【伝蔵荘日誌】

2009年12月6日: 結婚しても子供いらない4割 T.G.

 今朝の新聞に内閣府調査に関するニュースが載っている。 それによれば、結婚しても必ずしも子供を持つ必要がないと考える人が42.8%に達しているという。 年齢別では20代が63%、30代が59.0%だそうだから、もはや日本では結婚イコール出産、育児、子孫繁栄という昔からの固定概念がほぼ否定されていることになる。 記事の中で夫婦問題研究家(おかしな商売があるのものだ)の女性が、「夫婦だけで家族が成り立つという意識」とか、「キャリアや仕事が大事」、「恋人気分が薄れる」、「経済的負担や女性の社会進出を妨げる」ことが原因だと解説している。  調査に当たった内閣府自身、「個人の生き方の多様化」とコメントしているところを見ると、日本社会は、少なくともオピニオンリーダー達は、どうやらこの傾向をマイナスではなく社会進化のプラス面と解釈している節がある。 実におかしな話だ。

 人口問題研究所のデータ によれば、2005年における国民の「生涯未婚率」は男15,9%、女7.3%で、10年間で7ポイント上がったという。 また未婚率も上昇を続け、30〜34歳男性で47%、同じく女性が32%と、これも10ポイント以上の伸びである。 前の調査と合わせると、日本国民におしなべて、結婚したがらない、する意欲に欠ける、しても子供は要らない、作らない、という価値観が広がっているいるように見える。 はたしてこれが社会や文明の進歩と言えるのだろうか。

 最近の、「結婚出来ない、したくない、子供を作りたくない」症候群とその結果である少子化を、不況や格差社会のせいにする傾向がある。 特にリベラル派の政治家や女性評論家に多い。 考えるまでもなく、それは大間違いだ。 戦前戦後の一時期、今よりはるかに貧しく、格差のひどい時代に、日本国民は猫も杓子も結婚して、どんどん子供を産みまくった。 あまりの人口の急増に、サンガー夫人というアメリカのお節介オバサンが日本にやってきて、産児制限運動をやったくらいだ。 だからその頃よりはるかに豊かになった今頃の“結婚しない、子供生まない”シンドロームは、そんなきれい事が原因なのではなく、もっと根源的で深刻な問題なのではなかろうか。

 端的に言えば、日本人全体を覆う気力と性欲の減退と、それがもたらす種の繁殖力の低下である。 先日テレビで、最近多く見られる“恋人が要らない症候群”の若者達をルポルタージュしていた。 いわゆる今はやりの草食系である。 彼(彼女)らの言い分を聞いていると、「異性に関心がない」、「恋人を作るのは面倒」、「大事なことがほかに幾らもある」、「忙しくて恋人を見つける時間などない」というところが公約数だ。 彼らは別に同性愛者ではなく、“ノーマルな性欲”もある。 そのうちの一人は、「マスターベーションもする。 しかし、裸の女性の写真やAVを見ながらではなく、音楽を聴きながらする」のだという。 音楽が最高潮に達するのに合わせてエクスタシーに至るのだという。 こうなると、単なる排泄行為。 女性はまったく性欲の対象ではなく、相手は木でも石でもいい。 これはいささか特殊な事例だとしても、おおむね今の若者達は昔に比べて性欲が弱まっているのだろう。 だから恋人は要らないし、結婚もしないし、当然子供も作らない。

 別の新聞で、大学生の引きこもりが急増していると言う調査結果を報じている。 それによると、大学生の100人に一人が引きこもっていて、その数、全国で2万6千人に達するという。 大学生になってからの引きこもりがほとんどで、「中高では問題がなかった生徒が、自由度が高く開放的な大学に適応できなくなるのが特徴」なのだという。 大学は高校と違い、決められた時間割もクラス分けもない。 自分で受講する授業を選び、そこで出会う見知らぬ先生や学生との人間関係を作らねばならない。 そのことが引きこもりたくなるぐらい苦痛なのだと言う。

 我々が若かった頃とは大違いだ。 先の話と合わせると、今の若者達は我々の頃とはまったく異なる、別の種ではないかとさえ思えてくる。 我々の頃は、大学の自由度や開放感が、友人など他者との連帯や人間関係を豊かにすることはあっても、それが煩わしかったり、負担に感じることはなかった。 むしろ逆で、自由度と開放感を謳歌するあまり、勉学に身が入らない弊害の方が大きかった。 あの頃の若者は誰しも性欲の塊だった。 いつでも目の前にピンクの霧がかかっていて、女性と見れば性欲を感じ、恋人が欲しくてたまらなかった。 友人達との話題もそれが重大なテーマの一つだった。 大きな声では言えないが、結婚の動機のかなりの部分がセックスにあった。

 性欲と人間関係は人間社会を発展させていくための最も重要な要素だ。 生物はすべからく性欲に支えられた繁殖能力がある。 個体数の減少があるスレッショルドを越えると、個体数は回復せず、絶滅するという。 トキや日本狼や南鳥島のアホウドリがそうだ。 おそらく種全体の性欲の水準が低下し、生殖能力が衰えるのだろう。 人間関係は人間社会構築の基本だ。 個人主義やミーイズムの度が過ぎると、人間関係が希薄になり、社会が弱体化し始める。

 昨今の世相を見ていると、どうやら日本はその坂道を転がり始めているような気がしてならない。 努力もしないで自分の貧乏を国のせいにする。 格差を国のせいにする。 あげくに生活保護や福祉の給付を大威張りで要求する。 ろくに税金を納めてないくせに、年金は税金で何とかしろと言う。 自分たちだけが楽しめればいいから子供は要らないという。 学費がかかる子供は邪魔だという。 少しだけ生んだ子供達は、盆栽みたいにいじくり廻して育てられる。 その結果イジメ、引きこもり、学力低下と、子供達の劣化が止まらない。 女遊びもせず、携帯やゲームに明け暮れている。 そのくせ子供手当や農家個別保証大歓迎。 貰うものは何でも貰う。 もっとばらまけと要求する。

 隣の国が核兵器を作っていても気にもとめない。 仮想敵国は日本に決まっているのに。 まともな軍隊も持たないくせに、米軍基地はいらない。 グアムに移せと無責任な大合唱。 移した後の国防はどうするんだ! そう言うあやふやな世相に迎合して、決断力と行動力に欠けた草食系総理大臣がへらへら世渡りしている。 国民も大方それを喜んでいる。 いまだに支持率60%はそう言うことだろう。 それやこれやで株価もGDPも下がり、経済はいつまでたっても回復せず、間もなく国の借金が千兆円を超える。 少子化は一向に止まりそうにない。 それでも国民は人ごとのように日々呑気に暮らしている。  かって江沢民が予言したように、2050年に日本が消滅している可能性も、まんざら冗談とは言えなくなってきた。

 それやこれやはすべて日本人の性欲と人間力低下がもたらしているのだろう。 ギリシャ神話に出てくるシジフォスのような怪力の持ち主がでてきて、転がり落ちる石をむりやり山の上に戻してくれないと日本はお終いだ。 日本人にはどうにも出来ない。 ましてやへなちょこ友愛総理ではどうにもならない。 150年前はそれをペリー提督が、70年前はマッカーサーがやってくれた。 次のマッカーサーはどんな顔をしているのだろう。 日本人はいつまでたっても他力本願だ。                  

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