝が来るまで、そう言う間違いは一つも起きなかった。連邦軍に編入される兵士達には新しい軍服が支給され、連邦軍兵士としての再教育が行われた。人民軍兵士は、兵士であっても民間人と同じ権利があると知って驚いた。

 統一の数ヶ月前までに、ソ連のゴルバチョフ政権との間で、東ドイツ国内のソ連軍基地撤退が調印された。このためにドイツ連邦政府はソ連に150億マルクの撤退料を払っている。どこの国でも、外国の占領軍はただでは出ていかないと言うことだ。在日米軍をグアムに追い払いたくて仕方がない日本の鳩山政権は、もって銘すべし。

 スエーデンの東ドイツ大使館では、引き渡しに備えて書類や物品什器の整理が行われていた。他の国の大使館でも同じ様なことが行われていたに違いない。書類はすべてファイリングされ、引き渡し物品の詳細なリストが作られた。所蔵されていた高価なマイセンの食器はすべてリストアップされて、統一後に1枚も紛失していなかった。お別れパーティーには各国の大使館員が訪れた。スウェーデン国王への辞任の挨拶では、国王から「貴大使館ではなくお国へのお別れ」と言葉をかけられている。

 統一条約調印に至るまでの最大の問題は、東ドイツ政府が細大漏らさず記録にとどめた個人情報ファイルの取り扱いだった。この中には秘密警察による弾圧や処刑の記録も含まれていて、統一後の取り扱いに問題があったからだ。ことほど左様にドイツ人は、すべてを事細かく記録し、きちんとした管理を好む国民なのだろう。

 統一の後がそれ以上に大変だった。統一後の1990年になっても、東ドイツの電話は交換手による旧式なもので、故障ばかりでまともに繋がらなかった。大半の家庭に電話はなかった。連邦政府は急遽電話網を更新整備しなければならず、公衆電話はすべて取り壊され、西ドイツ式の新しいものに取り替えられた。

 最も困難を極めたのは、経済と産業の立て直しである。ほとんどすべての国営企業が技術力も商品力も低く、西側資本主義経済ではまったく通用しないレベルだった。200のコンビナートと8000の国営企業が廃業、もしくはリストラを余儀なくされた。この整理統廃合には莫大な資金が必要になった。その金はすべて西ドイツが支出しなければならなかった。西側経済でも唯一通用すると思われていた優良カメラ会社ペンタコンも、企業提携を見込んで訪れた日本の視察団が、まったく手を出す気にならない代物だった。統一直前まで、この会社の部品倉庫には盗難をおそれて鍵がかけられていたが、統一後は誰も盗む気など起こらなかったので、鍵は無用になった。部品がただの粗大ゴミになった。

 東ドイツの地方自治体はすべて破産状態にあり、地方公務員の給料や市街地整備も滞っていて、(西)ドイツ連邦政府は多大な出費を強いられた。現在は歴史的な中世都市として世界遺産になっているマイセンの旧市街も、荒れ放題で取り壊し寸前の状態だった。連邦政府が提供した資金と技術によって復旧作業が行われ、なんとか現在の姿になっている。

 統一前の東西両ドイツの経済格差は1対3で、統一のために旧西ドイツは莫大な出費を強いられた。西ドイツマルク導入時の通貨交換では、当時の金額で5000億マルク(3兆5千億円)が吹っ飛んだ。国営企業の整理や社会インフラ整備にはさらに多大なコストがかかった。その影響は2006年まで続き、その間ドイツ連邦経済は圧迫され続け、景気は低迷、国際競争力低下を余儀なくされた。

 これらのエピソードを通じて感じるのは、ドイツ国民の資質の高さだ。ヒットラーのような化け物を生み出したことが信じられない。冷戦で東西に引き裂かれ、50年近く憎しみあった人々が、かくも整斉と統一に臨んだことは驚きである。統一に至るまでの1年間、ささやかな反乱も起きず、一発の銃弾も放たれなかった。このような整然とした“城引き渡し”に比べられるのは、日本の8月15日ぐらいなものだろう。

 もう一つは、非効率な社会主義経済の大穴を埋め戻すには、膨大な金と時間が要ると言うことだ。ヨーロッパ随一の経済大国西ドイツには大穴を埋め戻せる産業力と資金力があったが、同じ分裂状況に置かれた韓国にはない。韓国と北朝鮮の経済格差は3対1どころではなく、50対1ほどもあるだろう。だからドイツと同じことを韓国と北朝鮮には出来ないだろう。もしやったら共倒れになって、おそらく中国あたりに吸収されてしまうだろう。

 それにも増して、統一にこぎ着けるまでの間に一発の銃弾も放たれないなどと言うことは、“恨”を心情とするこの両国民にはあり得ない。その上朝鮮戦争では互いに数百万人を殺し合った間柄なのだ。おそらく統一に反発する北朝鮮軍人や韓国保守系の紛争、暴発、テロが頻発し、収拾がつかなくなるだろう。統一どころではなくなるだろう。ましてや統一に備えて、引き渡しのために国家財産や国家情報をきちんと整理することなど考えられない。そもそもの統一条約締結も、平和裡にはあり得ない。北朝鮮の国民自身が、東ドイツ国民のように、置かれた状況を理性的に理解し、韓国への併合を甘んじて受け入れることもないだろう。ドイツと朝鮮、両国民の資質の差であろうか。

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